Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2019年2月

けいの里

前田宗一氏が運営する「香川県資源研究所」の施設を【けいの里】と呼ぶ。

ここで、サヌカイトの展示やコンサートを行っているが、展示場はいつもオープンしているわけでなく、予約がなければ入れない。

金山ニュータウンを上り切ると二本の石柱門があって、初めて来た人はその奥に何があるのか知る由もない。

知らなければ、これ以上進めないと思い、足を踏み入れない。

今回自彊術の佐野先生のご紹介で、この施設を見学できるチャンスを得た。

聞けば前田 宗一氏は佐野先生の従妹にあたるそうな。

門を入ると広場があり、さらに奥へと道が続く。

砂利の山道を300mほど進むと左手に建物が見えてきた。

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こんな所にこんな立派な建屋と瀬戸芸のようなアート作品とがあるなんて!!!

この付近を案内してくれた。

まずは小さな泉だが湧き水があるのだろう、水が絶えたことはないという。

保元の乱に敗れた崇徳上皇が,讃岐へ流され坂出の地でお亡くなりになった。

↓ その知らせを京へ届け、対処法などを仰ぐ間、ご遺体を浸しておいたと言う泉。

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この泉の水は景行天皇の頃、悪魚退治のため讃岐に派遣された日本武尊の息子と兵士が悪魚の毒にやられたのを蘇生したと言われている聖水なんだそう。

↓ 池の横に鎮座ましますお地蔵さん

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↓ その近くの瑠璃光寺

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このお寺は空海が仏を三体彫って村人達と一緒に開いた寺で、中には行基作と云われる石仏も安置され、江戸時代まで79番札所だったとか。

その後、札所は山のふもと(天皇寺・高照院)に下りて、瑠璃光寺は奥の院として再興された。

奥の院は長く京都・仁和寺の修行道場として僧侶が生活をしていたとも。

前田氏の話によると、老朽化でこのお寺を復興しようとの話もあったが立ち消えになったとか。

↓ またその横には金山神社

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金山神社

江尻町の柿茶本舗の事務所の窓越しにいつも見える金山。

一度、送電線づたいに獣道を登ったことがある。

かなり険しい道だったように記憶している。

今回は金山ニュータウンのある広い道からのぼった。

金山に前田 宗一氏が代表を務める「香川県資源研究所」の施設”けいの里”があると言う。

そこを見学する機会を得た。その近くにあったのが金山神社。

こんなところに神社がある なんて・・・。

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神社の入り口にも鳥居があるはずと、下って行ったら見覚えのある所に辿り着いた.

そこは八十場のところてん”清水屋”がある場所だった。

へぇ~ここから上って行くんだぁ~。

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ネットより、

この神社は、白峰宮の背後にある金山の山麓に鎮座する。

ここへの上り口は、八十八名物ところてん清水屋に隣接する墓地横にある。

ここを上ってゆくと金山神社。

鳥居をくぐると、瑠璃光寺と書かれた小さな建物が見えてくる、

金山神社はこの裏手の少し高いところ。

神社の建物というより、地蔵堂といった感じ。

その昔江尻村の春市や夏祭りは、山の金山市と海のお恵比須さんに代表され、金山市には、招待したお客さんと共に家庭の自慢料理の押抜寿司や酒肴を持寄して金山神社に参詣し、ワラビや春欄つつじの花に囲まれ、小鳥の囀りを聞きながら野外食を楽しみました。

金山神社は、金山の神であり、旧江尻村の守護神でもあります。

又どんな日照りの年でも一度も渇れたことのない江尻の命水の水源の守り神でもある。

↓ 瑠璃光寺

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慢性腎臓病の人が何故こんなに多いのか By 豊岡 倫郎 氏 2019-2-20

1.新しい国民病といわれる慢性腎臓病

 

いま慢性腎臓病の人が推計1330万人いると言われている。成人の8人に1人が慢性腎臓病という。どうしてこんなに多いのか。そしてなかなか根治するのが困難なこの慢性腎臓病とは。

 

2. 慢性腎臓病(CKDとも呼ぶ)とは

 

