ミキモト真珠島
鳥羽へ行った。
伊勢へは何回か行ったが伊勢神宮への参拝が優先で鳥羽は初めて。
最近、やたら海が恋しい。 海を見ると心が和む。
そんな海にミキモト真珠島はある。
1893年、当時、相島 (おじま) と呼ばれていた島で、御木本幸吉が真珠養殖に成功した島。
その後彼がこの島を買い取って、ミキモト真珠島として観光地にしたという。
すぐ近くにある鳥羽水族館はこの真珠島の存在が開館のきっかけになったと言う。
↓ 真珠島 全体図 パールブリッジにて陸続きにしている。
↓ 陸側入口
御木本幸吉の名は、真珠養殖で学校の教科書で学んだ記憶がある。
改めて調べてみると、
御木本幸吉は1858年(安政5年)1月25日、志摩国鳥羽町に誕生した。
伊勢志摩の海で天然真珠を採るため乱獲され減少していたアコヤ貝の保護と増殖を手がけ、さらには真珠の養殖を決意、
相次ぐ赤潮の被害や資金難を乗り越え、1893年(明治26年)ここ鳥羽の地で世界で初めて半円真珠の養殖に成功した。
それまでの真珠は、天然の真珠母貝から採取されるケシと呼ばれる真珠が大部分で、採取も不確かなものでしたが、幸吉は母貝であるアコヤ貝そのものの養殖から始め、人為的に真珠をつくり出せるようにした。
その後、1905年(明治38年)には真円真珠の養殖に成功し、黒蝶真珠や白蝶真珠の養殖にも取り組んだ。
島内には、御木本幸吉記念館に彼の生涯が分かる展示、
真珠博物館には、真珠のできる仕組みや養殖過程を紹介する施設があった。
丁度、海女たちが昔ながらの白い磯着姿で作業するショーがあると言うので見に行った。
要は、海に潜ってアコヤ貝を採ってくるという作業。
まぁ正直、私には感動のない見世物だった。
島内に珠宮という神社がある。
この社は、相島弁天社とも言われ、その昔、このやしろの神と鳥羽城跡にある大山祗神社の神は夫婦の間柄にあり、夜な夜な姿を白い竜蛇と化し、海を渡り相通われたと語り継がれている。
明治40年大山祗神社に合祀されたが、戦後、御木本幸吉の篤い信仰心により「珠の宮」として、由緒深いこの地に再建された。
縁結びをはじめ、幸運・繁栄・知恵にも恵まれる女神として信仰されている。
又、延命長寿にもご利益があるとされ、信仰心の篤い御木本幸吉も九十六歳の天寿を全うした。
やっぱり神様がどこにでもおられる。
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