Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2018年5月

ベトナム その23 (ホーチミン市内観光 統一会堂)

サイゴン中央郵便局を出て、次に向かった先は「統一会堂」。

この建物は、南北統一前の南ベトナム政権の大統領官邸で、戦争終結のシンボル。

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1975年4月30日、この会堂の門をベトナム解放軍の戦車が無血入場し、事実上ベトナム戦争は終結した。

ここは南ベトナム時代の大統領官邸としてのきらびやかな面 ↓ と、

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軍事会議室 ↓ や、

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脱出のためのヘリポート ↓ など、

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随所にみられる戦争という同民族同士が戦った面が見られる。

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↓ 防空壕への階段か?

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↓ ベトナム国旗と旧ソ連の旗が並ぶ部屋”慶節室”は、今でもサミットなどに使われているとか。

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↓ 中庭

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↓ 近日中に何かイベントがあるのか?正面の芝生に仮設舞台を設営中だった。

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↓ その舞台で兵士が何やら練習中。

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統一会堂を後にし、次は戦争証跡博物館へ。

ベトナム その22 (ダナンからホーチミンへ)

2018年1月18日ダナン空港からホーチミン空港へ。

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ホーチミンへ着いたときは20時を過ぎていた。

現地ガイドのアンさんが迎えに来てくれ、そのまま「サイゴンプリンスホテル」へ。

ホテルの名前を聞いてホーチミンはその昔、サイゴンと言う名前だった事を思い出した。

1月19日 朝食後、ホーチミン市内観光へ。

↓ ホテルから見る市内風景 

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全般的な印象だがホーチミンがベトナムの中では一番活気もあり綺麗な街に思えた。

オートバイがいっぱい走っているのはどこも同じだが・・・・。

↓ 大教会

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ホーチミン市内中心に建つ19世紀末に建てられたレンガ造りの教会で、ネオゴシック様式のカトリック教会。

二つの尖塔が特徴的で、門前には聖母マリア像が建つ。

このマリア像は数年前に涙を流したとして地元のニュースで話題となったことがあるとか??。

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↓ 大教会のすぐ隣にあるのがサイゴン中央郵便局

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現在でも通常の郵便・通信業務を行っており、コロニアル様式の観光名所としても有名。

ホールの中央部および建物両側は観光客相手のみやげ物売り場となっている。

日本の郵便局の中に売店があるって感じ。

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ちなみにコロニアル様式とは、植民地時代の建築様式の事。

この様式の建物は、植民地の材料や風土を生かし、本国の建築様式と結合させた事が特色。

サイゴンには、すばらしいコロニアル建築が多くあるが、中でもこの郵便局の美しさは格別とか。

内部は格調高い樽型のホールになっており、床は一面にクリーム色のタイルが張られている。

壁を飾るのは、手描きによる細密な地図の数々。

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フランス人建築家グスタフ エッフェルが設計し、1891 年に完成したこの建物は、ベトナムにおけるルネサンス建築の傑作として知られている。

入口正面には独立革命の指導者ホーチミンの肖像画が飾られている。

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↓ 真ん中に売店、両脇に郵便局の業務用カウンター

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あべのハルカス

坂出市西大浜南自治会が親睦旅行に行くのは実に10年ぶりと言う。

前に行ったのはひと昔前で高知へ。

今回の親睦旅行先は大阪あべのハルカスと大阪市立阿倍野防災センター。

一週間前から分かっていたが、この日(5月13日)は雨。

しかもその前後の日は快晴ときた。

よっぽど運が悪いが、数ヶ月前から日程は決めていたので仕方なし!

