Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2019年11月

伊豆への旅 その5(沼津御用邸)

堂ヶ島を後にし静岡駅への帰路、沼津御用邸へ案内してくれた。

まず「御用邸」とは天皇や皇族の別荘の事で、年に数回 ご静養を兼ねて避暑や避寒で過ごすところ。

↓ 沼津御用邸の場所は静岡県沼津市、JR沼津駅から車で約15分

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明治26年大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために造営され、明治・大正・昭和の3代、77年間にわたり天皇皇后両陛下や皇族の方々に利用

されたが、昭和20年7月、沼津大空襲で本邸を焼失し、 昭和44年に廃止された。その翌年、沼津市が「沼津御用邸記念公園」として開設した。

沼津には昔 別荘が多かったそうだ。

と言うのも、明治22年(1889年)東海道線の開通により東京からの交通の便が良くなると風光明媚な牛臥から静岡海岸にかけて、九州は薩摩藩出身の大山巌元帥・西郷従道元帥・川村純義海軍大将らの別荘がいち早く建てられた。

やがて彼らの影響もあり御用邸が造営されると頻繁に名士や富豪が来遊するようになり、明治末期から昭和初期には千本から内浦にかけての海岸線に別荘や邸宅,保養所や臨海学校、旅館などが相次いで建てられ沼津は一大保養地として脚光を浴びるようになった。

しかし第二次世界大戦による御用邸本邸の焼失や敗戦により社会状況が急速に変化し、往時は80棟を超える別荘群も現存するものはわずかとなり、今は昔日の面影はない。

↓ 正門

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↓ 御用邸内地図

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地図の左が東附属鄭、右が西附属鄭。

東附属鄭は明治36年、昭和天皇の御学問所として赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築し造営されたもの。

西附属鄭は明治38年、昭和天皇の御用邸として造営されたもの。

内部は ↓

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↓ ビリヤードの部屋

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↓ お庭、松林の向こうは海 

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別荘と言ってもピンキリ、さすが皇族の別荘はすごい!

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伊豆への旅 その4(堂ヶ島)

堂ヶ島 温泉郷 ”海辺のかくれ湯  清流 ”で一泊。 

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このホテル、海がせまる崖っぷちに建っていて窓から見える景色は抜群。

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最上階がホテルのロビーになっていて、部屋は下にある。

「海辺の隠れ湯」と謳うだけあって、お風呂は一階の波の音が聞こえるところにある。

そこの露天風呂、最高! 特に朝風呂は駿河湾の海を見ながらゆったりゆっくり・・・のんびり。

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風呂を出て朝食後、付近を散策していたら” 天然記念物 堂ヶ島天窓洞” があった。

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堂ヶ島一帯は白色砂質凝灰岩でできており、長い年月の海食により大洞窟が駿河湾から陸側に貫通している。

そのほぼ中央に「明り取り」のような穴があき洞窟の天窓の役割をしているので「天窓洞」と呼ばれている。

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後刻、ここは遊覧船からも今度は見上げた。

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↓ 堂ヶ島洞窟巡り遊覧船に乗った。

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↓ 観光船からの風景の数々

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↓ これから天窓洞のある穴に入る

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↓ 船から見上げた天窓洞

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↓ 三四郎島

この島は、沖あい200メートルほどのところにある伝兵衛島・中ノ島・沖ノ瀬島・高島からなる4つの島で、見る角度により3つに見えたり、4つに見えたりすることからこう呼ばれている。

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この島、干潮時には一番手前の伝兵衛島まで砂瀬が現れ、歩いて渡る事ができるという。

↓ 観光看板にも大きくその写真があった。

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体験したかったが時間の都合で行けず! 残念!

