Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2018年3月

ベトナム その11 (古都ホアール)

奇岩観光の後は、同じニンビン省にある古都ホアールへ。

ここには、中国王朝による支配から脱し、初のベトナム王朝を建国(968年)した

丁朝(ディンチョウ)の首都があった

ホアルーは唐(中国)の都、長安にならって設計され、また長く中国の支配を受けていたことから、その景観はどことなく中国を彷彿とさせる。

↓ 東門

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↓ 狛犬? 姿かたちは日本とは違う。

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1010年にハノイへ遷都されるまでの約44年間、法整備や軍事強化などベトナム国家の礎を築きあげた。

現在の「古都ホアルー」の遺構は、17世紀に再建された初代皇帝ディン・ティエンホアンと、

二代皇帝レー・ダイハインの霊廟となっている。

↓ 観光客を乗せる水牛、お客がいないので持主(?)が乗っている。

牛にはいい迷惑?

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↓ 第一の門 ” 廟門”

初代皇帝 ”ディン・ティエンホアン廟” の入口となる門。

門稍鑰(ひもんしょうやく)と書いてある。

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門をくぐると真っ直ぐな道が。

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↓ 第二の門

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↓ 第三の門

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第三の門をくぐり直進すると、

二本の門柱の先にあるのは、皇帝を祀る本堂。

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↓ 本堂

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↓ 本堂の屋根にも何やら彫刻が。

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↑ 本堂の前の通称「龍の庭」に刻まれたレリーフ。

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ホアール観光を終え、またハノイのヒルトン・オペラHotelへ帰って来た。

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ベトナム その10 (タムコック観光)

タムコックはベトナム北部、ニンビン省にある景勝地で省の南東に位置しンゴドンが流れる。

中国国境付近からハノイ周辺にかけては石灰岩の地盤が、過去に何度も隆起・沈降し、そこに雨や海水の浸食が加わって、独特の景観を造り出している。

↓ 上の赤印がハロン湾、下の赤印がタムコック、左上にハノイがある。

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タムコックは「陸のハロン湾」とも、

中国の桂林に似ている事から「ベトナムの桂林」とも呼ばれる。

↓ 奇岩見物の出発地、観光客を乗せる多くの手漕ぎ船がたむろする。

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↑ 船頭は手でこぐ人もいるが、たいていは足を器用に使ってこぐ。

この足漕ぎ船の運賃は一人約150万ドン(7,500円)と高額。

実入りが良いので、こぎ手(船頭)になりたい人が大勢いて、輪番制。

で、週に1~2回しか仕事は回ってこないとか。

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↓ 私の乗ったボートの船頭は手漕ぎ

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↓ Uターン付近には商魂逞しい物売りおばちゃん船が数隻たむろして、

何か買えと追いかけて来る。

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↓ こんな巨岩の下も通る。

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↓ タムコック観光地の地図

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おまけ

私の乗ったボートの船頭さん、他の人がほとんど足漕ぎなのに、開業して間なしなのか手漕ぎ。

足で漕ぐ船頭を観察するに、足漕ぎはかなりのスキルと経験が要るみたい。

足漕ぎ船頭は両手が空くので、傘をさしたりスマホを見たりの余裕がある。

手で懸命に漕ぐ様を見かね、私もアルミの小さなオールで手伝った。

観光なのに結構疲れた!

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ベトナム その9 (ニンビン)

ハノイ市内観光が終わり、この日の宿泊先・ニンビンへ。

ハノイから車で約2時間。

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着いたホテルは、エメラルダ リゾート ニンビン ホテル。

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田舎のホテルは都会のビル形式とは違い、有り余る広大な土地に平屋建て・・・が多い。

ここもそのひとつ。

↓ こんな道の両側に二戸建て又は一戸建てのコテージが並ぶ。

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↓ 門まである。

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↓ コテージ

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ここニンビンは、石灰質の奇岩が織りなす景勝地で有名。海の奇岩はハロン湾。

ニンビンの中でもチャンアンとタムコックが有名で、前者は世界遺産にも登録されている。

今回、行ったのはタムコック。

明日は奇岩見物。

ベトナム その8 (街中風景)

中東アジアの国はどこでもそうだが、なにせオートバイの数が半端じゃない。

↓ 道路幅いっぱいに広がって走る。

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横断歩道はあるが信号機はない、だから歩行者は命がけで横断する。

私も一度トライしたが、怖かった~。

車もバイクも歩行者もいっぱいで、事故はないの? と、ガイドに聞いたら少ないとの事。

その証拠に私が6日間の滞在中、交通事故の現場は見た事がなかった。

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↓ 人力タクシーか?

