いろは石めぐり『おくやまコース』
また広島へ行って来た。
この日は江の浦港から右へ、島の右半分(東回り 約13Km)を廻った。
いろは石巡りの「おくやまコース」。
↓ まずは”お” 「おかげ様」
おかげ様とは、相手の親切などに対して感謝の意を表す挨拶語。
何事にも感謝・感謝の一念で生きる事の大切さを教えてくれる言葉です。
↓ ” く ” 「苦は楽の種」
「苦あれば楽あり」の言葉もありますが、人生においても、苦労ばかりが続くことはない。
この言葉が示すように、現在の苦労は後日の幸福のもととなります。
苦労して身に付けた知識、技能等はその人自身のものとなり、いつまでもそれを活用できます。
人間は苦労して自分自身を磨き上げる存在であり、苦労を乗り越え、新しい希望を持つことが大切と言うこと。
↓ ” や ” 「山の関所は箱根の山よ、海の関所が備讃瀬戸」
箱根の山は天下の険と歌われ、陸の往来の難所、海の往来の難所はやはり備讃瀬戸だろうか。
今でも備讃瀬戸は海上交通の難所となっていて、広島沖にある羽節の灯台は多くの船の海上交通の指標となっている。
その灯台は、海上交通の安全を祈りながら、一人たたずみ、孤独に耐えているよう。
我々人間も、人生における関所(課題)を、安全に通り抜ける(解決する)ことが大切。
↓ ” ま ” 「待てば海路の日和あり」
冬は北風が吹きつけ、海が荒れる日の続く事が多いが、ずっと続く訳ではなく、待っていれば、やがて海が凪ぎ、船が出港できる日も訪れる。
機会を伺い、待っていれば、必ずチャンスが訪れる。
待つ事を楽しみとしてとらえ、日々努力を重ね、チャンスが訪れたとき、自分の持ち味を十分発揮できるよう準備をしておくことが大切。
↓ ” けふ ” 「今日を楽しく」
一日一日を新しい気持ちで過ごす事は、長い人生を送るうえで、大切な事との教え。
↓ ” こ ” 読めない。
お経の一節で、阿弥陀仏の光明は全世界を照らし、念仏をとなえるどんな人も救いとる、という意味。
人は一人で生きているのではなく、多くの人の支えが必要です。また、植物を得るということは、他の生物の生命をもらうということです。
毎日の暮らしの中で、謙虚にそんな感謝の気持ちを持つことが、自分の心の中に光明を宿すということではないでしょうか。
↓ ” え ” 「笑顔は此の世の花」
笑う門には福来ると言い、笑顔は周囲を明るくし人間関係をなめらかにしてくれる。
それに何よりも、笑うことは自身の健康のためにも良く、内臓の働きが活発になり新陳代謝も良くなります。
「笑う」という字には「花開く」という意味もあり、ニコニコと楽しく過ごし、暮らしの中に花を咲かせましょう。
” て ” 、” あ ” は、見つからず。
↓ ”さ ” 「幸いは心の中に生れる」
幸福とは遠くにあるものではなく、自分が幸せと感じられるかどうかが大切なのだ。
↓ ”き ” 「窮すれば通ず」
行き詰まってどうにもならなくなると、かえって困難を切り抜ける方法が見つかる。
失敗は成功の元、必要は発明の母、と言い換えても良い。
嫌いになってあきらめてしまえばそれで終わりですが、その時が辛抱のしどころであり、思案の場なのだという教え。
↓ ”ゆめ” 「夢」
夢を実現させるには、強い意志が必要。
若い時には夢がある、だがその夢も歳とともに失せ、後悔ばかりが残る。
↓ ”み” 「道ハ近キニ在り」
これは中国の思想家孟子の言葉で、「しかるにこれを遠きに求む」と続く。
人の道は、ごく手近な日常生活の中にあるのに、高遠な理論を追いがちである、という意味。
困難な場面に出会った時、小さな事からでもこつこつと努力を続ければ、解決につながる。
↓ ” ひ ” 「人は地に生き、天に遊ぶ」
「善く生きるとは水のようである。水は全ての生命あるものを育み、決して争うことがない。
…人は地にあって善しとし、心は水を湛える淵を善しとし、…ただひたすら争わない。
それによって何も失う事がない。」
生命を最も大切なものとして、無為自然に生きるという「道」について書かれている。
↓ ”も” 「物より金より心」
誰にも、受けた心づかいが忘れられないもの。
↓ ”せ ” 「盛年重ねて来くず」
青春は二度と来ないから、くいのない生き方を しようという意味。
アップダウンが続く林道を歩く事2時間強、やっと分かれ道に出てきた。
案内パンフでは、ここで「おくやまコース」が終了し、
いろはコースの”ほ”から逆回りで江の浦まで帰る事になる。
↓ いろはコースの ”ほ” から。 「本来無一物」
本来、空であるから一物として執着すべきものなく、一切のものから自由自在になった心境。
↓ ”に ” 草に隠れて字が見えない。
忍と言う事は達成のために必須条件
↓ ” は ” 「華のいのちは短くて」
人の一生は花と同じように輝いている時(咲いている時)は短く、苦しい時(咲くまで)の方が多い。
散った後もまた苦しい!
↓ ” ろ ” 「六十の手習い」
60歳は人生最後の出発点である。
↓ ” い ” 「一隅(イチスミ)を照らす これ則ち国宝なり」
↑ 古い物や国宝よりも、各自の持っている力を世のため人のために尽くすように。
以上、石碑の解釈は「広島いろは石」より拝借しました。ありがとうございました。
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