でも後で知ったが10月~2月は日中に大きく潮が引くことはなく、3月あたりからとの事でした。

潮が引くと陸とつながる現象のことを「トンボロ」と言い、大変珍しい現象。

小豆島にもエンジェルロードと呼ばれるトンボロがある。

トンボロは陸繋・砂州とも言い、陸地と島をつなぐ砂州。

↓ 左が満潮、右が干潮 時

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堂ヶ島のある西伊豆町は夕日の名所とかで、夕日の写真の撮り方をアドバイスしてくれる「西伊豆町 夕日ボランティアの会」なるものもある。

その会のPR夕日がこちら ↓。

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確かに美しい風景。残念ながら見ることはできなかったが・・・。

伊豆への旅 その3(長八美術館)

↓  修善寺を後にし、次に向かったのは松崎町にある「伊豆の長八美術館」 

ここは日本随一の漆喰芸術の美術館。

建設にあたり、古来の左官技術と現代の新工法を調和させて左官工法の変遷を表し、左官技能の粋を集めた画期的な建物にするため、長八の神技を継承する有能な技能者が全国から集まり施工された。

現代左官技能の集大成ともいえる建物。

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長八とはご当地・松崎町が生んだ工芸家で「入江 長八(1815~1889年)」の事。

江戸時代末期から明治時代に活躍した名工(左官)、工芸家でなまこ壁鏝絵といった漆喰細工を得意とした。

貧しい農家の長男として生まれた長八は、生来の手先の器用さに将来は腕を以て身をたてようと志し、12歳の時 松崎村の左官棟梁に弟子入りし19歳の時、江戸へ出て絵を狩野派の喜夛武清に学んだ。

かたわら彫塑の技を修めてこれを左官の業に応用し、漆喰を以て絵を画いたり彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいて長八独特の芸術を完成させた。

↓ 長八作品『富嶽図』

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↓ パンフより「春暁の図」

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↓ 美術館へのアクセス通路横にある「老人と子供」像

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この作品は現在スペイン・バルセロナで活躍している石彫家・外尾 悦郎氏が制作したもの。

松崎町の飛躍、発展を願い「老人と子供」「知恵と生命」が主題。

実態あるものを絵画や彫刻に写し取る才能を持つ人がうらやましい~。

伊豆への旅 その2(修善寺)

↓ 修善寺の中心街を流れる桂川、その川中に「とっこの湯」がある。

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大同2年(807年)に弘法大師がこの地を訪れた時、桂川で病気の父の体を洗う少年に心を打たれた大師が、「川の水は冷たかろう」と手にした独鈷杵(とっこしょ=仏具)で川の岩を打ち、霊泉を湧出させたと言う。

そして大師が父子に温泉療法を教えたところ、父の10数年の固疾がたちまち平癒したと伝えられ、この後この地方に温泉療法が広まった。

いわゆる修善寺温泉発祥の温泉で伊豆最古の温泉と言われている。今は入浴できない。

↓ 修善寺温泉マップ

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↓  新井旅館、国の登録文化財の宿とか。

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↓ 竹林の小径

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↓ 楓橋

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桂川にかかる五つの橋にはそれぞれ恋にまつわるご利益があると云われ、願いをかけながら渡るとその思いが成就すると???

ちなみに五つの橋とは、川上から「みゆき橋」「渡月橋」「虎渓橋」「楓橋」「滝下橋」。

↓ 源範頼の墓

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範頼は鎌倉初期の武将、源義朝の第六子で蒲の冠者と呼ばれた。

治承4年(1180年)に兄・頼朝と義仲が対立した時、範頼は 弟・義経と共に義仲を倒した。

次いで一の谷の合戦では平家を破り、その功で三河守に任じられた。

その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝は範頼に義経討伐を命じたが断ったため、頼朝から疑われるようになった。

建久4年(1193年)曽我兄弟仇討の際、頼朝討ち死にの誤報が伝わり悲しむ妻・政子に「範頼ある限りご安心を」と慰めたため、幕府横領の疑いをかけられた。

範頼は弁明に努めたが、ついに修禅寺に幽閉されさらに梶原景時に攻められ、日枝神社の信功院で自害したと伝えられている。

↓ 折しもこの日は小山町の祭り

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昼食を済ませ、修善寺を後にした。

伊豆への旅 その1(修禅寺)

静岡で毎年行われる健康講演会のあくる日は観光と決まっていて、これがまた大の楽しみ。

伊豆半島へは昨年に引き続き2回目の旅だが、まだまだ観光地はいっぱいある。

半島へ向かう途中トイレ休憩に寄ったのは「伊豆のへそ」と云われる「伊豆・村の駅」。

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へそと言うが伊豆半島のその位置には見えない・・・まぁいいか!

