豊島旅 その2
豊島紹介パンフレットより
穏やかな瀬戸内海に位置する豊島は、面積 14.5K㎡、人口 約900人の島。
島の中央にそびえる檀山からは湧き水が出ており、古代から現代に至るまで豊島の稲作、農業、そして島の人々の生活を支えてきた。
近代に入り酪農が栄えた事もあり「ミルクの島」と呼ばれ、また戦後間もなく先進的な福祉施設ができたことから「福祉の島」とも知られている。
2010年には豊島美術館をはじめとする現代アートの施設もでき、国内外から多くの人が訪れている。
↓ 道中、神社に出くわす。
神社名は不詳、中には香川県指定文化財・彫刻”木造観音菩薩立像”がおさめられているとの看板が。
↓ 甲生に到着
↓ 土庄町指定 有形民俗文化財「片山邸」
江戸時代後期に建て られた片山邸は、地方富豪家の代表的な建物。
敷地内には、片山家の祖先が200年前に沖縄から持ち帰ったと言われる県下有数の巨樹 として名高い香川県指定天然記念物のソテツがあり、幕末から明治にかけて西日本 屈指の材木商であった片山家の隆盛を今に伝える。
甲生から唐櫃へ歩を取る。
↓ 薬師堂 首なし地蔵なる石碑があった。
室町時代のはじめ、正平二年(1347年)豊島を統治していた佐々木信胤の家臣・豊島左馬之助は細川勢と戦、御殿山に逃れ樒(シキミ)の下に隠れたところ、その根元から雉が飛び立ち発見され斬首された。
辞世に『樒そたつな 雉すむな』が残され、以来、豊島には野生の樒はなく雉もいない。
住民は斬首された左馬之助主従の墓石の代わりに頭(首)のない地蔵をたて密かに供養した。
時は変わり室町時代の末・文明十一年(1480年)、左馬之助斬首の際、首が飛んだと伝えられる向林(首実検の場所)に首塚が祀られ、又一方この首のない地蔵にも頭が奉じられたといわれる。
いつの頃からか「頭が良くなる」また「頭の病気が直る」お陰のある地蔵といわれ、願い事が叶えられると、お礼に頭を作り以前に奉じた頭と取替えても奉納するようになった霊験あらたかな地蔵である。
その後、島内外からご利益を願い祈願成就により納められた頭は列挙できない数となっている。
特に近年は勉強・受験合格を祈願する人が増えている。
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