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『ハナムグリ』こと、中村文子さんから暑中見舞いのハガキが届いた。
相変わらず構図も絵も上手である。
■ ハナムグリについて調べてみた。
何と、和名は「花潜」、花の中にもぐって蜜や花粉を食べるから・・・だ、そう。
以下、ウキペディアから
ハナムグリ(花潜)は、
コウチュウ目・コガネムシ上科・コガネムシ科・ハナムグリ族・ハナムグリ亜族・ハナムグリ属に属する昆虫の一種名。
春から秋にかけて各種の花に飛来し、背面は緑色で、体長は14-20mmほど。
花の受粉に深く関わっている昆虫の一つ。
和名の由来は成虫が花に潜り、花粉や蜜を食することによる。
カナブン、ハナムグリ、コガネムシ・・・みんなコガネムシ科。
農作物や植物に対しては害虫だが、都会の家に入って来たぶんには何ら悪さはしない。
↑ 写真比較においてハナムグリが特にでかいと言う事はない。
北川先生 第 7 回
香川大学を定年退官され、香川短期大学の学長に就任、地域に根差した大学づくりや学生に自信を持たせる教育に力を注がれた。
北川先生の学長就任時は香川県内に六っも短大があったが、今残るのは二っだけ。これも先生の教育理念が正しかった証し。
北川先生 第 6 回
外国産果実の輸入自由化問題に直面し、国産果実の強みを説いた話や、苺の「ラクチン栽培」の開発、
私生活では奥様と一緒に社交ダンスのレッスンを受け、今も続けておられる話など・・・。
瀬戸大橋を渡る時、いつも見おろす櫃石島、いつか行きたいと思っていた。
橋で陸続きになったとは言え、マイカーでは行けない。
行き方で検索すると坂出駅からバスが出ている。与島で乗り継ぎする。
与島まで琴参バスで行き、そこから櫃石まで下電バス(下津井電鉄)に乗り換える。
この乗り換え時間がダイヤによっては、30分くらいと結構長い。
真上に櫃石から下津井へ架かる橋が迫ってくる。
瀬戸大橋は架かる場所によって名前があり、この橋は下津井瀬戸大橋。
この橋の真下から見上げた景色がこれだ ↓。
何ともすごい人工物、芸術かも知れない。
全長:1,447m、主塔の高さは149m、橋桁から海面までは31m、ケーブルの直径94cmの吊り橋。
この橋のケーブルは、鷲羽山の景観を損なわないとの配慮から、その北端を2本のトンネルの中にコンクリートで固定されているとか。
↓ 王子神社
着物のたもとに入れ持ち帰ったのが、「キイキイ」と鳴きながら、こんなに大きくなったという。
櫃石ではねずみの事を「キイキ」と言い、キイキがいるのは櫃石が豊かだということ。
そこでこのキイキ石を祭る事にした。今でもこの石は少しづつ大きくなっているとか?
島の南側に廻ると、山頂に七福神を祀ってあると言う歩渡島(ぶとじま)が見えてきた。
↓ 七福神へと続く階段
↓ 歩渡島から見た瀬戸大橋(櫃石島橋)、橋の左が岩黒島。
櫃石島の名前の由来となった、櫃を立てたような形から「櫃岩」と呼ばれる岩へは残念ながら行けなかった。
そこで坂出市のブログから「櫃岩」の写真を拝借。
PS
後日(7月31日)、東山さんと言う方からコメントを頂きましたのでご紹介。
母親の実家がここにあり、遊びに行った記憶があります。
紹介してくださりありがとうございました。
懐かしくもあり、新鮮でもありました。
この日は横津町にある幸神神社(八坂神社)の夏祭り。
その祭りに合わせ、NPO法人健康を考えるつどいが、毎年「鎮守の杜のコンサート」と銘打って音楽会を開催している。
梅雨明けが近い頃ともあって、当日、雨が降るか降らぬかの判断は最重要課題となる。
雨の心配がなければ神社の前で、降りそうだと坂出健康会館の中で行う。
この日も微妙な判断が必要となった。朝から晴れて、これは境内でやれる・・・と思った。
だが、午後から雲行きが怪しくなった。怪しい時は屋内でやろうと決める。
案の定、開始時刻前に雷がゴロゴロ鳴り始め、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。
会館の中でと決めたのは大正解。
↓ 青木 精一氏のサックスと中 泰子 氏の歌のコラボ
生の音楽は、いつ聞いても最高!