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ちなみに伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートに位置し、かって南洋にあった火山島が北上、本州に衝突して半島になったとか。

へそを後にし、修善寺へ向かう。

修善寺は、その地名の由来とされる「修禅寺」をはじめ、豊かな温泉が湧く地としても有名。

この温泉は1,200年前に空海が発見した温泉で、街のシンボル的存在でもある「独鈷の湯(とっこのゆ)」は、日本100名泉にも選ばれている。

↓ とっこのゆ、川の真ん中にある足湯

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お寺へ行って修禅寺の「ぜん」の字が地名のそれと違う事を初めて知った。

地名は「善」でお寺は「禅」だ。

↓ 修禅寺 山門

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修禅寺は807年に空海が創建したと伝えられ、その後の約470年間は真言宗に属していた。

このお寺、創建初期には「桂谷山寺」と呼ばれ、「延喜式」には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院。

鎌倉時代初期に「修善寺」と呼ばれ、鎌倉中期にに曹洞宗に改宗して「善」を「禅」に変更したとの説有り。

また、源頼朝の弟・範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府二代将軍・頼家がこの寺に幽閉され、この地で殺害されたと云われるが定かでないとか?

イラスト

東京都杉並区の社会福祉協議会のパンフレットに愚息のイラストが採用された。

親ばかでご紹介!

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井上杏那 氏作品 11月-1

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健康への道しるべ 講演会

健康への道しるべが主催する講演会に毎年参加している。

毎年 静岡で開催、昨年からそのついでに東京に住む息子を訪ねるいい機会となった。

時は、2019年10月18日(金)12:00開場、 場所は決まって同じ 静岡県男女協同参画センター「あざれや」。

講師も毎年同じ渡辺医院の医学博士・渡辺医院長。

今回の演題は【心臓病を克腹しよう~血管と心臓 】。

渡辺先生は西式健康法を取り入れた治療を行う日本でも数少ない医師のひとりである。

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↓  まず主催者挨拶から始まった。

健康への道しるべ友の会 代表・増田 桂子 氏

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渡辺先生の講演に先立ち、演題に関係する体験記の発表が信州安曇野在住の百瀬氏よりあった。

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講演会のパンフを見た時、百瀬さんと同じ体験をした私は「俺にも喋らせよ」と思ったほど。

案の定、発表後の質疑応答で質問してくれない~と事前に頼まれた。

彼の体験を聞いて私の場合と術後の症状が全く違うことに驚いた。

私の場合はメスを入れた傷口の慢性的な痛みだけだが、百瀬さんの場合は心室細動とかの心臓病の症状が出たそうだ。

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体験発表が終わり渡辺先生の講演に移った。

心臓の働きの説明から始まり、どんな病があるのか、その病に罹らないためにはどんな事を普段から心がけたらいいのか・・・等々、丁寧に説明頂いた。

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こうして無事講演会は終了した。

えなが石

沙弥島の漁港に入る海路のど真ん中に大きな石がある。

”えなが石”と言われるそうだ。 ↓ 写真中央。

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説明看板に曰く、

理源大師聖宝(832~909年)は空海の弟・真雅(シンガ)の弟子で讃岐の五大師の一人に数えられる人物。

その出生地は本島とされているが、ここ沙弥島にも理源大師を身ごもった母親が船で立ち寄り、そのまま出産したという伝説がある。

このため島内には理源大師の出生にまつわる伝承を持つものがいくつか存在している。

この港の入口に鎮座する大きな石もそのひとつ。

これはえなが石と云われるもので、理源大師誕生の際この場所に胞衣(エナ)を埋め、その上から石で蓋をしたものと言われている。

船の進路と重なる位置にあるが、触れるとお腹が痛くなるとの言い伝えもあり、今でもそのままにされている。

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↓ この港を出ると瀬戸大橋の雄姿が

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↓ 三年前の瀬戸芸作品

『 階層・地層・層 』By  ターニャ・プレミンガー【ロシア/イスラエル】

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↓ この木何の木  気になる木 ♪ のミニチュア版???

