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ここも寺院の名前が分からない。
観光で連れて行ってくれる寺院の名前など後で調べりゃ分かるだろう・・・
との甘い考えはあてが外れた。
日本のお寺のように、バリにはヒンズー教寺院があちこちにある。
↓ 入口
↓ 門を入ると
↓ ヴィシュヌ神の10の化身のひとつクールマ(亀)
亀が自分の意志で手足や頭を甲羅の中に引き込み自らを守るように、私たちが5つの感覚を自身の内に収め、永遠の至福を見つけることを象徴しているともいわれている。
バリ・ヒンドゥーの特徴として、バリ島の各村には必ず 3っの寺院があります。
その3っとは、
・世界創造の神・ブラフマ を祀る寺院、
・生命を維持する神・ヴィシュヌ を祀る寺院、
・破壊の神・シヴァ を祀る寺院
これらを合わせて三身一体と言います。
さらにこの 3っの神にはそれぞれの妻がいて、
・ブラウマ神の妻・女神サラスワティは学問と智恵・財産と幸運・芸術をつかさどり、
・ヴィシュヌ神の妻・女神スリはバリ独自の稲の女神、
・シヴァ神の妻・女神ドゥルガーは神々の怒りの光から誕生した戦いの女神
であり、
これら 6人の神々は絶対神・サンヒャン・ウディ・ワサ(すべてを内包する万有神)に属すとされています。
バリ・ヒンドゥーでは、すべての物事は善と悪、生と死といった形で必ず相反し、
それらのバランスが維持され共存することで世界が成り立つとされています。
この考え方を「二元論」とも言います。
またバリ・ヒンドゥーでは高い場所に神がいるとされており、バリ島最高峰のアグン山は神々の座として崇められています。
全能の唯一神で、上記すべての神の神格はこの唯一神の現れの一つに過ぎないとされる。
インドネシア共和国の独立後は、パンチャシラという建国五原則の第一条項にある「唯一至高の神」つまり一神教が国家理念とされたため、
多神教であるヒンドゥー教の人達はすべての神を崇める事ができるよう、神々を形もなく、色もなく、また限りのない存在、いわば虚無の神だとして、これは一神教と言い張り、政府に認めさせた。
のではないかと思っている。要はそれほど人々が信じる神は多種多様なのかも知れない。
ヒンドゥー教について調べてみた。
教徒の数はインド国内で8.3億人と最も多く、インド以外の国を合わせると、約 9億人以上。
キリスト教、イスラム教についで世界3番目の宗教。
インド広義の定義では、インド以外の地域で発祥したキリスト教やイスラム教を除き、全てヒンズー教と解釈する。
従い、インドでは仏教もヒンドゥー教の一派とされる。
「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する”sindhu ”に対応するペルシア語。
ペルシアから見てインダス川対岸に住む人々の意味で用いられ、西欧に伝わりインドに逆輸入された。
ヒンドゥー教には極めて様々な信仰、霊性や風習が包括され、かつ体系化されている。
しかし、キリスト教に見られるような教会制度や宗教的権威は存在せず、また預言者もいなければ共通の聖書もない。
従いヒンドゥー教徒は多神教、汎神論、一神教、不可知論、無神論、ヒューマニズムを自身の思想として自由に選ぶことができる。
ヒンドゥー教の包含する信仰、思想、真理は広範で、そのためこの宗教の定義はこれ!
