名古屋城
金のしゃちほこで有名な名古屋城。初めての訪問。
↓ 名古屋城入り口
名古屋城は御三家筆頭・尾張徳川家の居城で、初代城主は江戸幕府を開いた家康の九男・徳川 義直。
慶長14年(1609)、家康が築城を決め、翌15年石垣普請が着工され、17年に大小の天守や各櫓が完成。
普請を命じられたのは加藤清正ら西国大名20名で、城内の石垣には目印として各大名が刻んだ刻印が多数残っている。
慶長20年(1615年)に本丸御殿、元和3年(1617年)には二の丸御殿が完成し二の丸御庭,御深井御庭なども整備され、名古屋城は天下の名城としてその名をとどろかせました。
明治維新後、この城は陸軍省の所管となり、名古屋鎮台司令部や兵舎が置かれたが、明治26年(1893年)に宮内省に移管され「名古屋離宮となった。
昭和5年(1930年)12月、名古屋市に下賜されると同時に国宝に指定され、翌年から一般公開が始まり、昭和7年(1932年)には名古屋城全域が特別史跡に指定された。
昭和20年5月、第二次世界大戦末期の空襲で、天守や本丸御殿など国宝建造物24棟が焼失。
焼失を免れた3つの隅櫓と3つの門、それに空襲直前に取り外していた本丸御殿障壁画・1,047面が、戦後重要文化財に指定された。
昭和34年天守閣と正門がほぼ昔どおりの外観で再建され、平成21年(2009年)には本丸御殿の復元工事が始まり、平成25年(2013年)に玄関並びに表書院が完成、現在も平成30年内の全体完成をめざし工事中。
↓ 正門
↓ 正門を入り左へ行くと、レプリカのしゃちほこが置いてあった。
↓ 奥に見えるのが天守閣
昭和20年の空襲で天守閣とともに全焼したが、平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月には入口にあたる玄関,謁見の場である表書院など公開開始。
しゃちはシャチでも、海にいるシャチとは全く関係がないそうな。
このしゃち、体は魚、頭は虎、だから漢字で魚へんに虎と書く。
鯱も鬼瓦同様、建物の守り神としてお城やお寺の装飾に使われ、雌雄一対の夫婦。
↓ 清正石
名古屋城で最大の石で、ここ本丸搦め手枡形の石垣は黒田長政の担当だったが、あまりに巨大なため、普請の名手・加藤清正が積み上げたと伝えられ、”清正石”と呼ばれている。
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