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ミニチュア版だけど存在感は抜群。

龍王山

高見島のほとんどは山、てっぺんに龍王宮があると聞いては登らざるを得ない。

標高297mと高くない。一時間もあればと気軽に考えたのが大間違い。

瀬戸芸に合わせ登山道は整備されている筈と地元の人からも聞いた。

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↑ 地図をみるといろいろなコースがあった。

時間節約にと急勾配コースを選んだのがこれまた大失敗。

「遊歩道」と書かれた小さな標識をたよりに、そう整備されているとは思われない小岩だらけの山道を上へ上へと辿る。

↓ 三合目の休憩所

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雑木で作った椅子は片方が崩れ落ち「休憩所 三合目」と書かれたラミネート標識が揺れていた。

休憩もできず、次第に怪しさを増す山道を進むと四合目の印があった。

えっ~まだ四合目??? だいぶん登ったつもりなのに。

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気を取り直して登る。

↓ 何とか九合目まで来た。

遊歩道の標識はもはや何処にもなく、九合目のラミネートが針金から解放されて山道に落ちていた。

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さて上をみると頂上が近いしるしの太陽光が射している。

でも道は今まで通過した状況とは全く異なっていた。

登り道に人が通った形跡が全くない。

これまでの道は何とか開け、小枝を搔き分けながらも登ってこれた。

しかし今からの道は釜か鋸で小枝や竹や下草を切り払わないと進めそうにない。

さて! 考えた。

諦めて引き返すべきか? 多少苦労しても道なき道を進むべきか?頂上はすぐそこなのだ。

足元は小岩だらけに様相を変え、滑りやすさの度を増している。

引き戻すにしても、よほどそろそおろ下りないと滑落しかねない。

しばらく考えた挙句、下した決断は引き返す事。

案の定、二回も滑落。幸い滑落先に岩や身体を破壊するものがなく事無き得た。

今から思えばラッキーだった。まだ生きておれとの神のお言葉かも知れぬと大げさに思う。

無事元の登り口まで辿り着いた時には足はがくがく、喉はカラカラになっていた。

時間はさほどかからぬだろうとペットボトルの水さえ持たぬ不用意さ。

反省する事しきりだった。

1、まず途中で急勾配の道と緩い道の二岐標識があったのに前者を選んだ事

2、たかが300mもない山と高を括った事

3、リュックも持たず、水筒も持たず、杖も持たず登った事

4、一人で行った事

次回また反省点を克服して挑戦しよう・・・と思う。機会があれば・・・だ。

高見島の神々

高見島にはかって9つの神社があったと看板にある。

まずそのひとつ、祇園社 ↓

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↑ 祇園社は龍王山登山道の起点

↓ 八幡宮 海べりに鎮座する

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↓ 鳥居をくぐると長い階段が続く

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神社に関係ないが、かって學校があったようで定番の像が。

↓ 薪を負い本を読む姿は二宮金次郎の像に違いないのだが、 

えらくふくよか・・・しかも女の子っぽい。

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高見島、面白い!

芸術作品(NO. ta03)in 高見島

作品名:Long  time no see

作 者:PARANOID  ANDERSONS 【日本】

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第一印象は ”何だこれ!”

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ゴミ屋敷の屋外版か? と思ってしまった。

創るの、大変だったろうなぁ~。

何を表現しているのかは作者に聞かないとわかる由もない。

普通に生きていく事の大変さ? 生活の苦しさ? 日常の怠惰? 無駄なもの???

■ その他アート作品

↓ 高見島の砂模型。

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↓ 航行する船も石、海の危険を表現?

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入場料300円で入った 作品 NO.09 『家の”メメントモリ”2019』 By ロサナ・リオス

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ますます、わけがわからない???

