« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »
結成されて今年で35年になる『坂出ウッドブラスアンサンブル』楽団。
1983年4月、坂出市の高校吹奏楽部OBが中心となり、坂出市民吹奏楽団として創立。
1989年に小編成吹奏楽団として坂出ウッドブラスアンサンブルに名称変更。
以降、演奏活動を続けている。
私がこの楽団を知ったのは、坂出ブランドの会長に就任し、その時の坂出市役所の担当が庄野さんだったことから。
演奏会の案内をされた。彼女はフルート奏者。
演奏会場は坂出市民ホール。
なんでも10年ほど前から練習を始めたそうで、吹奏楽団と三味線のコラボを披露してくれた。
新鮮な感じがしてとても良かった。
楽器を弾ける人はいいなぁ~と前々から思う。
坂出市民ホールは来年3月で休館となる。次はどこの会場で演奏会をするのかなぁ~と気になる。
2018-6-15 豊岡倫郎氏による月例健康情報
題して「小腸の不調は万病の元」
1、今までブラックボックスだった小腸
最近の検査機器の進歩で、今まで観察することが出来なかった小腸の内部を、ダブルバルーン内視鏡とかカプセル内視鏡によって、診断できるようになってきた。そして改めて小腸の健全性の重要さが認識されだした。
2、小腸という消化器官の構造と働き
食べ物は口から食道→胃→十二指腸→小腸(空腸)→小腸(回腸)→大腸→肛門へと消化、吸収されて、最後は排泄されてゆく。
小腸の主な働きは、肝臓から分泌された胆汁や膵臓から分泌された膵液が加えられて、食物の消化分解を進めて、殆どの栄養分はここで吸収される。そして大腸は小腸で吸収しきれなかった食物の残りかすから、水分と少量のビタミンを吸収する。
小腸の長さは約6~8メートルある。それに対し大腸は1.5メートルほどである。小腸の内面は下の図のように絨毛が生えていて、この絨毛を平らにすると、テニスコート一面分の広さになる。食物の栄養分を吸収するために分解しやすくしているためである。
また小腸のヒダは大腸のそれと比べて、細かい折り畳み構造になっていて、このヒダをケルクリングヒダと呼ぶ。この細かいヒタダによって、食べ物と酸をはじめとする消化液がよく混ぜ合わされるような構造になっていて、食べ物の消化をしやすくしている。そして腸壁から分解吸収した栄養分は、血液の流れに乗って、全身のエネルギー源になって働く。
この小腸の働きが思わしくないと、食べたものもうまくエネルギー源となってくれない。
3、いま小腸の[SIBO]シーボーという病気が増えている
別名「小腸内細菌増殖症」と呼ぶが、小腸内で腸内細菌が爆発的に増え過ぎて、病気を招いているというものである。SIBOは大腸にあるべき腸内細菌が小腸に入り込み、小腸に停滞してしまい、本来の居場所である大腸に移動しない時に起こる。善玉菌であれ、悪玉菌であれ、本来あるべきでない不適切な場所、即ち小腸に居ることは、好ましくない事なのである。
このSIBOに罹っている人がいま日本で増えてきているが、まだ日本では医師すらその存在を良く知らない為に、患者が症状を訴えても、誤診してしまうという。
4、SIBOの症状とは
食後の腹部にガスが溜まる膨満感、頑固な下痢や便秘、胸やけ、腹痛、おなら、お腹のゴロゴロした違和感などが起きる。更にそれに留まらずうつ、ニキビ、肌荒れ、ムズムズ足症候群、肥満、疲労感、糖尿病、慢性肝臓病、免疫力の低下、リーキーガット症候群(腸の粘膜がびらんし漏れる腸)、狭心症、心筋梗塞、貧血、ビタミン吸収不良などの原因にもなっているという。
5.腸内細菌の数について
人の腸内にはなんと、100兆個、2000種類の細菌が生息している。その内小腸の1ミリリットルあたりの細菌の数は、10の3乗から10の9乗くらいであるのに対して、大腸では10の12乗位に爆発的に多いのである。