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↑ のように見えるはずが、この日は雲の中 ↓。

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一日中、雨にたたられた一日だった。

あべのハルカスは、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビル。2010年1月9日に着工され、2014年3月7日に全面開業した。

2017年現在、日本で最も高いビル、2017年、グッドデザイン賞を受賞。

尿トラブルの悩みの解決策

2018年5月度 豊岡健康情報 2018-5-10  豊岡倫郎 氏

1、加齢と共に増える尿トラブル

加齢と共に老人特有のいろいろな体の不調が出てくるが、尿トラブルもその一つである。どうしてこんな症状が出てくるのだろうか。どう対処したらよいのだろうか。確かな解決策がないのだろうか。

2、膀胱の仕組み

膀胱は腎臓から送られてきた尿をためておく器官で、膀胱の内側には尿を押し出す排尿筋がある。また尿が勝手に漏れないように、内尿道括約筋と外尿道括約筋という二つの尿道括約筋によって、膀胱の出口は閉じられている。下図参照。

膀胱の尿の最大容量は約500CCで、尿管を通じて排出する量は一日に約1から1.5リットルである。排出のタイミングを決めるのは、膀胱内の一定の圧力を感じると、脳へ信号が伝えられて、尿意を感じる。

そして脳から排尿命令が下ると、尿道括約筋がゆるみ、排尿筋が収縮して、排尿が始まる。また男性の場合は尿道を取り巻くようにして前立腺がある。

3、尿トラブルのいろいろ

加齢と共に発生する尿トラブル(排尿障害)の主なものは、過活動膀胱、前立腺肥大、尿モレ、夜間頻尿である。これ等の症状は中高年から増えだして行き、段々日常生活の質の低下を招く。

4、過活動膀胱

急に我慢のできない尿意を感じてしまうのを、切迫性尿意という。その結果、トイレに間に合わず漏らしてしまうのを、切迫性尿失禁という。また尿意を感じる間隔が短くなって、トイレ回数が増えるのを、頻尿と呼んでいる。

これらは過活動膀胱の特徴的な症状で、自分の意志とは関係なく、膀胱の筋肉が働いてしまう病気である。有病者は男女ともにみられ、約一千万人以上いるという。40歳代から増え出し、70代では三人に一人はいるという。

5、過活動膀胱の原因

加齢と共に膀胱への血流低下により酸素や栄養の不足、代謝の低下、冷えなどによって衰えて、柔軟性が失われて、硬直して、縮小してくる。少しの尿量でも、強い尿意を感ずるようになる。

男性の場合は前立腺肥大症、女性の場合は骨盤底筋の衰え、その外に、脳と膀胱を結ぶ神経系のトラブル、ストレス、緊張、肥満、便秘、運動不足がある。

6、前立腺肥大症

加齢に伴って、前立腺が肥大し、尿道を圧迫して、尿が出づらくなったり、叉は前立腺組織が固くなって、尿が出づらくなることもある。その結果、排尿にやたら時間がかかったり、排尿後に出し切った感じがしない残尿感や尿に勢いがなくなる尿勢低下、尿のキレが悪く、トイレから出た後に起きるチョイ漏れも起きることがある。前述したように、過活動膀胱の原因にもなっているから、その悩みは深刻である。

前立腺肥大は、50歳過ぎから増えだし、70歳代では80%の人にみられるという。

7、前立腺肥大症の原因

加齢のせいだと言ってしまえばそれまでだが、では何故加齢と共に前立腺が肥大するのだろうか。はっきりと解明されていないが、血の巡りが良くないことが要因の一つと考えられている。

なお女性の場合は、子宮筋腫という病気があるが、これも加齢が一つの原因と考えられている。

肉や乳製品などの高脂肪、高蛋白の欧米食、お酒も肥大を招くという。

8、 尿モレ

排尿に関係する腎臓や膀胱の機能には、性差はないが、体の構造上、男性は尿道が長く、女性は短い。そのため女性は尿モレを起こしやすい。例えば咳やくしゃみをしたとき、笑ったとき、運動をしたとき、階段を降りるとき、重い荷物を持ち上げたときとか、お腹に力を入れたときに漏れるため、腹圧性尿失禁という。

9、尿漏れの原因

一番の原因は骨盤底筋の衰えという。女性の骨盤内には、膀胱、子宮、直腸などの臓器をハンモック状に支えている強靭な幕を骨盤底といい、その骨盤底を形成している筋肉群を骨盤底筋と呼んでいる。下の図参照。