  慢性腎臓病とは一つの病気を示すものではなく、慢性的に腎臓が障害されたり、腎臓の働きが低下している状態の総称で   

  ある。

  腎臓は握り拳くらいの大きさの臓器で、体の左右にひとつづつあり、その働きは大動脈から大量の血液が腎臓に流れ込むと、そこから余分な水分や塩分を除去し、尿として体外に排泄する働きをしている。また血液には体内で出来た老廃物も含まれているので、この老廃物を取り除いて、尿として体外に排泄する。そしてきれいになった血液は腎臓から下大静脈に戻って行く。

  従ってこれら一連の腎臓の働きが低下すると、余分な水分や塩分、老廃物が体内に残ってしまい、体にいろいろな症状があらわれてくる次第である。

 

3. 慢性腎臓病の原因

 

 ひとつは糖尿病や高血圧などの生活習慣病があると、全身の血管の塊である腎臓はその影響を受けて、血管や組織が壊れてしまうこと。

 もうひとつは蛋白尿や血尿が長期に亘って現れる慢性腎炎などからくるケースもある。更に加齢によって腎臓の働きが低下してくると、中高年頃から徐々に慢性腎臓病の症状が出てきてしまう。その外の原因として、脂質異常症、メタボリックシンドローム、高尿酸血症、喫煙なども腎臓の機能を悪化させてゆくと考えられている。

 

4. 慢性腎臓病のリスク

 

 前述したように糖尿病や高血圧があると、慢性腎臓病を併発しやすいが、腎臓の働きが低下すると、血液中のリンなどの物質が増加して、血管の壁が傷つき、脳卒中や心不全を誘発する。何故かというと、血液中にリンが増加すると、それがカルシュウムと結合して、血管に沈着して、石灰化が起こり、血管が硬くなったり、内部が狭くなってゆく。これが全身に起きるので、特に体の中心部の大動脈に起きやすい。

 また腎臓は水分や塩分の排泄が充分でなくなるので、血液量が増えてくるが、血管が硬く、狭くなっているため、心臓はより強い力で血液を送り出さねばならなくなる。その結果脳卒中、心筋梗塞、心不全が起こりやすくなる。

 

4. 慢性腎臓病の働きが弱った時に見られる東洋医学的症状

 ★体が疲れる。特に足がだるくなる。

 ★腰や腎臓がある部位に鈍痛やだるさを感じる。

 ★朝起きた時に顔や手が腫れぼったい。夕方になると足がむくむ。

 ★目がすぐ疲れる。

 ★朝起きるのがつらい。

 ★うつ伏せに寝る癖がある。

 ★背中や胸に神経痛のような痛みが時々出る。

 ★顔色が黒ずんでいる。上瞼が腫れている。

 ★足の裏が異常に温かく、夜就寝中に布団の外へ出さないと寝られない。

 ★よく風邪を引いて熱をだし、のどが痛み、なかなか治りにくい。

 ★体を左右に振って歩く。

 ★仰向けになり、おへその左右を手で押してみると圧痛がある

 ★背骨の胸椎の10番の両側を押すと圧痛がある。腎臓へ行く神経はここから出ている。

 ★履物の後ろ外側が減っていると、腎臓が働かないことを示している。

  以上の症状が3個以上あれば、今後慢性腎臓病に発展するか、ごく初期の段階が疑われる。

 

5.早期発見のための検査

 1)腎臓の働きが低下すると、老廃物の排泄が悪くなり、体内に蓄積される。その老廃物のひとつがクレアチニンで、血液検査によって調べる。血中の血清クレアチニン値(eGFR)の濃度が高いと、腎臓の働きが低下しているとみなす。 eGFR60未満の場合は慢性腎臓炎が疑われる。

 2)尿に含まれる蛋白をチェックすると、通常尿中には含まれない蛋白が出ていると、腎臓の働きが低下しているとみなす。検査結果は「-」、「+」で表し、「-」は正常で、「1+」、「2+」は慢性腎臓炎が疑われる。

 3)更にアルブミン尿の値を検査して、アルブミン尿の値が30mg/日以上ならば、慢性腎炎が疑われる。この数値は糖尿病になると、腎臓の糸球体の異常によって、高い圧力で血中の蛋白が血液から尿に漏れ出してくるためおきる。糖尿病性腎性という。

 これ等は健康診断の検査項目として、採用されているので、異常がある場合は、直ぐに病院で精密検査を受ける必要がある。病院ではこれら三項目の値をチェックして、正常、軽度、中等度、高度と区別して、治療方法を選択する。