とは言えない。
日本人は無信教が多いと言われるが、インドの考えだと日本は一種のヒンズー教徒かも知れぬ。
ヒンズー教の考え方の大らかなところ(?)が私は好きだ 。
ヴィシュヌ神,シヴァ神,ブラフマー神がヒンズー教の三大神と言われ、夫々奥様がいて夫婦共に多様な化身を有する。
・ブラフマー神 :宇宙,世界に実存、実在の場を与える神 (Generate :創造)
上記の赤字GODが英語の”god” 神となる。
・ガネーシャはシヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。
インドの国立博物館にヒンドゥー教の多様な神像が収蔵・展示されていると聞く。
是非行ってみたいものだ。 神様は面白い
↓ ヴィシュヌ神と10の化身
↓ 私の干支の神・ハヌマーン
ヒンズー教の神像を意外な場所で見つけビックリした。
意外な場所とは、坂出市にある金山のけいの里、サヌカイトの里だ。
すごい数の石像がところ狭しと置かれている。
けいの里の持ち主・前田 宗一氏によると、彼のお父さんがインドネシアと何らかの関係があって入手したのだそうな。
バリへ行ったその後にこの石像を見たから、えっ~!っと気付いたものの、そうでなければ知る由もないし、聞いてもへぇ~くらいで終わっていた。
ヒンズー教の神が取り持つ不思議な縁だ。
バリ3日目、ガイドのハニーさんが民家を覗いて見ますか?との提案。
↓ 玄関門、多分バリでも裕福な家だと勝手に思う。
↓ 中に入ると子供の頃を思い出す懐かしい風景が広がっていた。
↓ 日本のように鳥居はないが境内に入る門の両側にこんな像が。日本では狛犬。
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaかdddddddddddddddddddddddddddddddd
↓ 境内に入ると茅葺きならぬ椰子葺きの社
↓ 台所
↓ 内側から見た門
↓ 門の前にはもちろん”ベンジョール” その家の玄関を清める意味もあるとか。
↓ ベンジョールの下にはお供え物
バリ島の島民のほとんどはヒンズー教徒という。
↓ 門の入口にも家を守るヒンズー教の神様?が。
ガイドさんから聞いた話、
神様のお姿を見た人はいないから神はどんな顔かたちやお姿でもいいのだそう。
その人が思う神の像でいい、だから人の数だけ顔かたちの違う神様がいる。
↓ 神々
↓ これも神様
いいねぇ~。
バリ島の各地でケチャックダンスを鑑賞することができるが、こ断崖絶壁の上に立つウルワツ寺院で鑑賞するダンスは、沈む夕日を背景に取り入れて、とりわけ素晴らしいとの評判。
19時頃の日暮れから始まるのだが、早めに席を取った方がいい・・・とのハニーさんの勧めで会場へ。
一時間前だったが、もう座っている人がまあまあいた。
↓ ダンスの舞台
↓ まずご挨拶。現地語だが、ところどころで英語や日本語のサービスも。
↓ 始まった!
何か楽器でも使うのかと思いきや、男達が発する"ケチャ、ケチャ”という低音で良く響くリズムでダンスが始まった。
耳障りの良い独特のリズムだったが、始めから終わりまで約一時間この調子が延々と続き、正直最後は飽きた。
でも広いインド洋を背景に繰り広げられるダンスは異国情緒たっぷりで圧巻だ。
↓ いよいよ日没、夕日を背景にダンスは続く。
↓ 猿の将軍”ハノマン” を演じる役者はすごい! 客席の中へ飛び込み大暴れする。
↓ ちゃんと舞台も勤める。
↓ 圧巻は白猿・ハノマンが焼き殺されそうになる場面です。
バロンダンスの時は、もらったストーリーを読まなかった。
劇を見れば分かると思っていたのが大間違い。
しゃべる言葉がまるで分からないから何を演じているのかさっぱり分からない。
今回は始まるまで時間もたっぷりある、読んでみた。
粗筋はざっとこんなもの。
アヨディア王国のラーマ王子(ヴィシュヌ神の化身)は、妻シータ王妃と弟のラクサマナと共に国を追放され、淋しく森の中で暮らしていました。
しかし妻のシータがこの森に住む魔王ラワナにさらわれます。
ラーマ王子は、鳥の王”ジャタユ”や猿の将軍”ハノマン”の協力を得てシータを助け出し、
最後は魔王ラワナを滅ぼす。
まぁ~ありふれた筋だがダンスが主体なのでこんなもんか?