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↓ 讃岐うどんのチェーン店「丸亀製麵」、へぇ~ こんなところに?

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ベトナム その7 (チャンクオック寺)

次はチャンクオック寺へ。

↓ このお寺はハノイ北部にあるタイ湖の島に鎮座する。そのアクセスBridge、

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ベトナム最古の仏教寺院。

もともと6世紀中頃に紅河のほとり、イエンホア村の付近に建立されたお寺で、名前も開国寺と呼ばれていたが、1440年にアンクオック寺院と改称され、1616年に現在の場所に移された際、チャンクオック寺院と再改称され現在に至っている。

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↓ 阿弥陀如来,お釈迦様,菩薩,関羽.チャン・フン・ダオに至るまで

  あらゆる神様、聖人が祀られている。

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特徴はなんといっても11重の塔。

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↓ インドから贈られたという菩提樹

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有松

名古屋城を後にして、次の観光地は有松の町並み見物。

その前に、まずは昼食。

自然食品の店”ヘルシングあい”へ行く。

ここにも柿茶を置いてくれている。

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↓ この日のランチ定食

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名古屋市内から車を走らせる事約一時間、有松へ到着した。

有松の東海道沿いの町並みは平成28年7月、重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

↓ 有松の町並み

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丁度この日は「春のありまつさんぽ道」のイベントの真っ最中で、

町が”福よせ雛プロジェクト”に参加している事から、

古町の軒先には数多くの雛人形が展示されていた。

従来の飾られ方でない風景が新鮮に思えた。

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テーマを決めて、ひな人形が並んでいた。

↓ 題して「百人一首のおはなし」

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↓ 「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」

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↓ 「言わぬが花」

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↓ ウルトラマンとコラボしたお姫様

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↓ ちょっと面白かったのは、泥棒さん?

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ちなみに「福よせ雛プロジェクト」とは、

女児の誕生を祝い、祖父母から贈られる雛人形だが、

核家族化や住環境の変化などにより、子供が大きくなると傷みも汚れもないのに不要とされ、人形供養などの場で処分される。

このプロジェクトでは、処分されようとする雛人形を少しでも救い、また何かの役に立つことができないかとの問題提起から発足した。

なかなか良いところに着目した事業と思う。私も娘が子供の時に飾った雛人形を持っているが、綺麗なので捨てがたく物置に置いてある。

処分するには供養もせにゃあいかん・・・とは最近知った事だ。
有松には歴史的な町並みに加え、伝統産業である「有松絞り」も有名。
有松絞りは400年前、糸でくくった木綿を藍などの草木で染めたことに始まり、
絞りの技法は100種類にもなる。
ああああああああああああああああああああああああああああああ
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名古屋城

金のしゃちほこで有名な名古屋城。初めての訪問。

↓ 名古屋城入り口

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名古屋城は御三家筆頭・尾張徳川家の居城で、初代城主は江戸幕府を開いた家康の九男・徳川 義直。 

慶長14年(1609)、家康が築城を決め、翌15年石垣普請が着工され、17年に大小の天守や各櫓が完成。 

普請を命じられたのは加藤清正ら西国大名20名で、城内の石垣には目印として各大名が刻んだ刻印が多数残っている。

慶長20年(1615年)に本丸御殿、元和3年(1617年)には二の丸御殿が完成し二の丸御庭,御深井御庭なども整備され、名古屋城は天下の名城としてその名をとどろかせました。

明治維新後、この城は陸軍省の所管となり、名古屋鎮台司令部や兵舎が置かれたが、明治26年(1893年)に宮内省に移管され「名古屋離宮となった。

昭和5年(1930年)12月、名古屋市に下賜されると同時に国宝に指定され、翌年から一般公開が始まり、昭和7年(1932年)には名古屋城全域が特別史跡に指定された。