また広島へ行って来た。
この日は江の浦港から右へ、島の右半分(東回り 約13Km)を廻った。
いろは石巡りの「おくやまコース」。
↓ まずは”お” 「おかげ様」
おかげ様とは、相手の親切などに対して感謝の意を表す挨拶語。
何事にも感謝・感謝の一念で生きる事の大切さを教えてくれる言葉です。
↓ ” く ” 「苦は楽の種」
「苦あれば楽あり」の言葉もありますが、人生においても、苦労ばかりが続くことはない。
この言葉が示すように、現在の苦労は後日の幸福のもととなります。
苦労して身に付けた知識、技能等はその人自身のものとなり、いつまでもそれを活用できます。
人間は苦労して自分自身を磨き上げる存在であり、苦労を乗り越え、新しい希望を持つことが大切と言うこと。
↓ ” や ” 「山の関所は箱根の山よ、海の関所が備讃瀬戸」
箱根の山は天下の険と歌われ、陸の往来の難所、海の往来の難所はやはり備讃瀬戸だろうか。
今でも備讃瀬戸は海上交通の難所となっていて、広島沖にある羽節の灯台は多くの船の海上交通の指標となっている。
その灯台は、海上交通の安全を祈りながら、一人たたずみ、孤独に耐えているよう。
我々人間も、人生における関所(課題)を、安全に通り抜ける(解決する)ことが大切。
↓ ” ま ” 「待てば海路の日和あり」
冬は北風が吹きつけ、海が荒れる日の続く事が多いが、ずっと続く訳ではなく、待っていれば、やがて海が凪ぎ、船が出港できる日も訪れる。
機会を伺い、待っていれば、必ずチャンスが訪れる。
待つ事を楽しみとしてとらえ、日々努力を重ね、チャンスが訪れたとき、自分の持ち味を十分発揮できるよう準備をしておくことが大切。
↓ ” けふ ” 「今日を楽しく」
一日一日を新しい気持ちで過ごす事は、長い人生を送るうえで、大切な事との教え。
↓ ” こ ” 読めない。
お経の一節で、阿弥陀仏の光明は全世界を照らし、念仏をとなえるどんな人も救いとる、という意味。
人は一人で生きているのではなく、多くの人の支えが必要です。また、植物を得るということは、他の生物の生命をもらうということです。
毎日の暮らしの中で、謙虚にそんな感謝の気持ちを持つことが、自分の心の中に光明を宿すということではないでしょうか。
↓ ” え ” 「笑顔は此の世の花」
笑う門には福来ると言い、笑顔は周囲を明るくし人間関係をなめらかにしてくれる。
それに何よりも、笑うことは自身の健康のためにも良く、内臓の働きが活発になり新陳代謝も良くなります。
「笑う」という字には「花開く」という意味もあり、ニコニコと楽しく過ごし、暮らしの中に花を咲かせましょう。
” て ” 、” あ ” は、見つからず。
↓ ”さ ” 「幸いは心の中に生れる」
幸福とは遠くにあるものではなく、自分が幸せと感じられるかどうかが大切なのだ。
↓ ”き ” 「窮すれば通ず」
行き詰まってどうにもならなくなると、かえって困難を切り抜ける方法が見つかる。
失敗は成功の元、必要は発明の母、と言い換えても良い。
嫌いになってあきらめてしまえばそれで終わりですが、その時が辛抱のしどころであり、思案の場なのだという教え。
↓ ”ゆめ” 「夢」
夢を実現させるには、強い意志が必要。
若い時には夢がある、だがその夢も歳とともに失せ、後悔ばかりが残る。
↓ ”み” 「道ハ近キニ在り」
これは中国の思想家孟子の言葉で、「しかるにこれを遠きに求む」と続く。
人の道は、ごく手近な日常生活の中にあるのに、高遠な理論を追いがちである、という意味。
困難な場面に出会った時、小さな事からでもこつこつと努力を続ければ、解決につながる。
↓ ” ひ ” 「人は地に生き、天に遊ぶ」
「善く生きるとは水のようである。水は全ての生命あるものを育み、決して争うことがない。
…人は地にあって善しとし、心は水を湛える淵を善しとし、…ただひたすら争わない。
それによって何も失う事がない。」
生命を最も大切なものとして、無為自然に生きるという「道」について書かれている。
↓ ”も” 「物より金より心」
誰にも、受けた心づかいが忘れられないもの。
↓ ”せ ” 「盛年重ねて来くず」
青春は二度と来ないから、くいのない生き方を しようという意味。
アップダウンが続く林道を歩く事2時間強、やっと分かれ道に出てきた。
案内パンフでは、ここで「おくやまコース」が終了し、
いろはコースの”ほ”から逆回りで江の浦まで帰る事になる。
↓ いろはコースの ”ほ” から。 「本来無一物」
本来、空であるから一物として執着すべきものなく、一切のものから自由自在になった心境。
↓ ”に ” 草に隠れて字が見えない。
忍と言う事は達成のために必須条件
↓ ” は ” 「華のいのちは短くて」
人の一生は花と同じように輝いている時(咲いている時)は短く、苦しい時(咲くまで)の方が多い。
散った後もまた苦しい!