 

6.慢性腎臓病の治療

 前述したように慢性腎臓病発症の原因は、糖尿病、高血圧、腎炎など腎臓自体からのもの、脂質異常症、肥満、加齢、タンパク質やカリウム、塩分その他の食事内容、他の服薬、運動量などいろいろあるので、原因に合わせた治療と生活習慣の改善を行うことになる。

 当然治療の具体的事項は専門医との相談のうえ開始する必要がある。ただ一つ言えることは慢性腎臓病の発見が遅ければ遅いほど、治療も難しくなるから、早期発見、早期治療が大事である。

 最悪の場合は人工透析、腎臓移植が必要となるから怖い。それほど慢性腎臓病の治療の決め手が無く、困難で、長引いて、治りにくい病気なのである。

7.現代医学での慢性腎臓炎の症状

 慢性腎臓病の進行度によっても異なるが、例えば次のような症状が出る。

 ★だるさ、食欲不振、吐き気、頭痛、むくみ、息切れ、動悸、骨が脆くなるなど。

8.慢性腎臓病に対する甲田療法とは

 「腎臓病と甲田療法」という本を紹介する。著者は甲田光雄博士、創元社刊、20021月発行。甲田光雄博士は大阪大学医学部卒業、八尾市に甲田医院を開業して、西式健康法を基にした、独自の甲田療法を考案して、多くの難病で苦しむ人の治療に専念する。200884歳で逝去。

 

 1)253ページから成るこの本の内容は、前篇は腎臓病の理解と健康対策として

 ★現代医学だけでなく、民間療法にも金の卵がある。

 ★腎臓の解剖と生理

 ★腎炎、ネフローゼの概略

 ★腎疾患診断に必要な検査法

 ★腎臓病の健康対策として、

  ・風邪を引かない身体になること

  ・足の故障を直すこと

  ・腎臓の働きを助ける方法

  ・食事療法

  ・腎臓病に対する断食療法

  ・家庭で出来る一日断食

 ★腎臓病の予防について

   なお後編は断食療法体験記・・・腎炎、ネフローゼとの闘い

 ★10人の方の体験治癒例が載っていてる

 2)慢性腎臓病に対する甲田療法とは

 ★西式健康にある裸療法、温冷浴を行い皮膚を鍛え、体内の血液循環をよくすること

 ★足の故障を直す。腎臓の働きが低下するのは、足首の故障が最大の原因と見なす。脚絆療法と毛管運動をして、足首の歪みや炎症を治す。

 ★腎臓の働きを助ける方法として、脚湯法、平板に寝る、金魚運動をするなど

 ★食事療法として、少食にして、玄米、生野菜の摂取、生水やビタミンCを柿茶から摂るなど。但し高度の疾患は生野菜のカリュウム摂取はいけない。高脂肪、高たんぱく食もいけない。

 ★断食療法によって宿便を取りのぞく などである。

 3)これらの療法の中で特筆すべきことは、

 ★足の故障を治すことである。腎臓の悪い人は100%足に故障があるという。このことは現代医学では無視されているが、甲田博士は何十人もの腎臓患者を治してきた臨床経験から自信持って断言している。足首の故障は腎臓ばかりでなく、風邪やノド、扁桃腺,鼻の疾患にもなりやすいという。

  その根拠となっている外国の研究がいくつかある。まず足指の付け根が痛いのは、モルトン氏病と云う。特に親指の付け根が痛いことが多い。次に踝の周囲を押してみて痛いのは、ソーレル氏病と云う。それぞれこの痛みを研究した人の名前がついている。この痛みは左右の足を交互に指の付け根から踝へ、次に膝へ、更に股関節へとどんどん上の骨格に影響を及ぼし、最終的に首の曲がりに行き着く。

  
もう一つの研究はスペインのツルーエタ博士は
1941年のドイツからロンドンへの空襲の時に、ロンドン市民で足に怪我した人が皆腎臓病になったのことから、更に動物実験で、足の故障と腎臓病のことを研究して、1947年にその成果を世界に発表している。