昭和20年5月、第二次世界大戦末期の空襲で、天守や本丸御殿など国宝建造物24棟が焼失。

焼失を免れた3つの隅櫓と3つの門、それに空襲直前に取り外していた本丸御殿障壁画・1,047面が、戦後重要文化財に指定された。

昭和34年天守閣と正門がほぼ昔どおりの外観で再建され、平成21年(2009年)には本丸御殿の復元工事が始まり、平成25年(2013年)に玄関並びに表書院が完成、現在も平成30年内の全体完成をめざし工事中。

↓ 正門

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↓ 正門を入り左へ行くと、レプリカのしゃちほこが置いてあった。

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↓ 西南隅

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↓ 奥に見えるのが天守閣

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↓ 表二之門をくぐると本丸御殿が見えてくる

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昭和20年の空襲で天守閣とともに全焼したが、平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月には入口にあたる玄関,謁見の場である表書院など公開開始。

↓ 玄関一之間

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↓ 本丸から見た天守閣

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↓ 金鯱(きんしゃち)

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しゃちはシャチでも、海にいるシャチとは全く関係がないそうな。

このしゃち、体は魚、頭は虎、だから漢字で魚へんに虎と書く。

鯱も鬼瓦同様、建物の守り神としてお城やお寺の装飾に使われ、雌雄一対の夫婦。

↓ 清正石

名古屋城で最大の石で、ここ本丸搦め手枡形の石垣は黒田長政の担当だったが、あまりに巨大なため、普請の名手・加藤清正が積み上げたと伝えられ、”清正石”と呼ばれている。

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↓ 外堀(昔は水があった?)

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↓ 焼失前の本丸御殿と天守閣

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前立腺肥大

村田敏明先生が、前立腺肥大の友にカエル体操を勧めたところそれで直ったとの報告があった。

夜の頻尿もカエル体操で改善されると言う。

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猿投温泉

新幹線で名古屋駅を何回も通過したが、降りた事はなかった。

金沢の村田さんが、名古屋で講演会をすると言うので、これはいい機会とNPO研修旅行を兼ねて名古屋へ。

講演会が終わり、この日の宿泊先は豊田市の愛知高原国定公園内にある猿投温泉ホテル”金泉閣”。

名古屋市在住のNPO法人健康を考えるつどいの会員・熊代さんが紹介・予約してくれた。

名古屋市街から車で一時間ちょっと。

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「猿投」の地名が変わっているので調べてみた。

猿投山の山麓にある猿投神社の社蔵文書によると、

景行天皇が伊勢国へ赴いた際、可愛がっていた猿が不吉なことを行ったので、

猿を海へ投げ捨てた。

その猿がどう助かったのか、今の猿投山に籠もって住んだとされることから、

"猿投"と呼ばれるようになった・・・・と。

↓ 金泉閣

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↑の道を上がっていくと鈴ヶ滝神社へ出る。

↓ 鈴ヶ滝不動明王(創建1554年)

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↓ 鈴ヶ滝

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↓ 鈴ヶ滝橋

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↓ 鈴ヶ滝湖

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↓ 案内板に書いてある鈴ヶ瀧の由来と伝説

古から山は信仰の場になっており、猿投山(標高629m)もその一つである。

猿投山に詣ずる修験者達がこの澤を通り、この瀧で身を清めて頂上に向かった錫杖の音が耐えなかった事から、この瀧を鈴ヶ瀧と呼ぶようになった。

15世紀に入り中央には織田信長,豊臣秀吉,徳川家康,北条早雲など群雄が割拠し、戦国時代んと呼ばれ、この地方も三河北辺の護りとして重要な拠点をなしていた。

当時この地は松平清康が支配し、衣(現在の豊田市)を中心に広瀬城,上野城,寺部城,衣城,福谷城,八草城などがあり、この城主たちが松平清康に反抗し、連合して戦ったが、利あらず敗退し、天文18年この地を中古広見城主中条将監秀正が代わって治めていた。