↓ ” ろ ” 「六十の手習い」
60歳は人生最後の出発点である。
↓ ” い ” 「一隅(イチスミ)を照らす これ則ち国宝なり」
↑ 古い物や国宝よりも、各自の持っている力を世のため人のために尽くすように。
以上、石碑の解釈は「広島いろは石」より拝借しました。ありがとうございました。
世界文化遺産、国宝・姫路城へ行って来た。
平成の大修理が始まる前に行った事があると思っていた。
記憶から消えたのかそれとも勘違いなのか?
行ってみて、とにかく城内に入ったのは初めての気がした。
坂出から明石への往復で、何回も姫路駅からお城を見たから、行った気になったのだろうか?
平成の大修理は2009年秋にスタートし、壁の塗り替えと屋根のふき直しを目的に、大天守を閉鎖して工事を行ったとある。
それから約5年半を経て、2015年3月27日 一般公開再開。
総工費 24億円、投入した職人は延べ1万5,000人以上と言うから正に「大修理」だった。
JR姫路駅も大修理に合わせてリニューアルされ、駅前はあか抜けた都会になった。
駅からお城まで「大手前通り」の真っすぐな道路があって、駅から正面にお城が見える。
↓ 駅前から見た姫路城。
お城に近づくにつれ天を突くように威風堂々とそびえる白く輝いた天守が見える。
日本一小さい天守の丸亀城を見慣れた私には、途轍もなく大きい城に思える。
↓ 内堀に架かる桜門橋を渡ると大手門が。
この大手門は、昭和13年(1938年)に完成したもので、位置や大きさは江戸時代のものと全く異なるのだとか。
また桜門橋も、江戸時代の木橋をイメージして平成19年に築かれたもの。
大手門をくぐると、広くて青い芝生の広がる三の丸広場へ出た。
↓ ここから見たお城がこれ。
↓ 喜斎門跡から見る姫路城、まだ修復工事が残っているのか巨大な足場組が残る。
↓ 姫路城のボランティアガイド曰く、ここから見るお城もまた実にいい・・・と。
↓ 最上階に神社あり。
御祭神は、姫路長壁大神と播磨富姫神。古代より姫山に鎮座された由緒ある地主神。
明治15年の城内備前屋敷の火災や昭和20年7月3日の大空襲でも奇跡的に炎上を免れた。
これも、御祭神のおかげと人びとの信仰が篤い。
↓ 姫路城内に播州皿屋敷の怪談で有名な「お菊井戸」があるとは知らなんだ。
↓ 城内案内図
北川先生 第5回
1975年文部省の在外研究員に選ばれ、再びアメリカへ。
かんきつの日米貿易摩擦に遭遇したが、帰国時にはフロリダ州のかんきつ委員会から「フロリダ州のかんきつ研究に貢献した」と感謝状をもらった。
北川先生 第4回
レタスの鮮度維持法やミカンの減酸処理の研究開発、スダチの緑色貯蔵法の開発に貢献された。
特に、スダチはこのアトも北川研究室のおかげで周年出荷が可能となり、徳島県の重要な産物となったが、この事を知る徳島県人は少ない。
北川先生 第3回
氷川丸最後の航海で北川先生がアメリカから帰国した事を今回初めて知った。
氷川丸は今も横浜港に停泊展示されていて、私も見学した事のある船。
帰国後、国立大学では初めてとなる園芸利用学講座が作られた香川大学農学部に赴任され、柿の脱渋技法の開発に取り組まれた。