 ★断食によって、宿便を取ることである。これも現代医学では無視しているが、宿便の害を取り、腸内環境をよくして、善玉菌を増やし、きれいな血液を作ることが肝要という。

 ★食事療法の重要さである。玄米、生野菜中心の少食である。そして甘いもの、酒は避ける。

  大食、甘いもの、酒の多食、多飲の人は足に故障が起きることを、多くの臨床経験の中で確認している。

 ★背骨の歪みを直すこと。特に胸椎の10番の歪みを正す。

9.まとめ

  1)いま子供の腎臓疾患が増えていると聞く。運動不足、甘いものの摂り過ぎ、高脂肪、高たんぱく食、および加工食品の食品添加物などが影響しているためだろうか。確かに今の子供は姿勢が悪いのは骨が弱いためだろう。

2)足の血流が悪いと、ヘソから下の腎臓、膀胱、前立腺、子宮筋腫、痔などの疾患に罹り易いと言われている。その訳はこれらの臓器や器官の血流は足の血液循環によって左右されているからである。特に太腿の内転筋が衰えると、これら臓器や器官への血流が滞るため、機能が低下する。

3)東洋医学の経絡の腎経が足の裏から踝を経由し、脚から下腹部へ繋がっていて、足に故障があると気血が上へスムーズに流れない。

4)この本にある治癒した体験談を読むと、現代医学に見放された人が、甲田博士の指導の下に、涙ぐましい努力をして、健康体に復帰した喜びの話には感動する。

5)足の故障は万病の基という。足の親指の付け根、足くるぶし、膝、股関節に違和感がないだろうか。これまでに足首をねん挫した覚えがないだろうか。今は痛みが無くても、断食をすると、治癒反応として痛みが出てくる。医者は健康のために、散歩を勧めるが、こんな人が散歩するのは、とんでもない話である。95%の人は足に何らかの故障があるというから、それを治してからにした方が良い。

おわり

インドネシア旅(ヒンズー教寺院)

インドネシア共和国の90%はイスラム教徒、

そんな中バリ島ではヒンズー教徒が90%を占める。

従いバリ島内にはヒンズー教寺院が山ほどある。

ガイドさんに案内されたとある寺院、名前を教えてくれたがメモを忘れ、調べても分からなかった。

↓ この寺院がある道路

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↓ 中に入って道路側を見る

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↓ 中の風景

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↓ お祈りの場所???

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とにかく不思議な石像がいっぱいある。

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バリ島のヒンズー教についてNet 検索してみた。

バリ・ヒンドゥー教の歴史は、4~5世紀にさかのぼり、この頃から隣のジャワ島との交流が始まり、インドのヒンドゥー教や仏教がバリ島に伝わってきた。

8~11世紀ごろになると、ジャワ島とのつながりがますます強くなり、ジャワ島からは、ヒンドゥー教の高僧が何人もバリ島を訪れ、寺院の建立や文化の伝来が行われた。

バリ島内の宗教は、昔からあった土着宗教に、ヒンドゥー教や仏教が混じり合い、ジャワ島で栄えたジャワ・ヒンドゥー教とは、また少し違った風習をもつ宗教が発達していった。