文和4年(1554年)秀正の愛育せる鷹が澤の大樹に巣を作っており、これを猿投山を徘徊する大蛇が見つけ窺っていた。

城主は村民に命じて監視させていたが、ある日大蛇が現れ巣を襲わんとした。

監視していた二人の村民は用意の弓矢で放つこと18本、この時一天俄かにかき曇り大雨が沛然と降り来たり、その物凄さに恐れ震えて村民は逃げ帰った。

大蛇は矢傷に堪えず山中深く姿を消した。

猿投山の西北に鈴ヶ瀧という滝があり、手負いの大蛇はこの瀧壺に逃げ込み傷を洗い清めた。

村民は川を辿り鈴ヶ瀧に喘ぎ吠える大蛇を切り、身体は鈴ヶ瀧の傍らの洞に祀り、頭は村に持ち帰り手厚く弁才天として祀った。

その時大雨が降ったことから干ばつの時、ここに難を祈れば効顕ありと云われ、鈴ヶ瀧のすぐ下流にある大きな釜石に供物して雨乞いを行うようになった。

アト略。

体がだるい、疲れが取れない時は鈍重肝臓かも By 豊岡 倫郎氏 2018年2月14日

1.こんな疲れで悩んでいる人が多い

体がだるくて、なかなか疲れが取れないので、病院でいろいろ検査しても、格別異常が見つからず、「そんなはずはない、こんなにひどい疲労感があるのに、どこか悪いのに決まっている」と医者に訴えても、医者も困ってしまい、自律神経失調症、心身症、慢性疲労症候群などの病名を付けられて、的外れの薬を処方され、一向に症状が好転しないという事例が多くある。

2.鈍重肝臓とは

鈍重肝臓という病名は医学書にのっていないが、故甲田光雄博士が長年2万人以上の患者の治療にあたってきて、以下説明するような肝臓の悪い人を多く診療してきて、名付けた病名である。

甲田博士自身が医学生の頃に、肝臓病に罹り母校の大阪大学病院に入院して、薬を飲み、治療を受けていたが、一向に良くならず、担当教授から、甲田君いっぺん家に帰って養生したらどうかと、見放されてしまった。そんな時模索していて、出会ったのが築田多吉先生の赤本と呼ばれて有名な「家庭における実際的な看護の秘訣」という本に書いて有った断食をすれば肝臓病も治るという記事だった。そして生駒山の断食道場に入り、無事に健康を取り戻した。更にその時寺井寮長から西勝造氏の「西医学断食法」の本を貰ったという経緯がある。そして大阪大学を卒業し八尾市で開業し、終生西式甲田療法によって、多くの難病患者を救ってきた。

最近話題となっている肝臓の病気に非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)というのがある。お酒を飲まないのに、大食におぼれて、肝臓に脂肪が溜まり、肝機能低下を来す。甲田博士がもう50年も前からその存在を指摘していた鈍重肝臓もこれに相当するという。

3.肝臓の重要な働きとは

今回の記事をよく理解していただくために、肝臓の重要な働きを説明すると。

★胆汁を分泌する。胆汁は主に食物の脂肪の消化吸収に欠かせない。分泌された胆汁は胆嚢に一時貯留、濃縮され、随時十二指腸へ送られる。一日の分泌量は800㏄位である。

★グリコーゲンの貯蔵庫である。摂取した糖質は腸内で消化分解されて、腸壁から吸収されて肝臓へ行き、ブドー糖に変えられ、一部はグリコーゲンとして貯えられて、必要に応じブドー糖として戻り、体内に放出される。

★解毒作用をする。摂取されたあらゆる食べ物は腸管から吸収されると、腸と肝臓を結ぶ門脈を経由して、肝臓に到達すると、分解解毒される。栄養素は勿論、アルコール、薬剤、食品添加物、残留農薬、服用している薬剤などを無害なものに変える。

★血球造成器である。古い赤血球を分解破壊して、胆汁の黄色い色素となる。一方含まれていた鉄分は新しい赤血球を作るために肝臓内に貯えられる。

★アンモニアを尿素に変える。腸内でタンパク質などの消化時に発生する有毒なアンモニアを尿素に変えて、解毒する。

★タンパク質の代謝をする。肉、魚や大豆などのタンパク質は小腸でアミノ酸に消化分解された後、肝臓で体に利用される形のタンパク質に、例えばアルブミン、ホルモンなどに、作り変えられる。

★摂取した脂肪分は腸内で分解され、血中に入って脂肪組織の体内脂肪となるが、肝臓でも一部の脂肪の合成、分解が行われて、貯留する。コレステロールの八割は肝臓で生合成されている。

