猿投温泉
新幹線で名古屋駅を何回も通過したが、降りた事はなかった。
金沢の村田さんが、名古屋で講演会をすると言うので、これはいい機会とNPO研修旅行を兼ねて名古屋へ。
講演会が終わり、この日の宿泊先は豊田市の愛知高原国定公園内にある猿投温泉ホテル”金泉閣”。
名古屋市在住のNPO法人健康を考えるつどいの会員・熊代さんが紹介・予約してくれた。
名古屋市街から車で一時間ちょっと。
「猿投」の地名が変わっているので調べてみた。
猿投山の山麓にある猿投神社の社蔵文書によると、
景行天皇が伊勢国へ赴いた際、可愛がっていた猿が不吉なことを行ったので、
猿を海へ投げ捨てた。
その猿がどう助かったのか、今の猿投山に籠もって住んだとされることから、
"猿投"と呼ばれるようになった・・・・と。
↓ 金泉閣
↑の道を上がっていくと鈴ヶ滝神社へ出る。
↓ 鈴ヶ滝不動明王(創建1554年)
古から山は信仰の場になっており、猿投山(標高629m)もその一つである。
猿投山に詣ずる修験者達がこの澤を通り、この瀧で身を清めて頂上に向かった錫杖の音が耐えなかった事から、この瀧を鈴ヶ瀧と呼ぶようになった。
15世紀に入り中央には織田信長,豊臣秀吉,徳川家康,北条早雲など群雄が割拠し、戦国時代んと呼ばれ、この地方も三河北辺の護りとして重要な拠点をなしていた。
当時この地は松平清康が支配し、衣(現在の豊田市)を中心に広瀬城,上野城,寺部城,衣城,福谷城,八草城などがあり、この城主たちが松平清康に反抗し、連合して戦ったが、利あらず敗退し、天文18年この地を中古広見城主中条将監秀正が代わって治めていた。
文和4年(1554年)秀正の愛育せる鷹が澤の大樹に巣を作っており、これを猿投山を徘徊する大蛇が見つけ窺っていた。
城主は村民に命じて監視させていたが、ある日大蛇が現れ巣を襲わんとした。
監視していた二人の村民は用意の弓矢で放つこと18本、この時一天俄かにかき曇り大雨が沛然と降り来たり、その物凄さに恐れ震えて村民は逃げ帰った。
大蛇は矢傷に堪えず山中深く姿を消した。
猿投山の西北に鈴ヶ瀧という滝があり、手負いの大蛇はこの瀧壺に逃げ込み傷を洗い清めた。
村民は川を辿り鈴ヶ瀧に喘ぎ吠える大蛇を切り、身体は鈴ヶ瀧の傍らの洞に祀り、頭は村に持ち帰り手厚く弁才天として祀った。
その時大雨が降ったことから干ばつの時、ここに難を祈れば効顕ありと云われ、鈴ヶ瀧のすぐ下流にある大きな釜石に供物して雨乞いを行うようになった。
アト略。
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