芸術作品(NO. ta01)in 高見島

まず港にあった作品 『積みかさなる白と空白』 By 鎌田 祥平・並木文音

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中に入ると何もかも真っ白

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普通の生活が突然凍り付いて、そのまま時間が止まったような???

原爆のごとき大きな力が働いて心に大きな穴が開いたような?

白には不思議な力が宿っているのかも知れない。

瀬戸芸 秋会期 高見島へ

瀬戸芸・秋会期が始まってひと月が過ぎ、11月4日で終わるというギリギリの11月2日、行ったことのない島・高見島へ行きたいと思った。

多度津港から船が出ている。早速 港へ行ってみると9時5分発の定期便は、瀬戸芸客で長蛇の列。

回を重ねるごとに芸術祭を見に来る客が多くなっている。

船に乗り、青い海を見ながら島へ行き、芸術に触れるという非日常が、この芸術祭の魅力なのかも知れない。

満員で乗れないかもなぁ~・・・と思いつつも最後尾へ並ぶ。

案の定、その船には満員で乗れず。

積み残された客が大勢いる、すると臨時便が出るという。

ラッキー! 半ば諦めていたのに。

↓ 長蛇の列

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↓ 臨時便

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↓ 先に出た定期便、多度津から高見島経由佐柳島へ行くフェリー

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港を出る途中に今治造船の多度津工場がある。

そこに昔の思い出がよみがえる建造船の雄姿が目に飛び込んできた。

こんな近くで建造船を見るのは久しぶりだ。

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↓ 真正面に見えるのが高見島

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海を眺めるのは私には非常に心地よい、特に晴れた日は海の青と空の青が決して溶け合うことなく、

明確なコントラストを保ち合いながら存在感を主張している。

↓ 大きな台船がタグボートにひかれてお仕事に・・・何を載せて寄港するのだろう?

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↓ だんだん島が近づいてきた

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多度津港から約30分で島に着いた。

瀬戸芸の旗とようこそ高見島の旗が出迎える中、上陸。

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高見島のご紹介

多度津港から北西 約7.5Kmの所にあり周囲 6.6Km、面積 2.33K㎡。

島全体が山で平地が少ない。山の名は龍王山といい標高 297m、塩飽諸島の中で2番目に高い山。

ちなみに一番高い山は広島の王頭山(311.8m)。

龍王山の頂上近くに水の神様・龍王宮を奉る。

高見山は古くから開け、かっては人口も多く海上交通の要衝として栄えていた。

塩飽大工を多く輩出し、漁業・農業の中心だった。小島にもかかわらず島内には2カ寺、9神社があった。

現在は過疎化で人口は激減(約 30人弱) している。

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キリンアート

瀬戸芸が始まった頃からこのキリンやラクダのオブジェを、坂出市内で見かけるようになった。

↓ 今年春会期の瀬戸芸で、会場の沙弥島にこんなキリンが。

コンテナの天井から首が、コンテナの横から足がはみ出している。

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↑ 私が勝手に題して『窮屈,キュウクツ,出して~』

↓ 民家の敷地内で二階を見上げるキリン

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『私でも届かないわぁ~』

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高見島へ行った時、ここにもいた。

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↑ 軽トラに乗る3匹のキリン、題して『仕事なんてやってられるか~』

↓ ここにも、『セクシーでしょ!』

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ここにも ↓ 『なんか楽しい事ねぇかなぁ~』

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↓ 『誰か来ないかなぁ~』

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この作品の作者は誰だろう???

素材は何でできているのだろう???

ちなみに

瀬戸内国際芸術祭とは、瀬戸内海の島々を舞台に開催される現代美術の国際芸術祭である。

対象地区が岡山・香川の両県に跨る一大イベント。

第1回は2010年でその後3年に一回 春・夏・秋に分けて行われている。

今年は、第4回目の開催年。 

旅するクジラ

こんぴらさんへの長い階段の両側には土産物店が軒を連ねる。

が、昨今は店主の高齢化か? 儲からないのか? 閉店した店がちらほらある。

そんな店はシャッターが閉まり、実に味気ない。

そんな味気無さを少しでも緩和しようと、シャッターアートが出現!