★体温を維持する器官である。体内で作られる熱量の大半は筋肉と肝臓が負っている。肝臓は寒暑のコントロール器官である。

★ビタミンB1、B6、Kなどやカルシュウムなどの分解合成に関与している。

以上でお解かりのように、我々が生存するために、必要欠くべからざる種々様々な働きをしている。肝臓は一大化学工場である。

4.鈍重肝臓の症状

上述したように、体が疲れていて、それが長期間続き、病院でのいろいろ検査を受けても、異常が見つからない。肝臓の機能を調べるGOTやGPTなどの数値も正常な範囲にあるから、普通の医者は肝臓に異常があることを見落として、誤診してしまう。鈍重肝臓になると、次のような症状が出る。

★とにかく脱力感で、体を動かすのもしんどい、根気がない。

★肩や首がこって、仕事に集中できない。

★いつもイライラしている。

★熟睡できない。

★朝体がだるくて、ぱっと起き上がれない。

★とりこし苦労ばかりで、悲観的になる。

★手足が冷えて、寒がり、また暑がりでもある。

★左下腹部の痛み。

★腹部膨満感があり、便秘する。放屁が多い。

★風邪を引きやすい。

これらの症状はいろいろな検査値に異常がないから心身症と誤診されるケースが多い。このような症状から鈍重肝臓かもしれないという事で、甲田医院では甲田式の断食療法を行うと、今まで正常であったGOTやGPTなどの数値が悪化することで、この鈍重肝臓であることを確信できるという。

5.鈍重肝臓の原因

★長年の過食で肝臓が疲弊している。

★薬剤、食品添加物、残留農薬、大気の汚染物質などの解毒で肝臓が疲弊している。

★宿便が溜まっている。便秘している。腸内で発生した毒素が体内に還流し、肝臓が解毒する。

★厚着、冷暖房完備の環境で、皮膚機能が低下し、静脈怒張し、四肢に血液が渋滞すると、肝臓の血流量が減る。すると肝機能低下し、胆汁分泌量減少する。肝臓には毎分1.5リットルの血液が流れているが、その流れが悪くなると、機能が低下する訳である。

★精神的なストレスがある。

★体がだるいのは何か栄養が不足なのではと、更に高栄養食品を食べて、悪循環する。

6.治療法

★キメ手は少食にする。少食の時は質に注意し、玄米、生野菜ジュース、大豆製品、ゴマ、海藻、小魚の摂取が必須。食品添加物の多い加工食品は排除。酒や甘いものは一切ダメ。

★病状に応じて、断食療法をする。これは必ず医師の指導の下に行わねばならない。

★生水の飲用。

★皮膚の鍛錬として裸療法、温冷浴をする。静脈の怒張を治し、毛細血管を再生する。

★適度な運動と骨格矯正。肝臓疾患の人は頸椎4番、胸椎4~8番の副脱臼があるから、木枕、金魚運動、合掌合蹠法、毛管運動など行う。これも現代医学の盲点のひとつである。

★宿便や便秘解消のために、西式健康法では「スイマグ」という水酸化マグネシュウムの緩下剤を飲む。

★精神面では、今までの間違った生活習慣を反省し、警鐘として受け止め、前向きに生きる。

7.もうひとつ体の疲れる病気に慢性疲労症候群がある

疲労感がいつまでも続いて、どうしても取れないと、医者へ行き、いろいろ検査を受けると、これは慢性疲労症候群(CFS)と診断されるケースも増えてきている。日本に約40万人いるという。20代から50代の人が多い。この病気の診断基準は厚生労働省によって、1991年頃に定められていて、医者の間でも共通の認識があって、その原因や治療法も研究が進んでいるが、これも難病のひとつである。今回説明は省略。

8 .まとめ

1)昔から肝腎かなめという言葉があるように、肝臓と腎臓は大事な臓器である。今回取り上げた鈍重肝臓は現代医学の医者の間では知れ渡っていない為、誤診されるケースが多い。しかし故甲田光雄博士によると、数百万人は居るのではないかと、書かれている。

2)今回取り上げた鈍重肝臓と慢性疲労症候群(CFS)の病気のことに、関心のある方は、ぜひ下記の本を読まれるとよい。更に詳しく病気のことも、治癒体験談も載っている。これ等の難治性の病気が薬も使わずに、食事と健康体操のみで、治癒してゆく姿は感動に値する。つくづく体の営みの本質とはなにかを垣間見ることができるのである。