↓ 詳しくは、
《登場人物》
ラマ軍/ 善 :ラマ(王子) シータ(ラマの妻) ラクサマナ(ラマの弟) ハノマン(猿の将軍/白猿) スグリワ(猿の王/赤猿) スグリワの部下―トゥアレン(道化役/黒面) ジャタユ(鳥の王者/ガルーダ)
ラワナ軍/悪:ラワナ(魔王) トゥリジャタ(ラワナの姪/シータに好意的) メガナダ(ラワナの息子) デラム(道化役/赤面)
ダンサーに聖水をかけ、お清めの儀式
アヨディア王国のラマとシータ、ラクサマナは、陰謀によって14年という長い間、森へ追放されていた。
《第一幕》
森の中。若い王子ラマと、王妃シータが愛し合う舞。続いて”黄金の鹿”(魔王の化身)の登場―。
シータの美しさに心を奪われた魔王ラワナは、”黄金の鹿”(魔王の化身)を使ってラマとラクサマナからシータを何とか引き離そうとする。シータは魔物の魔法にかけられ、ラマに「黄金の鹿をどうしても捕らえて欲しい」と泣いてラマ懇願する。ラマは愛する妻の頼みだと仕方なく承知する。ラクサマナは鹿狩りの為の弓矢をラマに渡し、ラマはラクサマナに妻の安全を託し、森へ向かったが鹿を捕らえる事はできなかった。
《第二幕》
ラクサマナは黄金の鹿が魔物の化身だということを初めからわかっていた。ある日、どこからかラマの助けを求める叫び声をシータは聞いたような気がした。シータはラクサマナに見に行くように言いつけるが、ラクサマナは兄の力を信じているので心配はしていない。何よりシータの安全を兄から託されていたので、シータ一人を残して行く事に責任を感じた。しかしシータは自分の言いつけを拒否するラクサマナに対して、兄を見殺しにして自分と結婚したいのだろうと勘ぐる。ラクサマナは怒り、自分の潔白を証明する為に兄を見に行く事を決意する。出かける前にシータの周囲に「火の輪」で安全のおまじないをかけ、シータに「この火の輪から外にでないように」と言い残していく。(ダンサーは内側・外側を向いて火の輪を表現)シータは一人残されてしまう。
《第三幕》
魔王ラワナ登場―。取り残されたシータ。このチャンスに美しい人妻シータをさらって行きたい。しかし、近づきたくても火の輪があって中に入れない。ラワナは魔法を使って年老いた僧侶に変身し、火の輪の中のシータに「水をください」と懇願する。シータは僧侶に同情し、火の輪から出て水を差し出してしまう。その時、シータはラワナの罠だとわかり逃げ惑う。罠にはまったシータをラワナが捕らえようとすると、鳥の王者・ジャタユが空からやって来て助けようとするのだが、魔王の力には及ばず殺されてしまう。ラワナはシータを捕らえ、王国に連れ去る。
(間:ダンサーのみの舞踏)
《第四幕》
ラワナの姪・トゥリジャタ登場―。ラワナは捕虜となったシータの世話役としてトゥリジャタを側に付かせた。その頃、白猿のハノマンはラマから依頼をうけシータを探しみつけた。囚われの身となり嘆き悲しむシータ。トゥリジャタはそんなシータを慰め元気付ける。ハノマンは二人の姿を隠れて見ていた。突然ハノマンがシータの目の前に現れ、シータはラワナが今度は猿にでも化けて近づいてきたのか?疑う。しかし、ハノマンはラマから預かった指輪を差し出し、その指輪が間違いなくラマの物であることがわかり、シータも自分の髪飾りをハノマンに預け、自分の無事をラマに伝えるように頼む。ハノマンは王国を去る前に王国を壊し暴れた。しかし、捕らえられ火の中に投げ込まれて焼き殺されそうになる。その火の中で目が覚め、何とか無事逃げ出すことができた。ハノマンは怒り、意気揚々と王国を去っていく。
(間:太ったラクササ達(魔物達)の登場)
《第五幕》
ラマはラワナの王国にたどり着き、ラワナの息子・メガナダとデラムと戦う。ラマは一人の力ではシータを助けられないとハノマンに助けを求め、両者の間で激しい戦いが繰り広げられる。(ダンサーは2つに別れ、善の軍団、悪の軍団を表現)猿王のスグリワ、部下のトゥアレンも応援にかけつけメガナダと戦う。なかなか決着がつかないが、最後にラマがメガナダに向かって放った矢が命中する。戦いが終わりラマはハノマンに導かれトゥリジャダと共に居た最愛の妻シータと再会する。アヨディア王国に戻り平和な暮しが訪れる。
バロンダンスの時もそうだったが、インドネシアで猿は善。
申年の私は嬉しかった。 それで猿のお面も自分用のお土産に買った。