加齢と共に骨盤底筋や靭帯が衰え、緩んでくると、尿モレを起こしやすいと言われている。

衰えがさらに進むと、膣から膀胱や子宮、直腸が降りて出てくる骨盤臓器脱になることもある。

骨盤底筋は排泄機能にも関係していて、その衰えは過活動膀胱や便秘の原因にもなるという。

この骨盤底筋は日頃使わない筋肉のため、加齢と共に衰えるスピードは速い。

10、夜間頻尿

より厄介なのが夜間頻尿である。就寝後夜中に一回以上尿意をもよおして、起きねばならないという症状をいう。日中は頻尿ではないが、夜間頻尿が特に困っている人も多い。40歳以上では400万人いるという。そして高齢になるほど増加してくる厄介な症状である。夜中暗いし、寒いし、睡眠不足にもなり、悩みは尽きない。

11、夜間頻尿の原因

前立腺肥大、骨盤底筋の緩み以外にも、高血圧症、睡眠時無呼吸症候群、糖尿病、心臓病、水分の摂り過ぎ、下半身のむくみなど色々原因がある。

12、これら尿トラブルの対策

1)下半身の強化

老化は足からという言葉が如実に当てはまるのが、下半身の老化である。ヘソから下にある臓器や組織の機能を左右するのは、足の血流である。足を動かし鍛えることが必要である。

特に太腿にある内転筋を動かして、血流を良くすれば、それに比例して下半身にある臓器など機能も活発になる。更に足首や膝、股関節、骨盤に歪みがあると、これらの臓器の機能にも影響が出る。内転筋を鍛えるには、西式健康法の合掌合足蹠体操を一日に100回行う。

叉はスクワット体操を一日に50回行うと内転勤が鍛えられるし、股関節の矯正にもなる。

合掌合足蹠体操は、正しい姿勢の基本である骨盤の歪みを矯正しふくらはぎや内転筋を最大限双方向に収縮、拡大させることにより、下半身の血流を非常に旺盛にしてくれる。実行方法は、平床などの上に仰向けに寝て、両手を胸の上で合掌させます。足裏もぴったりと合わせる。膝を曲げて開き、足の裏を合わせたまま足を前後に縮めたり伸ばす往復運動を行う。右の図参照。Photo

スクワット体操には色々なやり方があるが、自彊術で行っているやり方は、右の図のように、両足を80センチくらい開いて立ち、中腰にしゃがむと同時に両手を前へ突き出す。そのとき親指を中に入れて、両手で握り拳を作る。次に手のひらを開きながら、後方へ跳ね上げてながら立ち上がる。これを繰り返す。

2)骨盤底筋の強化

骨盤底筋トレーニングを行うとよい。方法は仰向けになって、両足を肩幅に開いて、膝を立てる。息を吸うと同時に肛門、膣、尿道をキューッと締める。それを5秒保つ。そして息を吐くと同時にゆっくりと緩めて、全身をリラックスさせる。これを一日に20回行う。Photo_2

更に日頃から猫背の姿勢をしていると、骨盤が後ろへ傾いてしまい、骨盤底筋が緩んでしまう。

3)食事療法

  • 暴飲暴食を慎む
  • 塩分を摂りすぎない
  • 唐辛子、わさび、コショウなどの刺激物を控える。
  • ミカン、グレープフルーツ、酢の物など酸味の強いものは避ける。
  • カフェインの多い緑茶やコーヒー、炭酸飲料を控える。

4)体を冷やさない。冷えは筋肉を収縮させるし、自律神経を乱れさせて、膀胱を収縮させる。

5)自律神経のバランスを保つ。副交感神経が過激に興奮すると膀胱の収縮が起きるのである。

6)指圧療法

おヘソと恥骨の間に気海、関元、中極の三つのツボが縦に並んでいる。そこに両手の手のひらを重ねて、右回りに50回、次に左回りに50回ゆっくりさする。

次にお尻側の仙骨に両手のひらを左右に並べて、上から下へ50回、次に下から上へ50回こする。

次に手首の手のひら側の手首の一番上のシワから指二本分下、親指側にある列缺(れっけつ)のツボを親指の腹で20回押す。両手共行う。

7)足のむくみを取る。

寝る前にふくらはぎを絞るようにさする。また西式健康法の
毛管運動をする。Photo_4





毛管運動のやり方は右の図のように、あおむけに寝て、両手両足を垂直に上に伸ばして、微振動させるだけである。両手両足は肩幅に開く。出来れば首の下に半円形の木枕をする。なければ座布団を二つ折りにして、枕代わりとする。1~2分くらい行う。