「肝臓病克服のキメテ」甲田光雄著 采根出版発行

「慢性疲労症候群克服への道」甲田光雄著 東方出版発行

3)甲田光雄博士はこうも言っている。現代医学ではうつ病は脳のセロトニンが不足して起きると言っているが、気分循環障害に属するうつ状態は鈍重肝臓が原因である。即ちセロトニンはアミノ酸のトリプトファンを原料にして作られるが、トリプトファンは食品に含まれるほか、肝臓で合成されるので、肝臓の機能が低下していると、トリプトファンを摂取しても、うつ病は治らないと。要は食べ過ぎて腸が悪くなると、肝臓も悪くなるという。多くの鈍重肝臓の患者に接して、共通した悪い生活習慣は皆若い時からの大食漢であったという。長年大食して、肝臓を酷使した結果だという。肝臓は沈黙の臓器と言われているように、七割以上機能が低下して初めて、顕著な病状が出てくるから、油断しやすいし、手遅れとなるから怖い。

4)病気治しは癖治しという。難病にかかる人は皆悪い癖を持っているという。その悪い癖を長年続けた結果が病気の発症となる。大食、酒、甘いもの、肉食、食品添加物の多い加工食品、運動不足、ストレス、骨格の歪みなど心当たりのある人は、まず反省して、改めないと、薬で病気は根治しないことは、前回の病気別人数の多さを見れば解かる。医は食を超えらない。

5)今の子供は可哀そうである。若い母親が元気に育ってほしいと、高脂肪、高蛋白の食事を食べさせられ、忙しいからと言って手軽に、インスタント食品や店屋物のフライやら、菓子パンを与えられて、肝臓は脂肪や蛋白質および食品添加物やマーガリンの分解に疲弊してしまう。このような小さい時からの飽衣飽食の生活習慣のため、若年層にも増えてきているという。

6)肝臓の働きには、判っているだけで500種類以上あり、その働きを円滑にするために、二千種類以上の酵素が肝臓に存在し,一大化学工場となっている。肝臓を酷使しても、痛みが出ないから、つい油断してしまうのがいけない。今ひと時の口福が次なる幸福の妨げとならないように。

おわり

NPO法人 研修旅行

NPO法人健康を考えるつどいの年中行事となった研修旅行、

昨年は人数不足で中止したが、今年は、金沢の「自然健康会」を運営する村田敏明先生が名古屋で講演会をすると言うのでその聴講を兼ね名古屋へ行くことに。

参加人員は9名。

10時半頃名古屋へ到着、

まず柿茶も売ってくれている玄米食の店”のら”へ昼食も兼ねて訪問。

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店の中は食事スペースを圧倒するほど自然食品が並ぶ。

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↓ 玄米食の効能

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美味な玄米定食を食べ、講演会会場へ行く。

会場は名古屋市内の金山市民会館、主催は「日本冬桜の会」。

チラシには『新春講演会』と銘打っているが、えっ!今さら「新春?」と思ってしまった。

日本冬桜の会はボランティアで桜に関する野外活動をしている団体らしいが、

健康講演会も定期的にやっていると聞く。この日の講演会はその一環。

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↓ 西峯会長挨拶

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↓ 村田先生講演会

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↓ 80~100人入る会場はほぼ満席、盛会だった。

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↓ 講演内容は村田先生が毎日実践する健康体操法について。

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木枕を使う事で頸椎をアーチ型に保ち、

白内障や緑内障の予防, 難聴予防, 虫歯予防などに効果がある話や、

柿の葉茶の飲用でビタミンCが摂取でき、歯や骨を丈夫にし美肌になる話、

イオナミンで宿便を取り、癌予防,認知症予防,脳卒中予防になる話など・・・盛りだくさんの内容だった。

↓ 最後に体操法の実演

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↓ 研修会参加者

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ベトナム その6 (文廟)