そしてSIBOの患者の小腸では通常の10倍以上に腸内細菌が増えているという。それが上述したような症状をもたらすのである。
6、なぜSIBOを発症するのか
その原因として考えられることは
★小腸の運動力の低下・・・糖尿病、甲状腺障害、膠原病、神経筋疾患、
パーキンソン病などによるもの
★大きなストレス、間食、酒、薬剤
★抗生物質の乱用
★胃薬による胃酸過少、慢性萎縮性胃炎
★免疫力の低下
★炭水化物の消化不良、食べ過ぎ
★重金属が体に蓄積
★急性胃腸炎の後に発生・・・腸のペースメーカー細胞のカハール細胞、
ビンキュリン蛋白が障害を受けるため
★大腸のバウヒン弁(回盲弁)の障害
★胆嚢除去者・・・胆汁不足で殺菌能力低下
7、SIBOと関連する病気
★過敏性腸症候群患者の85%がSIBOと合併している。
★機能性ディスペプシア・・・胃が知覚過敏になっている状態。
★クローン病・・・消化器官に潰瘍やびらん。
★セリアック病・・・小麦に含まれるグルテンというタンパク質が免役系を
狂わして炎症。
8、SIBOの検査方法
ラックロース呼気試験で呼気中の水素とメタン量をチェックすることで小腸の細菌の増殖を判定する。
9、SIBOを予防する対策
我々が摂取する糖質には、小腸から吸収されやすいものと、発酵性で吸収されにくくて、短鎖炭水化物となって、問題を起こすものとがある。FODMAPとは小腸での発酵性に関係する糖質の品名の頭文字から取って付けた名前である。それはガラクトオリゴ糖、フルクタン、ラクトース、フルクトース、ソルビトール、キシリトール、ポリオールなどの成分を多く含んだものは控える。
★低FODMAP(フォドマップ)食を摂る。・・・米、そば、グルテンフリー食品、ナス、大根、ブロッコリー、トマト、ニンジン、白菜、キャベツ、もやし、ほうれん草、かぼちゃ、きゅうり、じゃがいも、しょうが、レタス、マヨネーズ、ウスターソース、酢、豆乳、絹ごしでない豆腐、味噌、バター、バナナ、イチゴ、ブドウ、キウイ、みかん、パイナップル、メロン、紅茶、コーヒー、緑茶、ビール、日本酒、ウイスキー、ハム類、豚肉、牛肉、くるみ、魚介類、卵、カレー粉、ココア、味のり、など。
★高FODMAP(フォドマップ)食を摂らない。・・・小麦粉使用一切(パン、ラーメン、パスタ、うどん、そうめん、ピサ゜など)、豆類一式、らっきょう、ねぎ、たまねぎ、にんにく、ゴボウ、ハチミツ、りんご、フルーツジュース、スイカ、もも、なし、柿、干しブドウ、ワイン、ソーセージ、あずき、きな粉、牛乳、ヨーグルト、プリン、アイスクリーム、ミルクチョコレート、シイタケ、さつまいも、
なお留意すべきことは、上述した食品は全く胃腸に障害のない人には、無関係なお話であるから、従来通りの生活習慣、食生活を続けてもよい。
10、SIBOの治療対策
★上述した低FODMAP(フォドマップ)食を摂る。
★SIBOマッサージをする。「の」の字に大腸をやさしくマッサージする。
★抗生物質を使って小腸の増え過ぎてしまった細菌を殺す。
★腸管運動促進剤を使う。腸を冷やさない。間食をしない。睡眠不足に
ならない。
★小腸の中の細菌を飢えさせるためのエレメンタルダイエットという成分
栄養剤を飲んで、細菌を殺す。
★天然由来の抗菌作用のある成分を摂る。アリシン、ココナッツオイル、
しょうがなど。
★再発を防ぐ。良い腸の状態を維持して再発を防ぐ。酒、カフェイン、
グルテン、高FODMAP(フォドマップ)食、特に果糖、加工食品は避けて
少食にする。
11、まとめ
1)今回の記事は江田 証著「パン・豆類・ヨーグルト・りんごを食べては
いけません」さくら舎発行、および同じく江田 証著「小腸を強くすれば