北川先生 第2回
京都大学へ進学し、農学部の果樹園芸を先攻。
先生の柿とのかかわりはこの時から始まったそうです。
博士課程中にフルブライト奨学生に合格し、イリノイ大学へ留学。
四国新聞の連載記事「メッセージ~香川のリーダーたち~」に
当NPO法人健康を考えるつどいの理事でもある香川短期大学名誉学長・北川 博敏 先生の連載が始まった。
第1回は2017年7月11日、『母は私にとって父でもあった』のサブタイトルで掲載された。
北川先生の生い立ちから始まり、先生の功績が分かる連載となるであろう明日からの新聞が楽しみである。
7月7日(金)、甲子園球場にて 阪神 vs 巨人 を観戦。
18時開始の約一時間前に球場着、周りは虎キチでごった返していた。
甲子園で巨人戦を見るのはこれで4回目、球場がリニューアルしてから初めて。
今まで私が足を運んで、阪神は勝ったことがない。
だから今日も負けだろうと・・・案の定、結果は的中。
この日、幸運にも「虎のハロウィン」=”虎ウィン(WIN)”のイベント日。
虎ウィン(Win)第1弾は4月30日の対中日戦、
第2弾は6月18日(日)の対楽天戦、
そして第3弾が今回7月7日(金)対巨人戦。
受付で、『虎ウィングッズ』の黒髪交じりの金髪カツラを
プレゼントしてくれた。
これをかぶって応援せよと言う。
キャッチフレーズは『みんなで仮装応援して虎に勝利<WIN>を!』
今まで外野にしか座った事がない、それがネット裏の年間予約席で観戦できるなんて・・・。
席の違いにまず驚いた。外野席は背もたれがない、でもネット裏はちゃんとした椅子席だ。
それに見渡す景色も違う、何とスコアボードが正面に見える。当たり前だが・・・。
この日の座席予約は満席だが、試合が始まっても空席が目立つ。
平日とあって会社務めが終わってから来る人も多いのか?
めったに球場には行けないので、私には球場は異様な雰囲気が漂う異次元の世界に思える。
球場での観戦はおとぎの国の出来事で、試合は現実の世界。
その現実の世界はテレビ観戦と言う事か。
おとぎの国では、試合など見ていない。
持ち込みの豪華なお弁当に舌鼓を打ち、売り子から買った冷えたビールに夢の世界へといざなわれていく。
ビールや酎ハイやおつまみは、野外の巨大な居酒屋の如く、役割分担した売り子が、しげしげと席まで持ってくるから、つい飲み過ぎる。
隣のおばさん、夕食弁当のデザートに高級店のショートケーキまで用意している。
ヒットを打った時のみ周りの拍手で気づき、グランドに目を馳せる。
それ以外は飲む、食う、喋るで野球など見ていない。
それでいい・・・ここはおとぎの国なのだから。
その国の始球式はディズニーのミニオンズ・怪盗グルーが務めた。
いよいよ試合開始、当然、巨人先攻。いきなり2点を取られる。
1回裏に上本のホームランで1点を返し、こりゃ~面白くなるかも・・・と。
↓ 4回裏には座席はほぼ満席となった。
で、帰りは交通網の大混雑を避け、7回風船飛ばしと空しい攻撃終了を見計らい帰途につく。
↓ 巨人の攻撃が終わるのを、今か今かと待つ風船たち。
これで甲子園球場観戦4連敗となった。
トホホ!