出現!と言ってもまだ1軒だけだが、巨大なクジラの絵が描かれたシャッターを発見。

題して【旅するクジラ】

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坂出市や丸亀市の商店街ではずいぶん昔からシャッターアートがあって見慣れたものだが

ついに金毘羅さんの石段店にも広がったか・・・と複雑な思い。

あまり広がらな事を願ってやまない。

四国新聞にこんな記事

参道に巨大なクジラがお目見え―。
海の神様として知られる琴平町の金刀比羅宮表参道沿いに、シャッターアート「旅するクジラ」が完成した。
県内随一の観光地に突如として現れたクジラがモチーフのアート作品に、大勢の観光客も思わず足を止め、記念撮影をするなど早くも人気スポットとなっている。
関係者らは「歴史的な参道にこれまでなかったような新たなシンボルができた」と活性化に向け手応えを感じている。

町内の各種団体で組織する「こんぴら観光ブランド戦略会議」が、年々増え続ける空き店舗対策として初めて企画した「表参道シャッターペイント事業」の一環。
中心となってシャッターアートを手掛けたのは、岡山県在住の画家、幸山将大さん(31)で、制作には地元の子どもたちのほか、地域住民や観光客も加わった。

キャンバスになったのは、石段の83段目にある約10年前に閉店した一刀彫の店の縦約3メートル、横約8メートルのシャッター。
幸山さんは、琴平だからこそ描ける絵として、大いなる海の生物で幸運の象徴ともされるクジラを描くことに決め、具体的なデザインを考案。
2019年9月22日に下地を描く作業からスタートした。

翌23日には、地元の小学校に通う児童や地域住民らが作業に参加。
幸山さんがあらかじめ描いたクジラの輪郭に、水性ペンキを使用してそれぞれの感性で色を付けていった。
シャッターの凹凸に苦労しながらも鮮やかに彩色し、中には自分の手を筆代わりにする参加者もいた。
完成までの延べ10日間で約70人が制作に携わったという。

幸山さんは、参拝客がこれは何だろうと立ち止まる絵が描けたとした上で、「制作に参加してくれた人にも完成した様子をぜひ見に来てほしい。
『ここは私が色を塗った』などと話してもらい、この作品を通じて人と人がつながればうれしい」と話していた。

企画立案した同戦略会議は「今後も訪れる人たちの興味を引くような事業を展開していきたい」としている

 

近視・老眼を自力で良くする名医のワザ

回生眼科院長・山口康三先生監修の本に柿茶も紹介されているのでご紹介。

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Kakicha 

足は万病の元 By 豊岡倫郎 2019-9-18

1、老化は足から

長寿社会が進み、平均寿命も延びて、男性は81歳、女性は87歳となっているが、ただ気にかかることは、健康寿命即ち介護を受けたり、寝たきりにならずに生活が送れる年齢が、男性72歳、女性74歳と意外と短いことである。そして70歳以上の人が男女合わせて、2751万にも居るから、ここで改めて健康で長生きすることの重要性を再認識する必要がある。

2.足は万病の元

足は万病の元という言葉がある。その意味は足に故障や障害があると、体全身の病気に影響を及ぼしているという事で、今回はいくつかの事例を挙げて、解説する。

3.足の故障が全身に及ぼす機序

右の図を参照ください。1_20191101111201

これは西式健康法を創設した西勝造氏が医学文献を参考にして、作り上げた身体故障伝達図である。足の故障は図のように下から上体へと左右交互に及んでゆく。

足の裏の指の付け根付近が痛いのを、発見者の名前を付けて、モルトン氏病という。次に足首の踝の付近が痛いのを、ソーレル氏病というが、例えば右足のモルトン氏病→左ソーレル氏病→右ひざ関節炎→便秘→肝臓→左下胸→右上胸部→左肩→右扁桃腺→左頭部、という具合に全身に影響を与えてゆく。左足にモルトン氏病がある時は、図の点線に従って、ジグザグに上体へ上がって行く。