GWK を後にし次に案内してくれたのは、夕景で有名な断崖に建つ寺院・ウルワツ寺院。
ここでケチャ・ダンスも観賞すると言う。バドゥン半島南西端の海岸沿いに位置する。
海の精霊ブタラ・ダラム・ベジを祀ったバリ・ヒンドゥー教の寺院で、11世紀にジャワの僧 ウンプ・クトゥランによって建立され、16世紀に高僧ダン・ヒャン・ニラルタが増築を行ったとされる。
晩年のニラルタはウルワツに隠遁し、解脱に達したという。
↓ 寺院入口
ウルワツ寺院はインド洋の荒波が打ち寄せる断崖絶壁の上に建てられている。
海に沈む夕日をバックにした素晴らしい情景が大変有名との事。
近くのスルバン海岸はサーフ・ポイントとか。
この寺院は野生のサルがいることでも有名で、ガイドさんから帽子やメガネを取られないようにと注意を受けた。
↓ 寺院は神聖な場所なので、短パンや短いスカートの人は入場禁止
生後三ヶ月未満の赤ちゃんも。
またまた、身内(はとこまで)の誰かが亡くなった時も、地域によって様々だが、3日間から最長30日間まで入れないとか。
短パン,短スカートの入場者には腰巻と腰帯を貸してくれる。
存在感抜群の像で、空港からも見える、あれは何だ 何?なに
その像が、バリ島のランドマークとなるように設計された記念碑 ・ ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ像 (略して GWK像)。
インドネシアで最も有名なモダン・アート彫刻家・ニョマン・ヌアルタ氏によって設計され、構想から28年を経て2018年10月に完成した。
完成後に行けたのはラッキー
。
建築費用はなんと 約 1億 ドル、日本円換算 約 110億円 かかったとか。
高さは120メートルで 21階建ての建物と同じ、インドネシアで一番高い。
↓ 遠くから見ると
翼を広げた神鳥ガルーダに乗る ウィシュヌ神の姿を表現したとある。
ウィシュヌ神は水を司るヒンドゥー教の神様で、永遠の善行である「アムルタ」に対応する良心の化身として園内のウィスヌ広場に鎮座する。
一方、この神を乗せて飛ぶ鳥・ガルーダの頭部の像がとなりにある。
これまた大迫力
ガルーダは、神話にたびたび登場する黄金の神鳥で、インドネシアの国章でもあり、
ガルーダ・インドネシア航空の名称もここからきている。
↓ 子孫繁栄を願ってか?
この辺りからもGWK像 がその存在感を示す。
↓ ウィシュヌ神と神鳥ガルーダが一緒に写る風景
チリの女神があるレストランでお昼をしたアト、案内してくれた観光地は、ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ・パーク(GWK)。
この公園は、ングラライ国際空港から約11.1km離れたウンガサン(Ungasan)にある文化公園で2000年にオープン、面積は 240 ヘクタールもある。
バリ文化の活性化と保護を目的とした大型カルチャー・パーク。
この地区で採れる石灰岩を切り開いて造られた敷地内には、バリの文化に触れることのできる様々な施設がある。
↓ まずバスで公園入口に到着
↓ バス停付近にあるオブジェ、ガルーダの卵???
↓ 3体の像 いづれも何かの神様?
↓ チケット売り場
↓ 中に入るといきなりこんな風景が!
↑ どうも、岩と岩の間の石灰岩を削ってつくった人工的なものらしい。
↓ おみやげ屋の横にある道を抜けるとアート広場に出た。
↓ アート広場を抜け、大蛇が巻きつく階段を上る。
↓ 階段を上るとプールのある庭に出た
↓ 庭には山全体を亀の甲羅に見立て、そこから顔を出した亀のオブジェがあった。
↑ 周りを削って亀の頭を造ったのか? はたまた亀の頭を後でくっつけたのか?
↓ さらに階段を上ると、目の前に巨大なウィシュヌ神像
↓ ぐるりと回って元の広場へ出てくると、ここにGWK像のミニチュア版があった。
↓ 再び入口へ、ガルーダが孵化したアトの卵
↓ 公園へのアクセス道路脇にコモドドラゴンの像
↓ ウィシュヌ神 の腕 の像が あるとネットで知った。
ウィシュヌ神の像に腕がないのはギリシャのミロのヴィーナス像などでお馴染み。
違和感はない、だが、腕だけの像にはちょっとドキッとする。
ウィシュヌ神像が古代の産物で、発見された時、腕が欠損していたと言うなら分かるが、
近年製作した像なのに腕なしとしたのは何か深い意図があるのか???