8)寝る前に大量の水分を摂らない。

9)急に尿意を催した時、家にいる場合は、訓練として行うと良いのは、尿意をぐっとこらえて、我慢してみる。こんなケースを何回も繰り返していると、だんだん長く我慢できるようになってくる。

13、まとめ

1)予防に勝る治療法はない、という言葉があるが、最近つくづく思うことは、お年寄りの健康格差がだんだん広がってきていることである。尿トラブルに限らず、例えば白内障という眼の病気があるが、80歳になっても発症しない人もいれば、もう60歳で手術している人もいる。その差は何だろうか。

2)老人特有の病気は発症するまでに要した時間は、成人になってから、40年も50年も経ている。その間健康に気を付けてきた人と乱れた生活態度をとってきた人では、格差が出るのは当然である。悪い癖は若いうちに改めないと、年老いてから泣きを見ることになる。

3)この記事を書くのに読んだ本の中に書いてあったことは、尿トラブルが若年化しているということだった。ガンになる人の若年化が進んでいることは以前からよく聞いていたが。世の中の生活環境が悪いのか、若い人達の生活習慣が間違っているのか。それともどっちもどっちなのか。いづれにしても日本人の健康状態は確実に悪化していることは間違いないようだ。

おわり

ベトナム その21 (ホイアン旧市街地)

ここホイアン旧市街地は、16世紀末以降、国際貿易港として繁栄し、江戸幕府とも貿易が盛んに行われ、御朱印船が頻繁に行き交っていた場所。

当時約1,000人の日本人が居住し、日本人街も形成されていた。

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日本橋を渡り左へ、チャンフー通りを歩いていると福建會館が見えてくる。

↓ 福建會館の門

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「福建會館」は、250年ほど前に建てられた建造物。

この街の古い建築物は、どれも中華文化を感じさせられるが、福建會館は格別の中国そのものの寺。

横浜の中華街にある関帝廟に行ったことがあるが、それとそっくり。

規模は広さも建物もこちらが上。

ホイアンが世界の貿易港であった頃から、 現地で暮らしていた華僑が建てたものであり、日頃から華僑たちの集会場としても使われてきたという。

華僑が建てた、という意味では、関帝廟も福建會館も同じ経緯であると言ってもいい。

↓ 門を入る

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↓ 狛犬もいる

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↓ 中庭

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そのまま真っ直ぐ進むと、屋根のある集会場。

↓ 集会場入口

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中に入ると天井から円錐型に渦を巻いた紫色の線香が吊り下げられている。

↓ 参拝者が短冊に願いを書いて火をつけるらしい。

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この線香、何時間くすぶるのだろう? その間に願いが叶う?

↓ 街中風景

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↓ カップルか? 撮影か?

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羨まし~い。

さて今晩、最終工程のホーチミン市へ飛ぶ。昔のサイゴンへ。

ベトナム その20 (来遠橋)

ベトナム・クアンナム省のホイアン旧市街地はその全体が世界文化遺産になっていている。

↓ 旧市街地

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来遠橋はその旧市街のチャンフー通りとグエン・チ・ミンカイ通りを結ぶ場所にかかる幅3m、長さ18mの瓦屋根付きの太鼓橋。

↓ この川に架かる橋

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修復を繰り返しながら既に400年以上歴史のある石橋で、ホイアンを代表する観光名所の一つ。

今から425年前の1593年当時、ホイアンに居住していた日本人が架けたと言われている事から、日本橋とも呼ばれている。

日本は江戸時代の鎖国が始まるまで、ホイアンと交易が盛んだった歴史があり、この橋は当時の日本人町と中華街を結んでいたとされる。

橋の名前は、論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けたとされる。

↓ 来遠橋入口

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↓ 橋の中から入口を見る

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橋を渡ると言うより神社かお寺の中に入った感じ

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申年に建築が始まり戌年に終わったことから、橋の両端には申と戌の木像がある。

↓ 申

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↓ 戌

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今のベトナム語で、「橋寺」とも呼ばれ、その名が示す通り、橋の中に祠が設けられている。

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↑ 祠への入口

↓ 中に入ると仏壇?