16世紀に入ると、バリ島の宗教に大きな出来事が起きる。

それは、インドネシアの広い地域を支配していたヒンドゥー教国・マジャパヒト王国がイスラム勢力に押され衰退していった事です。

このことにより、イスラム勢力に追われる形で王国の僧侶、貴族、工芸師などがバリ島に逃げてきました。

そして、バリ島内のジャワ・ヒンドゥー化が一気に進み、現代のバリ・ヒンドゥー教が確立しました。

そして、第二次世界大戦を経て、インドネシア共和国は独立しましたが、共和国の憲法の前文にはパンチャ・シラという建国五原則があり、

その第一条項は「唯一至高の神」、つまり一神教の信仰が国家理念の柱となったのです。

これに慌てたのが、バリ島の人たちです。

ヒンドゥー教は多神教。

つまり、インドネシア共和国においてヒンドゥー教は認められないのではないかと言う事。

そこで、自分たちの信仰するヒンドゥー教を国に認めてもらおうと運動が起き、宗教エリートたちが中心となり、教義や唯一神、制度、組織などを整備し、認めてもらった。

現在インドネシア共和国が公認する宗教は、

「イスラム教」「カトリック」「プロテシタント(クリスタン)」「仏教」「ヒンドゥー教」「儒教」の6宗教だけ。

そして子供が17歳になると自らの意思で宗教を選ぶ事ができ、それが親や親族と異なってもいいらしい。

バリ・ヒンドゥー教とは、何か? の答えは、

「サン・ヤン・ウィディーという唯一神を信じ、その神に対して祈りをささげる事」。

バリ島の人々の宗教感・人生感の中には

「世の中は善と悪がバランスよく存在し、禍はこのバランスが崩れるから」

という考え、

そして「輪廻転生」の考えがあり、それが、火葬式など数々の儀礼の元になっている。

世の中に善と悪がバランス良く・・・の考え方は私には何故か新鮮に思えた。

第19回写真展

息子嫁のお父さん・浜口 戴氏はアマの写真家である。

とにかく写真を撮るのが好きで、いつでもカメラを持参している。

また丸亀東ロータリークラブ写真同好会の会員でもある。

2月18日(月)から2月24日(日)まで、同好会員の写真展が丸亀市生涯学習センターで開かれるのでご紹介。

開催期間中の10時から17時まで、最終日は16時までの展示となっている。

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同時に 浜口 戴 個展 『なつかしのシャングリラ』も開催予定。


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シャングリラとは、

イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説 『失われた地平線』 に登場する理想郷(ユートピア)の名称。

ここから転じて、一般的に理想郷と同義としても扱われている。

インドネシア旅(ペンジョール)

ガイドのハニーさんが最初に教えてくれたものは「ペンジョール」

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バリ島の各家の門口に立てられている竹の飾りがペンジョール。

ガルンガン祭礼期間中に、神々と共にご先祖様をお迎えするために立てられるとか。

日本の七夕飾りに似ていて、それと無関係ではなさそうだ。

七夕はその昔、お盆に関係があった。

七夕(たなばた)は棚機(たなばた)とも棚幡とも書き、故人をお迎えするため精霊棚と

その棚に安置する幡(ばん)をそろえる日でもあり、七日の夕方からそれを行ったため

棚幡がいつしか七夕と呼ばれるようになったとも。

従い、七夕の竹飾りはお盆に関係していて、亡くなった人の魂をお迎えすると言う意味で

ペンジョールがガルンガン期間中にご先祖様の魂をお迎えするのと似ている。

バリ・ヒンドゥー教にはたくさんの祭礼日や祝日があり、210日ごとにやってくるのがガルンガン。

ガルンガンは善であるダルマが悪アダルマに勝利した記念日の祝日で、神々や祖先の霊、また自然霊が地上の寺院に降り立つ日とされている。

この日には人々は祈りをささげてお供え物をしますが、祖先の霊が帰ってくるということから日本のお盆に通じるところもある祭礼。

ペンジョールは、写真の如く弓状に先をしならせた長い竹竿と椰子の葉を飾りつける。

以下ペンジョールについてネットから。

山岳信仰のあるバリでは、神々は“山”いるものと考えられてきた。

ペンジョールは、天と地をつなぐ龍を表しているという説と、山を象徴する説がある。

訪れた神々を手厚くもてなし、1年の豊作を祈願したことには違いない。

ことの起源は、16世紀半ばに活躍した高僧ニラルタに由来するといわれている。

この地上にある生活に必要なものは、すべて神が創造した神からの授かりものと考え、感謝の意味を込めて、大地からの恵みの作物、果物、稲、砂糖キビなど、収穫の一部を供える。

先端には、ポロサンや花をつけ、椰子の葉を見事に細工したサンピアンを飾る。

祝い事の日には、サンピアンはつけない。

また、供物を置く場所として、ペンジョールの足もとにサンガ(祭壇)も取り付けられる。

竹の長さや装飾は、地域によって違う。

特にウブド地域は豪華で、竹は太く長く、割とデザインが統一されている。

他の地域は、まったく質素なものだ。

シンガラジャ地方は、まさに七夕飾りと同じだ。

ペンジョールは、ガルンガン、オダラン、田んぼの儀礼、地霊儀礼の日にも立てられる。

現代では、独立記念の催しものなどの祝い事の日にも掲げられ、これはペンジョール・ヤヤサンと言われている。

ペンジョールが2本立っているのは、この家で、結婚儀礼があり家族が増えたということを神々に知らせるためだ。

家庭内の祝い事まで外部に分かるとは面白い。

言い忘れたがバリ島にはヒンドゥー教徒が圧倒的に多い。ガイドのハニーさんもそう。

次の観光先、ジョグジャカルタはイスラム教徒の島、だからジョグジャカルタでは

このペンジョール、どこにも見当たらなかった。

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インドネシア旅(バロンの踊り)