遊び心があって面白い
2019年1月15日、この日の昼食は、田舎のレストランで。
田舎と言うと語弊がある、バリはどこへ行っってもこんな感じだから。
↓ レストラン入口
穀物や作物の豊穣を司る神で、その証に稲穂を持っている。
この神様、 チリ またはスリ と呼ばれる女神。
以下ネットから。
チリ はヒンドゥー教の神話に登場する女神で、「デウィ・スリ」という名前で登場します。
デウィは女神を、デワは男神を意味し、いずれも名前の前に付く。
この世につかわされたチリは、あまりに優しく、あまりに美しかったため、他の女達の妬みをかい、次第に孤立し、最後は寂しく死んでしまいました。
その後、チリを埋葬した墓場から、その頃は未知の穀物であったお米が育ってきたのです。
人間達は、チリの墓場から育ったお米を育てることで、安定した生活を手に入れることができました。
その恩恵に感謝した人間達は、チリのことを哀悼と感謝の念をもって祭るようになりました。
この神話から、チリは、お米の神様、稲の女神、豊穣の神様、などと呼ばれています。
また、バリ島では、チリという言葉は、可愛い、美しい、という意味で使われています。
ウブドマーケットは、ウブド王宮の目の前にある市場。
↓ 市場への入口
スーパーやコンビニも近年増えてきたウブドだが、地元住民は新鮮で安い食材を求め、毎朝この市場を訪れるとか。
朝と昼では売るものが違うと言う。
夜明けから10時ごろまでは朝市が開かれ、住民が生鮮食料品やお供え用の花、日用雑貨などを求めて集る。
野菜や肉など、周辺の農村から運ばれてくる、新鮮なものばかりで価格も安く庶民の台所となっている。
10時を過ぎると、朝市は閉まり、代わりに民芸品や装飾品、絵画などを観光客用に売る市場となる。
私が案内されたのは昼市。
観光客相手のお土産品が所狭しと並ぶが、品物には定価がなく、値段はすべて交渉によって決まるとガイドが言う。
買い物をするには現地人の同伴がなければできそうもない。
↓ ウクレレもたくさん売っている。
数が多いのは木彫品で、仏像と男根が目立つ。大きさもいろいろ。
仏像はスリランカへ行った時に Get。
今も自宅の仏壇に鎮座している。
スリランカで案内してくれた車に小さな仏像があって、そんなのが欲しい・・・
と探したが気に入ったものが見つからなかった。
男根は子孫繁栄を願う人類共通のシンボルで、日本にもそれを祀った神社やお寺もある。
結局ここでは何も買わずじまい。次の観光地へ向かう。
今年で16回目となる 「うたづの町家とおひなさん」を久しぶり覗いてきた。
宇多津町は中讃地区ではユニークな町だ。
塩田跡地に広がる新興住宅街と江戸末期から昭和初期の町家が残る古街が県道を境に同居する町。
新興住宅地には大学もあり、スタバには若者が集う。
若い人の姿を見るのはとてもいい~。隣接する坂出や丸亀では見られない。
一方古街はお寺や神社もある とても静かな場所。
第78番札所・郷照寺もここにある。
ここに建つ町家は通りに面して間口が狭く、奥行に長い所謂 うなぎの寝床。
そんな町家に、ご自由にご覧あれとお雛さまを飾って見せる。
↓ 家の中には立派なお雛様
お雛様に関し、3月1日に放映されたNHKのバラエティー番組『チコちゃんに叱られる』の内容にはビックリPON
ひな壇トップに並ぶ男女はおだいり様とおひな様と皆が思っている。
しかし、「内裏(おだいり)」は「天皇皇后両陛下のお住まいになる御所」の意。
おだいり様が男性を指す言葉ではないため、
1番上の段の男女がおだいり様、ひな壇の人形全員がおひな様である・・・と。
この勘違いをさせた犯人は、サトウハチロー氏。
ひな祭りによく歌われる曲 「うれしいひな祭り」 の二番にある
「おだいりさまとおひなさま 2人ならんですまし顔」という歌詞が原因。
これで大勢の勘違いを生んでしまった。私もこの番組を見るまでそう思っていた。
この曲の作詞をしたサトウハチローも勘違いに気づいていたようで、
「この曲を嫌がっている様子だった」と孫のインタビューで発覚したとか。
