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『去る者は日々に疎し』と云う諺がある。
意味はご存知のとおり、
「死んだ者は日が経つにつれ世間から忘れられていき、
親しかった者も遠ざかれば日に日に交情が薄れていく」 ということで、
いくら親しかった間柄でも、遠くに離れたり、
またいくら近くにいても日々の生活で顔を見せなくなった人と、疎遠になっていくのは、
やむを得ない事だという。
たとえそれが別居中の妻でも親子でも同じなのかも知れない。
兄弟も親が生きているうちは、親元に度々ではないが集まって顔を合わすが、
両親も亡くなると、顔を見せなくなって疎遠になっていく。
仕方ないと云えばそのとお~り・・・だ。
今は解散してしまった丸亀走友会のメンバー達も、お互い顔を見なくなり、そのうち疎遠になるに違いない。
走友会がまだ健在な昔、些細な出来事で会を去った人がいる。
今思えば”些細な事”と思うのは私の見方であって、当人は辞めるほどの価値があった出来事だったに違いない。
会のメンバーが一人抜けたことで、寂しくなったが「去る者日々に疎し」で次第にその人の事は忘れられていった。
毎週日曜日の会に顔を見せないのだから当然そうなる。
でも辞めた当初は”些細な事”に関わらなかったメンバーで飲み会などやっていたが、
そのうちそれも立ち消えになり、去った人の顔を見ることもなくなった。
一方、「去る者日々に疎し」が死んだ人にも当てはまるのは、私には違和感がある。
世間の著名人やタレントが亡くなった時はそうかも知れぬが、
親や親友の場合はそうではないように思っている。
数年前に亡くなった高校生時代の親友・井上 信幸氏のことは、今も私の中で生きている。
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