病気にならない」(株)インプレス発行の本を基にまとめたもので、江田
証氏は自治医科大学大学院医学研究科修了し、現在江田クリニック院長。
胃内視鏡、大腸内視鏡で多くの患者を毎日診察しているカリスマ医師とし
て有名。
2)技術の進歩で小腸の観察が進んで、これまでの常識や推測が崩れようとし
ている。海外の医師の間で、実行されている診断方法や治療法が、日本で
は実行どころか、認知されていないようだ。
3)無知は死を招くという言葉があるが、今回に限らず、良かれと思って実行
していることが、逆に不健康を招いていることは、良く見聞することであ
る。
4)「腸活」という造語があるが、ヨーグルトが体に良い、腸に良いと毎日
飲んでいる人が多い。
また胃腸が悪いからと言って、消化のよさそうな炭水化物の食品ばかり摂っていると、小腸には逆に悪い影響を与えていたことも起きているかもしれない。
5)加齢と共に体の免疫力が落ちてきて、70歳を超えると、若い時の半分に
低下するそうである。この免疫力の60%は腸が発揮しているから、元気
な老後を過ごすために、今一度胃腸を痛めつけることが無いよう心がけた
いものである。
6)小腸の長さは6~8メートルもある。お腹のわずかの空間にくねくねと曲
がりくねって、収まっている。生命維持に必要だからこんなに長いのに
違いない。食欲の亡者となって暴飲暴食をして、量的にも、質的にも、
小腸を痛め続けていると、そのうち疲弊して、長寿どころか、取り返しの
つかないことになるだろう。腹も身の内、感謝の気持ちを持って、労わろ
うではないか。
おわり
神は乗り越えられない試練を人に与えない
と言う言葉があるが、
たぶん
人は乗り越えられない試練を与えられた時は死ぬ と思う。
試練といってもいろいろあるが、
例えば癌という試練を与えられた時にも、それが当てはまるだろうか????
1月20日はベトナム観光最後の日。
朝からメコン河クルーズへ行き、昼食を食べ、アトは帰るだけ。
フライトが翌21日の0時20分だからまだ時間はたっぷりある。
ガイドのアンさんが提案してくれた、タンロン水上人形劇を見ますか? ・・・と。
えっ! 水上人形劇? 面白そう・・・でも”水上”とは初めて聞くことば。
どんな人形劇なのか興味津々。
調べると、「水上人形劇」とは、千年の歴史を持つベトナムの伝統芸能で、元来、農民たちの間で、農作業の合間に豊作を祈って行われていた地方の娯楽。
水面を舞台にして繰り広げられる人形劇は、劇場では3~5分程度の短編が16話で、約1時間弱の構成。
人形を繰る人は、かなり長い間水中で息止めの演技を強いられる。
劇は夜の8時半から始まると言うので早めに行った。
↓ 劇場入口
↓ 看板
↑ 舞台左右に語り部と楽団部の三人ずつが座っている。
↓ この日のプログラム
タンロン水上人形劇の本場はハノイで、
ホーチミンではなかなか見れなかったらしいが、2007年に専用劇場がオープンし、連日盛況だとか。
ベトナム語による語りと共に水中で繰り広げられる人形のコミカルな動きは、語りが何を言っているのか分からないものの、人形の動きで観客はストーリーに惹き込まれる。
ただ現地人が語りに合わせた動きに爆笑しても、こちらはポカ~んとする場面もある。
↓ 仙女の舞い
この劇、先にも記載した如く、千年もの昔から農民たちが演じていたもので、彼らの生活が基盤となっており、演目のストーリーは民話や習慣.伝説など民族的なもの。
ベトナム伝統楽器の音色も昔風でいい。
水の中でどのように人形を繰っているのかサッパリ分からないが、水上に出た人形の動きを見る限り、水中ではさぞかし激しい動きを息を止めてやっているに違いない。
また、龍が火を吹いたり花火のしかけもあって、水の中で火をどう操っているのかは謎。