面白い
↓ 健康教室で絵手紙を教えている前田 敏子先生の作品
けいの里にはサヌカイト楽器を展示する施設やコンサートを行う施設があるが、
今は非公開となっている。
この施設を運用する前田 宗一氏は早い時期に自由に入れる施設にしたいと語っている。
↓ 楽器の展示室
展示室内には、サヌカイトで作られた実に様々な楽器が並ぶ。
その楽器は音を出す目的だけでなく、見た目もきれいなサヌカイト工芸品でもある。
極め付きはサヌカイトをくり抜いて作った笛、
ここまで加工できたのは最新技術のたまものだ。
サヌカイトの楽器は宗一 氏の父・ 前田 仁 氏が作りだしたもの。
2017年4月に書かれた 前田 宗一氏の「 磬 石の楽器の誕生と歴史について」によると、
1979年の秋、三重県 津市で開かれた日本考古学会で京都大学・東村武信教授が、
「坂出市金山東斜面は旧石器時代から縄文に至る石器の素材の原産地である」
旨の研究発表をした。
この記事を読んだ 前田 仁 氏は、自分が住んでいる山が 2万年を超える太古の昔より
この地が「石器の里」であった事を知り、この石をもう一度人の暮らしの中で生かしてみたいと考え、楽器づくりを始めた。
と云う。
そして、1980年に第一号の石琴ができて36年経過、
その間 音楽家をはじめ地質学,考古学,振動工学,宗教家,芸術家など日本を代表する学者が現地に来て、彼らの助言を受けながらサヌカイト石の楽器が誕生した。
そして今も宗一氏が取り組んでいるのは、楽器の精度を上げてもっともっと良い音を追求する事、新しい楽器を創造する事という。
「けいの里」の命名は間違いなく「磬(ケイ)」からきていると思われる。
磬 とは、中国の雅楽で用いられた体鳴楽器、日本では仏教楽器として使われている。
↓ コンサート会場 ここでサヌカイトの演奏も行われる。
金山にはカンカン石と呼ばれる古銅輝石安山岩サヌカイトがゴロゴロころがっている。
その名のとおり石を叩くとカンカンと良い音が出る。
1300万年前、四国が徐々に出来上がり、特異なマグマの動きで奇跡的な条件の元に生まれたのがサヌカイト。
地球を構成するマントル内で溶けてできた安山岩質のマグマからなり、一般の安山岩よりマグネシウムの含有量が多くガラス質の火山岩。
ガラス質の密度が高く、重いことが要因で音の鳴る石になったと言われている。
サヌカイトは学術名で、ドイツのナウマン博士が発見し、ワインシェンク博士がサヌカイトと命名した。
へぇ~そうなんだ! 私はてっきり讃岐のサヌから命名されたものと思っていた。
そうかも知れないが、ドイツ人が香川の事を昔、讃岐と知っていたのか?疑問。
サヌカイトはそのほとんどが讃岐中部に産出し、金山と五色台が代表。
サヌカイトは元々山頂に埋蔵されていて、それが古代の大地震で崩壊し、小さな破片となって斜面に散乱したと思われる。
けいの里には殊の外サヌカイトが崩れ溜まっているらしい。
↓ これほとんどサヌカイト、地表にゴロゴロしている。
金山は小さな山ながら不思議な山で、日本でも唯一といってよいボーキサイトが採れる山とか。
ちっとも知らなんだ!
勿論ボーキサイトはアルミニウムの原料で、戦時中は村人が借り出されボーキサイトを採取しアルミニウムを作ったとか。
それで飛行機を作ったとの話もあるが眉唾、日本にもボーキサイトがあるとの対外アピールだったよう。
金山は前田 宗一氏の父・前田 仁氏が地元有力者からこの山を開発して欲しいとの要望で購入した。
開発に着手したが、カンカン石ばかりが覆っている山は工事を困難にし、途中でやめざるを得なかった。
しかしその事が結果的には、山全体が遺跡である金山にとって良かったとか。
今、宗一氏は山を保存しながら施設の充実を図っていて、サヌカイトや金山にまつわる伝説の研究をしている。
以上、前田 宗一作のパンフ 「サヌカイトそして金山・けいの里」から。
↑ 左端が金山
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