高野山
高野山に行くのは、これで2回目。
最初は現役の頃、会社の同僚とバイクで行った。
オートバイの中型免許を取り、400ccのカワサキオートバイを購入してライダー気取りだった。
もう遠い遠い懐かしい思い出。
高野山のロッジで一泊したような記憶があるが定かでない。
途中山路で急カーブとスピードの出し過ぎで、転倒した記憶もあるが・・・???。
今回は息子の免許取りたての練習運転を兼ねる高野行き。
いやいやもう一つ大事な目的があった。
四国八十八箇所参りが結願して、そのお礼参りに行かな行かなと思いながら、もう15,6年経ち、ずっと気になっていた。
八十八ヵ所を巡り終えた同行二人の報告と感謝の気持ちをお大師様にお伝えするためだが、遅すぎた。
でも行かないよりはマシと思って。
お礼参りする真言宗総本山金剛峯寺や奥の院は、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。
高野山についてネットより、
平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つ。
現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。
山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
恥ずかしながらお礼参りは金剛峯寺でするものと思っていた。
それで、金剛峯寺より先に行った奥の院で納経帳に印をもらう時、
四国八十八箇所巡りの奥の院では押印するページが番外なので、それと同じと思い込んで
『どこか空いてるページに御朱印お願いします』と帳面を差し出した。
すると、窓口にいた僧侶が少し軽蔑したような眼差しで私の顔をまじまじと見た。
良くは聞き取れなかったが、
巡礼しておきながらこんな基本的な事もこいつは知らないんだ~
みたいな事を言われ、またまた恥をかき、またまた勉強になった。
『ここですよ! ほら納経帳の一番最初のページにあるでしょ! 』 と。
へぇ~知らなんだ! へぇ~知らなんだ!
↓ 奥の院
↓ 手前の橋は御廟橋
この橋を渡ると弘法大師空海御廟への霊域となる。
この橋は36枚の橋板で出来ているが、橋全体を1枚として計37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、橋板の裏には仏を表す梵字が刻まれているらしい。
古くから、お大師様が参拝する者をこの橋までお迎え下さり、帰りはお見送りして下さると信じられている。
従来木の橋だったが、今は木橋を模した石橋とか。
↓ 納経所
奥の院への参道には織田信長、豊臣秀吉、武田信玄などの歴史に名を残している戦国武将や名立たる武士、著名人などの墓所や基碑が所狭しと並んでいる。
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