ベトナム その24 (戦争証跡博物館)
ホーチミン市内にある博物館で、米国相手に歴史的な勝利を収めたベトナム戦争に関する写真や資料、兵器などが展示されている。
↓ 博物館入口
↓ 入口広場には戦闘機や戦車が並ぶ
ベトナム戦争と聞いて思い浮かぶのは、枯葉剤が原因で胴体がくっついて生まれたベトちゃんドクちゃん双子のこと。
日本で切り離し手術が行われた事も記憶に新しい。
それ以外あまり知らない、で、調べてみた。
第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地。
第二次世界大戦が勃発するとドイツの快進撃もあり、1940年6月にはフランスは降伏し、
日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することになります。
しかしその日本も最終的には敗北、
それをうけ1945年9月、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟が「ベトナム民主共和国」を樹立し、独立することを宣言。
勝戦国の中でも、これを認めたくないのはフランス、
もともと自国の植民地だったから尚更。
そこでフランスは、南部に傀儡政権を建国し、ホーチミンの北ベトナムと争うことになる(第一次インドシナ戦争)。
この戦いは8年続いたが、結局フランスの敗北に終わった。
そして1954年7月、ジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断され、南にはアメリカを後ろ盾としたベトナム共和国が誕生。
ところがこの共和国では政権内部が汚職まみれで、政策も国民の大多数を占める農民の支持を得られるようなものではなかった。
南がそんなので、北ベトナムは武力による統一を試み、南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し、内戦が始まった。
1961年、この状態を見たアメリカの大統領ジョン・F・ケネディは、南ベトナムに4,000名の特殊部隊を派遣することを決意。
決意の理由は、ソ連が北ベトナムの後ろ盾となっており、その北が勝利するとベトナムどころかドミノ倒しのように東南アジア各国が次々と共産化してしまうと恐れたためだ。
当時は、ソ連を中心とする共産主義とアメリカを中心とした資本主義との間で冷戦の真っ最中、アメリカはソ連が支援する北ベトナムには勝ってほしくなかった。
しかし、まだこの時点では、アメリカは南ベトナムを支援をするという程度だったが、1964年のトンキン湾事件を機にアメリカは直接介入していくことになる。
このトンキン湾事件とは、アメリカの軍艦が北ベトナムの警備艇に攻撃されたとする事件だが、北ベトナム側ではアメリカが先に攻撃したと反論した。
アメリカはそんなのはどうでもよく、兎に角、軍事介入するきっかけが欲しかっただけ。
当時のアメリカ大統領は、ケネディが暗殺されジョンソンに代わっていた。
ケネディが生きていれば歴史はまた変わっていたかも知れない。
1965年、アメリカは南ベトナムに本格的に軍隊を派遣し、北ベトナムに大規模な爆撃を行う。
アメリカは北ベトナムに255万トンもの爆弾を落としたが、これは太平洋戦争で日本が受けた爆弾(13万トン)の約20倍というから凄い。
猛烈な攻撃を受けた北ベトナムだったが、屈することなく、あちこちのジャングルでのゲリラ戦を巧みに戦い、アメリカ軍を撃破していった。
結局、ご承知のように北の勝利に終わるが、勝因は、
①ソ連などの社会主義陣営が北を支援し続けたこと。
②アメリカ軍は最大時には54万もの兵力を投入するが、ジャングル内では物資や食料の供給が困難で、実際に最前線で戦ったのは3割程度だったということ。
③アメリカ本国にてベトナム反戦運動が起きたこと。
など。
アメリカはベトナムから手を引き、南ベトナムは抵抗のしようもなく、1975年4月30日 10年間続いた戦争は終わった。
この戦争で200万人以上が犠牲になり、この悲惨な戦争を忘れないよう、1975年9月にこの博物館が作られ、今も年間約50万人の人々が訪れるそうな。
↓ オバマ大統領がベトナムを訪問した時の写真
枯葉剤使用の残酷性について、ベトちゃんドクちゃんの写真とも合わせ展示されていた。
第二に世界大戦後も現在に至るまで、この世界に戦いが絶えた事はない。
言葉という人類共通の武器?(道具)を使えば、戦争はなくなると私は思う。
所詮、人間もけだもので、いつまでたっても動物の域を外れることができない。
親が自分の子供を殺めるニュースを聞くたび、人間は動物以下かも知れないと思ってしまう。
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