そこで自分の足指の付け根を掴んでみて、痛みがないか、次に踝の周囲や内外から押してみて、痛みがないか、チェックしてください。足の歪みと云う整形外科担当の疾病が右図のように内科担当の疾病を招いていることを現代医学の医者は知っているのだろうか。現代医学の盲点のひとつである。

4.足の故障と腎臓病

イギリスのツルーエタ博士は第二次世界大戦時に、砲弾で足に怪我をした人を看病していて、その人たちが皆腎臓に障害が出る事に気が付いて、その後動物実験によって、足の故障と腎臓障害の研究成果を発表している。

足に故障がある人はすぐ風邪を引いたり、扁桃腺を腫らすことが多い。これ等の病気を繰り返す毎に、腎臓病も悪化してゆく。最近は慢性疲労症候群の発症にも腎臓が関係しているという。

5.足首の捻挫.

人間は二本足で歩くようになった宿命から、足に故障を起こすことが、生れ落ちた時から死ぬまでに、何度も経験する。その中でもつまずいたり、足を踏み外したり、スポーツをしていて、足首を捻じったり、いろいろ足首の故障を体験している筈である。起きたその時は医者にかかったりして、治療をして日常生活に戻るが、問題は完治していないことが多いのである。即ち痛みがないとか、日常生活に不具合を感じないことを持って、完治と言えないことが多い。

足首は右の図のように、外くるぶし(脛骨)と内くるぶし(腓骨)の間に、距骨(きょこつ)と踵骨(しょうこつ)が挟まれている。足の捻挫は、スポーツや日常活動において、よく起こることがある。その中で多いのが、内返し捻挫である。即ち内側に捻じって、両足の格好はO脚状になる。

踝を構成している骨は関節包で覆われて、その周囲をいくつかの靭帯で補強されている。一口に足首の捻挫と言っても、骨の組み合わせが複雑で、損傷を受けた靭帯や骨を詳しく検査し、適格な処置を受けないと、慢性化して、繰り返し捻挫ぐせになる。痛みがないからと放置しておくと、踝の構造が歪んでしまい、体全体に悪い影響をもたらす。

6.足の相から股関節をチェックする

自然な形で上向きに寝た時の両足の傾きの状態を観察する。正常な形はAの図の、水平線に対して、両足とも60度の傾きのものである。Bの図の左足が前方転位している。C図は右足が少し前方転位している。D図は股関節がぐらぐらになっている。E図は両足とも後方転位している。F図は左足は正常だが、右足が後方転位と内転も加わる。前方転位とは大腿骨の骨頭が寛骨臼(かんこつきゅう)よりも前方にずれていること、また後方転位とは逆に寛骨臼よりも後方にずれているこという。

このように大腿骨の骨頭が寛骨臼にきっちりとはまっていないと、左右の足の長さに差異が出たり、骨盤が上下に傾斜したり、骨盤が前後に捻じれたりする。これらの異常が上半身の背骨や頚骨の曲りを招いてしまう。100人居れば95人の人に股関節の副脱臼がみられると、磯谷公良という先生の「予防医学」という本に書かれてある。

家に例えるならば、基礎の土台が傾いていれば、床も柱も、屋根も傾いてしまうのと同じである。人間の場合はその傾きを全体のバランスを取ろうとして、S字状に上体を曲げながら、最終的には首の曲がりを招く。関節や骨が正しく繋がっていなく、ずれたり、歪んでいると、椎骨と椎骨の間から出ている神経が圧迫されたりして、その神経によってコントロールされている臓器や器官の働きが悪くなってしまい、病気の原因となってしまう。

7.靴底の減り方で病気が解かる

上述したように、足先から首の骨までガタガタに曲がったりしていると、歩き方までおかしくなってしまい、靴底の減り方に特徴が出て来る。底の減る場所と病気になりやすい場所が関係がある。靴底の前の内側が減る人は肝臓が弱いか悪い。前の外側が減る人は心臓が弱い。後ろの外側が減る人は腎臓が弱い。右足の場合は右側の腎臓、左足の場合は左側の腎臓が弱い。後ろの内側が減る人は膀胱が弱い。