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↓ 来遠橋を渡り、外から橋を眺める

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↓ 橋を渡っても旧市街地の街並みが続く

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ベトナム その19 (ミーソン遺跡)

ミーソン遺跡はダナンから南へ約70Km、クンナム省ミーソンにある遺跡で、かつてベトナム中部で栄えたチャンパ王国の宗教・ヒンドゥー教シヴァ派の聖地。

1999年に世界文化遺産に登録された。

ここには、7世紀~13世紀にかけての遺構が残っているが、遺構の大半がベトナム戦争により破壊したため、現在も修復作業が続いている。

↓ 入口

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↓ ゲートを入ると整備された道が続く。

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↓ 10分程歩くと電動カートの乗り場があってそれに乗る。

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↓ 電動カートで行けるのは遺跡の約1km手前、矢印まで。そこから歩く。

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↓ 電動カート終点あたり

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↓ 遺跡への道

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↓ 休憩所、遺跡はここから始まる。

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↓ 遺跡の配置図らしき看板だが、大雑把すぎて分からない

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↓ 最初に見た遺跡群

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↑ 入口から中に入ると天井のない広場に出る。

↓ そんな広場の真ん中には、必ずこんな石がある。

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ガイドさん曰く、これは男性のシンボルで子孫繁栄を祈願しているのだと言う。

↓ この写真はそれとすぐ分かる。

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露骨に至る所にシンボルを設置したのは、動物として、子孫を残す事が食べる事の次に重大事だったに違いない。

↓ こんな風景が続く

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↓ 文字らしき石碑、スリランカで見たような文字?

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↓ 発掘品の数々

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↓ 子孫繁栄、乳房とか。

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↓ ひときわ観光客で賑わっていた遺跡

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↓ 案内地図があるものの、私の頭の中では遺跡と一致しない。

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↓ 歴史のお勉強

チャンパ王国とは現在では少数民族となっているチャム族が築いた王朝と言われている。

宗教は主にヒンドゥー教のシヴァ派だが、それにとらわれることなく、インド文化を柔軟に取り入れてたとされている。

チャンパ王国が謳歌した時代は北ベトナムよりも高い技術力を持っていたと言われており、その理由は交易にあったと言われている。

海沿いに王国を築いたチャンパ王国は中国やインド、オランダなどの欧米まで交易の手を広げ、レベルの高い建築技術を取り入れていたと考えられている。

このミーソン遺跡はフランス統治時代にフランス人に見つかる前は大自然に囲まれた森林でした。

現在では発掘作業も進み、徐々にチャンパの歴史も明るみになってはきているものの、まだまだ謎は残っている。

ベトナム その18 (ハイヴァン峠)

この日(2018年1月18日)はフエからハイヴァン峠を越えてダナンへ行く。

フエからダナンまで車で約2時間の旅路。ここハイヴァン峠は途中休憩のオアシスだ。

トイレタイムとも重なって丁度いい。

いつも霧の中のような天候だったが、この日は青空が広がって気持ちがいい。

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↓ 峠へ到着、標高約480m。

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↓ 歴史を感じさせる地図看板、サッパリ分からぬ。

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昔から国防の要として要塞が築かれていたこのハイヴァン峠には今も数多くの銃弾が残る要塞跡がある。

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門らしきレンガ造り建物には「海雲關」とある。

元号が明命なので、グエン朝の明命帝在位中(西暦1820年~1840年)に作られたものか。

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↓ 門の中

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↓ 峠はこんな感じ

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↓ 結婚式の前撮りか?