こうした人形の繰り方は門外不出とのことで、劇団は村ごとの職能組合で、それぞれ独自の「約束ごと」によって活動し、入団に際しては一座の秘伝を堅く守るという誓いを立てなければならない。
それで現構成員の子供や孫が優先的に受け入れられると言う。
かつて女性は、泥水に長時間浸かり、人形を操ることに体力的に適さないと考えられたことや、人形劇の秘伝が夫の家族へ漏れることも恐れて、女性参加は認められなかったらしい。
伝統的な水上人形劇団は、演劇のために使用する池を所有し、魚の養殖等で活動資金を捻出し、パゴダや寺院の毎年の定期公演を認められるという権利を有している。
ベトナムに伝えられる水上人形劇は、ロイ・ヌオックと言い、一説によると9世紀の中国・宋代にあったという「水傀儡」と同種のもの、あるいはその流れを汲んだものではないかと考えられている。
↓ 劇が終了し、人形使いがご挨拶
劇場は拍手喝采に包まれ、約一時間のショーは終わった。
こうして楽しかったベトナムの旅は終わった。
1月20日、朝食後 「メコン川クルーズ」へ。
事前にもらった《旅行のしおり》 にはそう書いてある。
えっ! クルーズ船に乗れる
さぞかし大きな船に乗せてくれるのかなぁ~と思った。
”クルーズ” の最もポピュラーな解釈は、ネットで調べても 「客船による観光旅行」。
でも現実は、メコン川の中州で手漕ぎボートに乗ってジャングルにある水路を巡るだけだった。
”クルーズ船”と聞くと今迄は豪華な客船をイメージしていた。
ネットでクルーズをもっと調べたら、
巡航する、 巡航速度で飛ぶ、 経済速度で走る、 これといった当てもなく歩き回る、
漫遊する、 ガールハントして歩き回る、 盛り場でホモの相手をあさる、
ゆっくり走る、流す・・・等々の解釈があって、船だけの用語ではなかった。
↓ 中州の地図(赤点)
↓ 中州へ渡る船乗り場へ到着。
↓ ガイドのアン(♀)さん
↓ メコン川風景
メコン川は中国のチベットを源流に、ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジアを流れ、全長4000kmの旅を経て、ここベトナム南部に至る。
世界で12番目の長さで、 ここ最下流域では川幅・何と3kmにも及び、縦横に支流を延ばす大河となる。まるで海のよう。
長い年月をかけて築かれた肥沃な湿潤地帯では「メコン・デルタ」が形成され、大河がもたらした豊穣な恵みを、人々は遥か昔から受けてきた。
この地域はアジア最大の穀倉地帯として知られ、ベトナムの経済にとって欠かせない地域。
メコン川の河口周辺にはいくつもの街が発展し、これらの街では支流や水路を縦横に巡らせて、大河の河口ならではの独特の生活、文化を育んでいる。
メコン・デルタの中心都市カントーやメコン川ツアーの拠点となるミトーでは、日本ではちょっと経験できないような大河の魅力や生活ぶりに触れることができる。
↓ メコン川の中州に到着
↓ ジャングルクルーズ乗り場
↓ 下船場
ホーチミン市内にある博物館で、米国相手に歴史的な勝利を収めたベトナム戦争に関する写真や資料、兵器などが展示されている。
↓ 博物館入口
↓ 入口広場には戦闘機や戦車が並ぶ
ベトナム戦争と聞いて思い浮かぶのは、枯葉剤が原因で胴体がくっついて生まれたベトちゃんドクちゃん双子のこと。
日本で切り離し手術が行われた事も記憶に新しい。
それ以外あまり知らない、で、調べてみた。
第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地。
第二次世界大戦が勃発するとドイツの快進撃もあり、1940年6月にはフランスは降伏し、
日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することになります。
しかしその日本も最終的には敗北、