バリ島観光は到着の翌日「バロンダンス」鑑賞から始まった。

舞台でのダンス披露と聞いて、てっきり夕方か夜になって開幕するのかと思ったら、

午前9時開演と言う。

えっ~そんなに早くから???

↓ 会場入口

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↓ 入場チケット

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入場料は、10万Rp (ルピア)≒
790円と安い。

上演時間も約1時間と舞台劇としては短い。

「バロン」とは獅子の姿をした聖獣で良い魂を表す動物。

このバロンと、魔女が変身した悪い魂を表す動物・ランダ とが主役となって、

”ガメラン”と言うバリ島独特の楽器が奏でる音・・・楽 に乗ってダンスは繰り広げられる。

もともとこのダンス、災いから守る為の儀式として行われてきたそうで、人の心にある善と悪の戦いをテーマにしていて、

『この世には善と悪が永久に存在するが、惑わされる事なく調和を保っていきましょう。』

という思いが込められていると言う。

バロンとランダがこの踊りの中で、いかに戦っているかを表わし、どちらの勝利もないままに終る。  

現在でも各村々で神聖な儀式として寺院のお祭りなどで行われているらしい。

人の心に善と悪がある事は明白、

だが、その悪の存在を真っ向から主役に取り上げているのは、何故か新鮮さを感じた。

劇の中で役者がしゃべる言葉が分からなくても、観光客用に見やすくコミカルにアレンジされたものとなっている。

↓ 石畳の舞台

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↓ 舞台左側にあるガメラン演奏場

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バロン・ダンスと並んで名高いケチャック・ダンスでもそうだが、バリ島の伝統舞踊では「猿」が重要な役割りを果たす。

猿はあるときは神のメッセンジャーであり、神の味方として悪とも戦う。

日本の神話でも、皇孫ニニギのミコトが天から降りてくる前に、その道であらかじめ待っていて先導役を務めたのが猿田彦大神。「猿」の文字が入っている。

私は申年、おおいに気を良くした。

↓ まずはバロンが奥から登場

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↓ 物語前の歓迎の踊りと喜劇

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踊りは7段階に分れており、入口でもらった日本語版説明書によると、 

・ 一幕

二人の召使いが現れます。

この日サデワ王子は、バタリ・ドルガという死神のいけにえとして捧げられる運命にありました。

王子の母親・女王に仕える2人の召使いの前に、死神の使い(魔女)が現れ、王子が死神の生贄になる事を伝えます。

魔女が去った後、召使いはサデワの国の首相に生贄にならぬよう助けを求めます。

↓ 召使いの踊り

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・ 二幕 

首相と女王が現われます。

女王は王子がいけにえにされるのをとても悲しがっております。

そこへ魔女が現れ、魔女は女王の気が変るのを恐れ呪いをかけて、王子を生贄にする様首相に命じさせます。

↓ 首相と家来

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・ 三幕  

首相は、サデワ王子を自分の息子の様に愛しており、女王の命令に背こうとします。

魔女はこれに気づき、首相にも呪いをかけて王子を死神の住んでいる家の前に縛り付けさせます。

・ 四幕  

シヴァの神様が現れます。

神様は王子が木にしばりつけられているのを見て哀れみを持ち、王子を不死身にします。

↓ シヴァ神

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・ 五幕 

死神が現われます。

王子を見て、早く生贄の儀式にとりかかりたいと思いますが、王子が不死身の身体になっているのを知り、自分の敗北を認めます。

死神は王子に自分を殺してくれる様に頼み、死神は天国へ行けました。

↓ 死神(中央)