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一休みした後、ダナンのミーソン遺跡観光へ向かう。

ベトナム その17 (国立歴史博物館)

ハノイで宿泊したヒルトン・ハノイ・オペラ ホテルのすぐ近くにあったので行ってきた。

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敷地は1876年にハノイ政府がフランスに譲渡した最初の土地。

それ以後はフランスの管轄地として、フランス領事館および領事公館が置かれていた。

1910年にフランス極東学院がサイゴン(現ホーチミン市)からハノイへ移ってきたのをきっかけに、「フランス極東学院博物館」となり、初代院長のルイ・フィノーの名にちなんで「ルイ・フィノー博物館」と呼ばれていました。

現在の建物は1932年に建てられたもので、八角形の屋根が印象的な建物は、フランス人建築家・エブラールによる設計で、1932年完成。

ベトナムの伝統建築様式とフランスの西洋式建築様式が融合した、いわゆるインドシナ様式建築の第1号で、ハノイで最も美しい建築物の一つと言われている。

従って、この建物は、建築マニアにとっても垂涎の建築物とか。

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こんぴら歌舞伎

国の重要文化財に指定されている金丸座で「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開かれるようになって、早や 34年になるという (初回公演は1985年)。

瀬戸大橋が開通して30周年、それより4年も前から始まったとは・・・・。

そんな古い歴史があるのに、地元の私は見た事がなかった。

長男の嫁の実家からお誘いがあった。 ラッキー,ラッキー!

そう言えば、歌舞伎を見るのも初めて! 何でも初めてづくしの体験。7

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↓ 観覧席も特等S席。
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↓ 中の様子

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午後15時半開演の第二部の演目は「義経千本桜(鳥居前)」・「鎌倉三代記」・「石橋(しゃっきょう)」の三本。

「義経千本桜」のストーリー(ネットより)

義経と駿河、川越の三人は伏見稲荷まで逃れてきます。後から静御前が追いつきます。静御前は自分も一緒に行きたいといいますが、義経は女人禁制の多武峰(とうのみね:奈良県桜井市)の寺へ行くので連れて行けません。

遅れて弁慶が追いつきます。「弁慶のおかげで卿の君の死が無駄になった」と義経は怒り、扇で弁慶を何度も叩きます。弁慶は涙をはらはらと流し謝ります。静も一緒に謝ってくれてようやく弁慶は許されます。

義経一行は、多武峰へ行くのはやめて、船で西国へ向かうことにします。やはり危険な船旅のため静を連れて行くことはできません。一緒に行きたいと訴える静に、形見だと「初音の鼓」を与えます。静は同行を許されないのならこの場で死ぬというので、しかたなく鼓の調べ緒(しらべお)で静を木に縛り立ち去ります。

一人残された静。追手の残党・逸見藤太(はやみの とうた)に見つかります。藤太は鼓を奪い、静を連れて行こうとします。そこへ義経の家来・佐藤忠信(さとう ただのぶ)が現れます。忠信は不思議な力を使って藤太を討ち取り、静を助け鼓を奪い返します。実はこの佐藤忠信は白狐が化けているのですが、その真実がわかるのは四段目です。

助けられて静は大喜び、義経一行も戻ってきて忠信を褒めます。義経は褒美に自分の大鎧と自分の名前である「源九郎」を与え、これからは「源九郎忠信(げんくろう ただのぶ)」と名乗り、静を守れと命じ、静を忠信に預けて別れます。

一本目の義経千本桜は予備知識がなくても、なんとなぁ~くストーリーが分かったが、
二本目・鎌倉三代記は、さっぱりチンプンカンプン!

後でパンフやネットで知って、そうかそうか!あの場面はこういう事か・・・と、納得。

三本目の「石橋」も後でネットで見たら深い意味があった。

だが、それを知らずに見ても歌舞伎役者扮する獅子が毛を振り踊るさまは感動もの。

とにかく見どころいっぱいの舞台だった。

石橋の後半は、舞台にも客席にも天井から紙吹雪が舞い、観客も役者と同化したような錯覚にさせる演出で、「お見事!」としか言いようがない。

この日は今回の公演の最終とあって、用意した紙吹雪をすべて舞い降ろしたのではないかと思ってしまった。

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脳科学者の茂木氏も観劇されたようで、下のような感想を残している。

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私も全く同感・同感。

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