次は文廟へ。

↓ 文廟入り口

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↓ 文廟門

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ベトナムで最も古い大学が置かれていたのが「文廟」。

文廟とは”孔子廟”の違う呼び方。

1070年に建立され、1076年には国内初の大学「国子監」が敷地内につくられ、王族・貴族の子弟や官僚が学んでいた。

この事から、孔子を祀る場であるだけでなく、学問にご利益のある場所として、外国の観光客のみならず国内からも多くの人が訪れる。

↓ 私も外国人だが、とある外国人観光客の記念写真を撮影。

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門をくぐるとバッチャン焼きの煉瓦を敷き詰めた真っすぐな道が続き、二つ目の門「大中門」に至る。

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↓ 屋根の上に逆立ちした鯉がある。

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その昔、登ることは不可能と云われ、もし登り切れば龍になると言われた滝があって、多くの魚が挑戦。

だが、成しえなかった。

そんな中で、ある日とうとう滝を登り切った魚がいて、そしてその魚は見事に龍になった。

以後この滝は竜門と呼ばれるようになったが、

何と!この登った魚というのは鯉だった…という中国の逸話がある。

鯉は困難に打ち勝ち、成功を収めるものの象徴・・・らしい?

知らなんだ。

大中門をくぐると第3の門「奎文閣」に至る。

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↓ ティエンクアンという名前の池

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池の両側に亀の甲羅の上に乗った石碑が並ぶ。

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この石碑には、科挙(昔の官僚登用試験の事)の合格者の名前と出身地が刻まれているらしい。石碑に刻まれるほど難しい試験だったに違いない。

↓ 第4の門「大成門」

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門をくぐった先に、孔子の祀られている文廟があった。

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↓ 拝殿の祭壇

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「萬世師表」と書かれた意味は「永遠に人々の模範となる先生」の意で孔子を指す。

↓ 拝殿を抜けて大聖殿に入ると孔子象があった。

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中国はベトナムと隣接する国。

なので、日本や韓国と同様、大昔から中国の文化が深く浸透しているのだ。

ベトナム その5 (ホーチミン廟)

↓ ホーチミン廟、タンロン遺跡同様ここもこの日は休みで中に入れず。

ホーチミンは、フランスの植民地支配から抜け出し、アメリカとの泥沼の戦争をゲリラ戦で勝ち抜いたベトナム国民の英雄。

亡くなって30年以上が経っているがその遺体はいまだこの廟にあり、見学できると言う。

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↑ 24時間警備が行われている。

1時間ごとに行われる衛兵交代の儀式は、台湾・台北の忠烈祠で行われている衛兵交代のセレモニーと同じだろうか?

↓ ホーチミン廟の向かいにある国会議事堂

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ベトナム その4 (大教会)

次に案内されたのは、ハノイ大教会 (セント ジョセフ教会 St. Joseph's Cathedral)。
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この教会は、左右に高さ315mの鐘塔を持ったゴシック様式の建築物。

高温多湿の地で風雨にさらされ、約120年が経過した外壁はかなり汚れて、黒ずんでいる。

この建物は奥行き64.5m、横幅20.5mで、左の塔には大きな鐘がひとつ、右の塔には四つの小さい鐘があって、中央の大きな時計と連動して鐘が鳴るとか。

フランス植民地時代の遺産であるこの大教会は、今やベトナムの文化的価値を持つ財産。

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↓ 教会前の風景

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教会を後にし、次に向かった観光地は世界遺産「タンロン遺跡」。

残念ながらこの日は休みで中に入れなかった。

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タンロンとは昇龍の意でハノイの旧称、2003年から発掘された遺跡群のひとつ。

1010年から1804年までほぼ一貫してベトナム諸王朝がここに都を置いたため、各時代の遺跡が重なっているのが特徴で、2010年8月にユネスコの世界遺産に登録された。

↓ 塀まわり

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ベトナム その3 (ドンスアン市場)

2018年1月15日(月)、朝からハノイ市内観光。

ハノイには到着日から出発日まで4日間いたが、天気は晴れるでもなく雨が降るでもなく、毎日どんよりとした曇り空。

と、言うより、PM2.5が飛んでいるのかスモッグに包まれたような天気。

ハノイの街中は、東南アジア各国で見慣れたあの雑然として埃っぽく活気に溢れるもの。

平日や休日に関係なく多くの若い女性やおばちゃん達が時には大声をあげ、時にはひつこく観光客にまとわりつく。

こんな風景に鬱陶しい思いの反面、敬意さえ感じることがある。

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ガイドのMr.Tho(トゥさん)が、まず最初に連れていってくれた所は、ハノイ二大市場のひとつ・ドンスアン市場。