広島いろは石めぐり
江の浦港から海岸沿いを左に歩き始めて最初に出会ったいろは石。
江の浦港から青木まで。
↓ ”の”
自分の才能を自慢していると、その人にとって成功への道が遠のいている事。
何事も成功に導くためには、多くの人の協力が必要で、自分の才能を自慢ばかりしていると、協力を得ることはできない。
協力を得るためには謙虚さこそが、功を成すために必要なものといえる。
↓ ”う” 、場所は「釜の越」
天空海濶の語源になっている言葉。
度量が大きく、大らかな事を示す。
海のように広い心を持つ事が、どれほど素晴らしい事かを教えてくれる。
心を広くし、心にゆとりを持ちたいものである。
↓ ”む” エンド鼻近くの石碑
心を無にして、浜辺にたたずめば、そよ風が昔を語ってくれるよう。
広島の海をながめていると、心が洗われ、心に新鮮さがあふれてくる。
それと同時に、幼い頃の思い出が蘇ってくる。
人々を育んできた広島をそよ風が語ってくれる。
なつかしいふるさと広島を。
↓ ”ら”
磊(らい)という字の意味は、太っ腹という意味。
人が人として生きていくためには、気が大きく朗らかで小言にこだわらないことも必要。
小言にこだわり過ぎると、どうしても他を批判しがちになり、他に対してはおおらかで寛容の精神で接することが大切。
↓ ”ね”
何事も強い意志の力を持ってすればできないことはないという意味。
↓ ”つ”
拙い事、自分の得意でない事にも、ただひたすらに取り組んでいたらその努力が実を結び、自分の得意とする分野になるという意。
自分の苦手なものを努力により、得意なものに変えていく事が大事。
”そ”、”れ” 見落とし。
果てしない欲望を見限り、不足を不足とせず満足して暮らせば、心が安らかである。
又何事も不満ばかりを言わず、工夫をして実行するとできるはずである。
”よ” 見落とし。
世の中は、時の流れと共にさまざまに変化していくものであるが、
流行にとらわれて不易なものを忘れてはいけない。
↓ ”わ” 『和』
見落とさないように歩いたつもりが、結局「そ・れ・よ」の石碑をカメラに納められなかった。
また次回。
以上、石碑の解釈は「広島いろは石」より拝借しました。ありがとうございました。
広島へ行って来た。
大都市の広島ではなく、丸亀沖に浮かぶ塩飽諸島の中で一番大きな島。
丸亀港から、広島⇔小手島(オテシマ)⇔手島へのフェリーと客船がある。
広島の江の浦港まで、客船なら約 21分、フェリーで約 45分で行ける。
広島へ行くのは初めて。
↓ 広島行きフェリー
↓ まずはネット情報から広島について。
丸亀市の沖、12.5kmの海上にあり、面積:11.66K㎡・周囲:18.5Kmの島。
人口は221人、また、王頭山は塩飽諸島の最高峰(312m)である。
戦国時代末期、長宗我部(ちょうそかべ)氏に敗れた香川一族と長尾一族の落人が住みついたのが始まりとされ、本島と同じく人名(にんみょう)の島でもあった。
主要産業は採石業で、島の南西部で古くから花こう岩(青木石)が採掘されている。
ヤシの木が並び、遠浅の美しい江の浦海岸は海水浴にも最適であり、夏期の休日は多くの海水浴客で賑わっている。
7月1日の土曜日に行ったせいか、海水浴にでも行くのだろう親子連れで、船内は賑わっていた。
↓ 広島到着
ネット情報にも書いてあるように広島は石の島。良質の花崗岩「青木石」を産出する。
海岸沿いに切り出された岩がゴロゴロころがっている。そして迫りくる山肌は露出した岩の波・波。
島の案内パンフにある『ようこそ、しわく広島へ ~ いろは石めぐり ~ 』に出かける事にする。
いろは石とは、塩飽広島出身の書道家である藤本玄幽(本名 正樹)が島の観光祈願のために製作した、45基の石碑に作者独自の作風である錦文字を用いて名言を刻んだもの。
二色で書かれた錦文字は、その碑文を改めて読み返すと、一句一句心の安らぎや自分を見つめなおすきっかけを与えてくれそうである。
石巡りはそんな石碑に出会う旅で約500m間隔の45基をめぐる。
江の浦から山越えで茂浦経由市井→青木→甲路→江の浦へ戻って来る『いろはコース(約14Km)』と、
江の浦から左廻りに立石経由茂浦→江の浦へ戻る『おくやまコース(約13Km)』がある。。
