三島物語
坂出市観光協会が主催する”まちあるき(とことこ坂出)”と言うイベントの中に『三島物語「岩黒島・櫃石島編」』と題したぶらり旅がある。
三島とは岩黒島,櫃石島,歩渡島の事。坂出市の広報で応募していた。
応募は今回で二度目だが、前回は選に漏れた。
漏れた後、どうしても行きたくて7月に一人で行った。
今回はもう一度行ってもいいかなぁ~と軽い気持ちで応募したら、皮肉なもので今度は当選した。
あいにく当日は台風22号が接近中の雨天。
JR坂出駅前から、市のマイクロバスで出発した。
瀬戸大橋に乗り、最初は岩黒島へ。自治会長のお迎えを受け、早速島内めぐり。
櫃石島は、面積約 0.85㎢,周囲 5.4Km,人口172人(80世帯)、瀬戸大橋が架かる一番北の島。
↓ まず、平家の姫を祀った三社神社
海に囲まれ容易に本土巡礼に行けないので、せめて島内で拝む場所が欲しいとの切なる思いからミニ霊場ができたのだろうか?
↓ 次は、宝珠寺内にある市内最古の蘇鉄。
↓ 花見山へと向かう、晴れていれば絶景スポットの西浦海岸が見渡せる。
↓ 花見山にはこんな巨岩がゴロゴロしている
↓ 同じく王子神社にある落ちそうで落ない石燈籠
↓ 櫃石の札」場
札場とは、塩飽勤番所からの「定め」や「布告」などを掲示する場所。
塩飽諸島は古代より船舶の寄港地、あるいは水軍の根拠地として、各時代を通して常に重要な役割を果たしてきた。
殊に織田信長や豊臣秀吉などはその水軍の中核として、塩飽の地の島民を重用し、特別な権益を与えて島民を保護した。
徳川家康もまた島民を重要視して幕府直轄の天領とし、船方650人に人名権を与え、その自治によって島中を治めるた。
塩飽勤番所は本島に置かれ、人名から選ばれた年寄によって島中の諸事が行われていたが、ここで決まった事を塩飽各島に伝えるため掲示する場所が、この札所という訳。
櫃石島では島人が最も寄り集まりやすい共同井戸の傍らに建てられた。
お昼となり、島の人達の手作り弁当を頂いた。
昼食が終わり、櫃石島と小さな橋でつながっている歩渡島(ぶとじま)へ行く予定だったが、
雨も降るので、バスの中から島を見ただけ。
私は今年7月にひとりで行った時、島に上陸したから良しとした。
↓ その時の写真
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