ハノイ市街地では最大規模を誇る屋内市場とか。

↓ 市場建屋内

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↓ 外観(写真はネットから)

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市場の周りにも多くの店が道一杯に連ねてものを売る。

売れ残ったら毎日どうするのだろう?と要らぬ心配をしながら通り過ぎる。

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↓ パンを売る女性・・・さぞかし頭が重かろうなぁ~。

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ベトナム その2 (通貨)

ベトナムのお金の単位は”ドン”。

驚くのは紙幣に書かれたゼロの数、とにかくゼロが並ぶ。

まずは ↓ の2,000ドン紙幣、日本円に換算すると約10円也。即ち1,000ドンが約5円。

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↓ 一万ドン=50円

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↓ 五万ドン=250円

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↓ 10万ドン=500円

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↓ 20万ドン=1,000円、この上に50万ドン=約 2,500円紙幣がある。

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ベトナムのお金の単位は ‘đ’や ‘VND’と 表記され ‘ドン’と呼ばれる。

この「ドン」の由来はベトナム語のコイン(đồng tiền/ 銅錢)から来たもの。

コインは使われてないので、ベトナムに自動販売機はない。

今回の旅行に現金で5万円持って行ったから、ドンに直すと、何と

”1,000万ドン” 大金持ちになった気分だ。

ベトナムのお金に描かれている人物は全部ホーチミン主席。

参考に「ホー・チ・ミン」は、ベトナムの革命家で政治家。

植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父で、初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。

新スクール開設のお知らせ(音OTOあそび)

NPO法人健康を考えるつどいが運営する健康会館に、この度新しいスクールが開設される事になりました。

内容は、

親子で楽しもう! 音OTOあそび

はじめての習い事におススメ!

ゼロ歳児から幼児期に大切な音あそびや、リズムあそびを親子で体験できる教室。

音あそびやリズムあそびは幼児期に大切とされている五感の育成・より豊かな感性を育てることができると注目されています。

保育士の経験を生かし、月齢・年齢に合った指導・アドバイスをしています。

まず、体験会を開催致しますので、そのご案内。

■ 日時:4月16日(月)10時~11時

■ 場所:坂出市江尻町1220番地  ダイレックス前の「坂出健康会館」

■ 会費:500円

■ 申込:090-4971-1201 尾形まきこ 迄

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講師紹介

■ 尾形 まきこ

■ ベビーリトミックインストラクター
保育士
幼稚園教諭

■ メール:kyo-0223.haru-0105@docomo.ne.jp

ベトナムへ(出発)

2018年1月14日、日本発、1月21日帰国でベトナムへ行って来た。

昨年に引き続き兄弟旅の第2弾、昨年はスリランカだった。

弟が旅程を計画、飛行機からホテルまで手配してくれるので、ただ付いて行くだけの楽しい旅である。

関空に8時半集合との事で、坂出からは高速バスしか手段がない。

東香川の志度にバス停があり、付近に無料駐車場もあると言う。

弟夫婦の車に便乗する事にした。

家を午前4時頃出発、こんなに早く起きたのは現役時代、建造船の試運転乗船以来かも知れない。

さて、ベトナムについて私の知識は?と言うと、

ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤で双方の体がくっついて生まれた双子のベトちゃん,ドクちゃんくらい。

そこでベトナムについて調べてみた。

まず正式な国の名前は『ベトナム社会主義共和国』

そうなんだぁ~社会主義の国、中国やキューバ,ラオスと同じ。

国旗は「金星紅旗」で赤は独立の為に人民が流した血と社会主義を象徴する。

星は共産党による国家指導を表し、星の黄色は革命を、星から出る五本の光は、

『労働者・農民・兵士・青年・知識人』を表しているとか。

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首都はハノイ、ASEAN加盟国、 通貨はドン、人口:9,250万人。

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国土は南北に細長く、北は中国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。

首都はハノイ、ASEAN加盟国、 通貨はドン、人口:9,250万人。

国土は南北に細長く、北は中国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。関空からハノイまでベトナム航空の直行便がある。

飛行時間は約5時間20分。

いざ、ベトナムへ出発!

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