この日は、いろはコースをチョイス、茂浦までの山越えがおっくうで、海岸通りを青木へと歩き出した。
青木まで行ったところで昼近くになった。
青木駅と書かれたバス停で時刻表を見ると、12時10分に江の浦行きの便がある。
もう一万歩以上歩いた達成感と、この日の暑さも更に歩く気力を萎えさせ、島半周のつもりが来た道をバスで引き返すことに。
江の浦で丸亀行きのフェリーに接続していた事も拍車をかけた。
次に来た時は『おくやまコース』を廻ろうと思いながらフェリーの客となった。
「柿茶」の生化学研究所、香川県産の柿の葉の収穫を開始。
耕作放棄された果樹園を再生して地元農家を支援、柿の葉をお茶の原料に活用します。
柿の葉を原料とするお茶「柿茶」を製造・販売する生化学研究所(本社/東京都千代田区・事業所/坂出市江尻町1220・社長/井上信忠)は、今年から、香川県産の富有柿(ふゆがき)の葉を「柿茶」の原料として使用することになり、7月3日(月)と4日(火)の二日間、坂出市府中町2649にある約1000坪の果樹園において、約150本分の柿の葉(約1トン)を収穫します。
■坂出市で初めて、柿の葉茶用の原料葉を収穫
昨年、耕作放棄地となっていた柿の果樹園を借り受け柿の葉を収穫し、お茶に加工するうえで品質的に問題がなかったため今年から正式に原料として収穫することになりました。近年は徳島県つるぎ町の契約農家の柿の葉のみを原料としていましたが、柿茶の増産が必要になり、本格的に県内で柿の葉を収穫することになりました。
■今年収穫して製品化は2020年以降
収穫には、徳島県の契約農家の方(収穫方法の指導役)と、地元坂出市の農家の方、生化学研究所のスタッフ合計約15名が参加します。収穫作業は午前5時ごろから始め、午後2時ごろまで行う予定です。
収穫した柿の葉はその日に当社坂出工場において乾燥、サイロに貯蔵し熟成させてから、3年後以降にようやく「柿茶」として製品化されます。
■荒れていく柿の果樹園を再生、地元農家の雇用創出も
柿の産地は、県内では財田町や塩江町が有名ですが、富有柿は県下全域で生産されています。近年になり柿の収穫が減り、耕作放棄地が増加してきました。山間部だけでなく、坂出市周辺でも柿の果樹園が放置されるようになったため、昨年、香川県農地機構の仲介によって当社が果樹園を10年間借り受け、柿茶の原料茶葉として柿の葉を収穫することになりました。今後は、草刈りや管理、収穫などの作業を地元農家に委託するなど雇用の創出にもつとめ、県産の「柿茶」をブランド化して地域貢献していきたいと考えております。
■柿の葉茶の栄養成分について
柿の葉には、葉酸・カルシウム・鉄分・亜鉛・ビタミンA E C K・タンパク質などの栄養素や、ポリフェノール(カテキン)などが含まれ、「柿の葉のお茶」は健康的なお茶としてテレビなどでも話題になりました。当社の「柿茶」は、農薬不使用・ノンカフェイン・放射能検査済みでどんな人にも安心して飲んでいただけます。
柿茶は(有) 生化学研究所の登録商標です。
6月25日(日)坂出市民ホールで吹奏楽団 『坂出ウッドブラスアンサンブル』 の演奏会が開かれた。
昨年だったか一昨年だったか同じ演奏会に行った時、アンケート用紙に名前・住所欄があって、そこを埋めたせいか案内のハガキが来た。
このハガキ一枚でお一人様無料と書かれている、で、迷わず足を運ぶ。
退職して講演会や演奏会に参加する機会が増えた。
音楽を生で聴く演奏会がこんなに素晴らしい事とは・・・味を知った。
この楽団、歴史は古い。何でも1983年4月、坂出市の高校吹奏楽部OBが中心となり、坂出市民吹奏楽団として創立。1989年現在の名前に変更し、今に至る。
↓ 開演に先立ち綾坂出市長挨拶
↓ 第Ⅱ部、1部とはガラット雰囲気が変わり楽しくポピュラーな選曲で会場も沸いた。
↑ 「ちょっと三太郎」
金太郎・桃太郎・浦島太郎に一寸法師を加えて ”ちょっと” と名付けたらしい。
粋なことをやる!
↓ ルパン三世メドレー
演奏は二階で聴きたい人が多い? それとも椅子のせい?
なかなか楽しい演奏会だった。
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