それをうけ1945年9月、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟が「ベトナム民主共和国」を樹立し、独立することを宣言。
勝戦国の中でも、これを認めたくないのはフランス、
もともと自国の植民地だったから尚更。
そこでフランスは、南部に傀儡政権を建国し、ホーチミンの北ベトナムと争うことになる(第一次インドシナ戦争)。
この戦いは8年続いたが、結局フランスの敗北に終わった。
そして1954年7月、ジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断され、南にはアメリカを後ろ盾としたベトナム共和国が誕生。
ところがこの共和国では政権内部が汚職まみれで、政策も国民の大多数を占める農民の支持を得られるようなものではなかった。
南がそんなので、北ベトナムは武力による統一を試み、南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し、内戦が始まった。
1961年、この状態を見たアメリカの大統領ジョン・F・ケネディは、南ベトナムに4,000名の特殊部隊を派遣することを決意。
決意の理由は、ソ連が北ベトナムの後ろ盾となっており、その北が勝利するとベトナムどころかドミノ倒しのように東南アジア各国が次々と共産化してしまうと恐れたためだ。
当時は、ソ連を中心とする共産主義とアメリカを中心とした資本主義との間で冷戦の真っ最中、アメリカはソ連が支援する北ベトナムには勝ってほしくなかった。
しかし、まだこの時点では、アメリカは南ベトナムを支援をするという程度だったが、1964年のトンキン湾事件を機にアメリカは直接介入していくことになる。
このトンキン湾事件とは、アメリカの軍艦が北ベトナムの警備艇に攻撃されたとする事件だが、北ベトナム側ではアメリカが先に攻撃したと反論した。
アメリカはそんなのはどうでもよく、兎に角、軍事介入するきっかけが欲しかっただけ。
当時のアメリカ大統領は、ケネディが暗殺されジョンソンに代わっていた。
ケネディが生きていれば歴史はまた変わっていたかも知れない。
1965年、アメリカは南ベトナムに本格的に軍隊を派遣し、北ベトナムに大規模な爆撃を行う。
アメリカは北ベトナムに255万トンもの爆弾を落としたが、これは太平洋戦争で日本が受けた爆弾(13万トン)の約20倍というから凄い。
猛烈な攻撃を受けた北ベトナムだったが、屈することなく、あちこちのジャングルでのゲリラ戦を巧みに戦い、アメリカ軍を撃破していった。
結局、ご承知のように北の勝利に終わるが、勝因は、
①ソ連などの社会主義陣営が北を支援し続けたこと。
②アメリカ軍は最大時には54万もの兵力を投入するが、ジャングル内では物資や食料の供給が困難で、実際に最前線で戦ったのは3割程度だったということ。
③アメリカ本国にてベトナム反戦運動が起きたこと。
など。
アメリカはベトナムから手を引き、南ベトナムは抵抗のしようもなく、1975年4月30日 10年間続いた戦争は終わった。
この戦争で200万人以上が犠牲になり、この悲惨な戦争を忘れないよう、1975年9月にこの博物館が作られ、今も年間約50万人の人々が訪れるそうな。
↓ オバマ大統領がベトナムを訪問した時の写真
枯葉剤使用の残酷性について、ベトちゃんドクちゃんの写真とも合わせ展示されていた。
第二に世界大戦後も現在に至るまで、この世界に戦いが絶えた事はない。
言葉という人類共通の武器?(道具)を使えば、戦争はなくなると私は思う。
所詮、人間もけだもので、いつまでたっても動物の域を外れることができない。
親が自分の子供を殺めるニュースを聞くたび、人間は動物以下かも知れないと思ってしまう。
最近のコメント