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・ 六幕  

死神の弟子だったカレカは、同じ様に天国に行きたいと望み、王子に殺してくれるよう願いましたが、王子はこれに同意しません。

そこで、カレカは巨大な動物や鳥に変身して王子と戦いますが、いづれも負けてしまいます。

カレカは最後の力をふりしぼって悪魔の女王であるランダに変身します。

王子はこのままではランダにかなわないと知り、真実の神のバロン゙に変身します。

ランダとバロンの力は対等で決着がつかず、バロンは助けを求めます。

・ 七幕

味方が来て戦いますが、ランダの魔法にかかり、ランダに対する怒りを全て自分たちに向けてしまいます。

バロンはこれを見てランダのかけた魔法を取り除きますが、結局はランダとバロンの終りなき戦いになります。

↓ 自分を刺すバロンの助け

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踊りが終った後、お寺の僧たちが代りに生贄を捧げ、又踊っていた人たちには

清めた水をふリかけ、舞台は終焉した。

↓ 日本語版説明書

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インドネシア旅(タウム リゾートホテル)

1月14日(月)関空を午前11時に出て、夕刻 デンパサールへ到着、

空港から現地ガイドの案内でタウム リゾートバリ ホテルへ直行する。

雨季のスコールが降りしきる中、どこをどう走ったのか分からぬままホテルへ到着。

↓ 後でホテルと空港の位置を確認した。

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ホテルには車寄せがなく、傘を借りてのチェックインだった。

フロントから部屋へ行くのも傘がなければ濡れる。

とにかく腹がへった! 

取り急ぎボストンバッグを部屋に放り込み、ホテルのレストランへ直行、フロントへ電話してまた傘を借る。

初めてのインドネシア料理はまぁまぁ美味だった。

旅の疲れとお酒も入って、この日はぐっすり寝た。

翌日は昨夜の雨が嘘のように快晴、朝食は良くあるバイキング。

↓ プールサイドのレストランはなかなかいい!

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↓ ホテル正面

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↓ ホテルを外から見る・・・左の赤い屋根

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↓ ホテル正面の道路

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↓ ホテル屋上からの風景

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↓ ホテル周辺地図

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地図を見ながら周辺の散策を始めた。

暫く歩いて、道すがりの数人に地図を見せながらここは何処?と聞いたがさっぱりらちがあかない。

地図の見方が分からないのか?文字が読めないのか?

全く参った!!!

インドネシア旅(デンパサール へ )

今年で3回目となる兄弟旅、今回の舞台はインドネシア。

2年前はスリランカ、昨年はベトナムときて今年はインドネシア。

たまたま、東南アジアばかり。

旅にはいつまで行けるか分からないが、足腰立つうちに行かねば・・・

との必死の想いが年末から年始にかけて七転八倒した腰痛を何とか吹き飛ばした。

しかし正直7時間強のフライトは腰に響いた。

関空から着いた空の港はインドネシア・バリ(巴厘)島にあるデンパサール国際空港、

地元では ”ングラ・ライ国際空港” 。 ”ン”で始まる用語は発音しにくい。

↓ 赤矢印がデンパサール、黒矢印はジョグジャカルタ

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外国にはまぁまぁ行ったけど、南半球へ足を踏み入れたのは今回が初めて。

インドネシアは、東南アジアの南部に位置し、アジア大陸とオーストラリア大陸との間にある島々からなる群島国家。

↓ 赤色部がインドネシア・・・広い!

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世界で最も多くの島を有する国で、島の数は1万3,466あまりもあると言う。

主な島は、ジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島、バリ島などで人々が生活する島だけで

9,000にも及ぶ。

また約 490 の民族からなり、2億3,000万人と世界第4位の人口を誇る多民族国家。

世界最大のムスリム人口を有する。

因みにムスリムとは『神に帰依する者』を意味するアラビア語でイスラエル教の教徒との事。

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↓ 国旗

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インドネシア共和国の今の大統領は7代目でジョコ・ウィドド氏。

初代大統領は、今もタレントで大活躍のデビ夫人の夫・スカルノ大統領。

旅のスケジュールはバリ島で3日、ジョグジャカルタで2日、どんな旅になるのか楽しみ。

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↓ バリ島

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インドネシアには四季はなく、雨季と乾期のみ。

基本的には11月から4月までが雨季、乾期は5月から10月までと言われている。

雨季には毎日夕方くらいに1〜2時間くらいスコールが降るとかで、

着いたのが17時過ぎだったので、空港を出たら大雨だった。

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