8.加齢による足の衰え

筋肉の重量は体重の約40%を占めているが、加齢と共に筋肉量が低下してゆき、特に下半身の筋肉は上半身に比べて三倍のスピードで衰えてゆくという。寝たきり老人になる大きな要因のひとつが、この筋肉量の低下である。筋肉ばかりでなく、骨量も減るし、関節の軟骨も減るし、靭帯も収縮、硬化してゆき、筋力低下し、動作も鈍くなり、歩くスピードも遅くなる。最近は加齢によってもろく弱くなった筋肉をサルコペニアと呼んで、転倒や寝たきりりの原因として、騒がれている。更に認知機能も低下すると、フレイルと呼んでいる。筋肉は適度に使わないと、どんどん減ってゆくことは周知の通りである。

9.何故足が冷えるのか

体の筋肉の70%は下半身半に存在している。そして体が発している体熱の40%以上を筋肉から出ている。今まで運動らしきこともせず、歩くことも少なく生活してきたお年寄りの人は、足が冷えるのも当然の成り行きである。

足が冷える原因として考えられることは、●足の筋肉が少ない。●足の血流が悪い。●日頃から運動したり、体操したり、散歩したりしないので、新陳代謝が悪い。●下半身の骨格が歪んでいる。●ストレスで自律神経のバランスが崩れている。●動脈硬化や糖尿病、低血圧、貧血、甲状腺などの疾患がある。●栄養が偏っている、などが考えられる。

冷える根本的原因は二つある、足の筋肉が少ないと、筋肉の収縮と拡張作用によって血液を心臓へ戻す還流力が衰えて血流が悪くなる。更に足の毛細血管が加齢に加えて、動脈硬化や糖尿病などの人は、硬化したり、消滅していて、還流量が減る。

10.丈夫な足を取り戻すには

1)扇形運動

右の図の右側の方の絵を参照。足先、足指の付け根の部分の炎症(モールトン氏病)を治す方法で、例えば右足の場合は、右手で右足の足首を外側から握り、左手でかかとを掴み、両手の調子によって足先を横に振り動かす。

2)上下運動

右の図の左側の方の絵を参照。足のくるぶしの炎症(ソーレル氏病)を治す方法で、例えば右足の時は、右手で足首を握り、これに左手を持ち添えて、足先を上下に振り動かす。なお下肢を水平に保持すると振りやすくなる。

3) 毛管運動

毛管運動とは仰向けに寝て、首に枕を敷き、両腕と両脚を垂直にあげ、痙攣させるように細かく微振動させ、毛細管現象を引き起こさせる運動で、これによって、血液は円滑に心臓に戻り、かつ手脚の毛細血管からは血液が足りない状態になるため、手脚の側からは血液を引っ張る力が生じて、毛細血管の働きが強化される。1~2分行う。右図参照。

4) 合掌合蹠運動

合掌合蹠運動とは、平床などの上に仰向けに寝て、両手を胸の上で合掌させます。蹠とは足の裏のことだから足裏も同様にぴったりと合わせて、膝を曲げて開き、手と足裏を合わせたまま手と足を前後に縮めたり伸ばす往復運動を十数回行う。終わったらそのまま手足を合わせた姿勢で2~3分間安静を保つ。朝夕1回ずつ行なう。右図参照。

合蹠は、正しい姿勢の基本である股関節、骨盤の歪みを矯正し、更にふくらはぎと内転筋の筋肉を強化することにより、下半身の血流を旺盛にし、へそから下にある腎臓、膀胱、生殖器などの機能を改善する。スクワットに比べて、姿勢が崩れないのでよい。

5)足首上下運動

右の下の図のように、仰向けに寝て、アキレス腱のちょっと上の場所を25cm位上げて、力を抜いてストンと、丸い棒の上に落とす。片足25回ずつ、合計200回から始める。一日に二回行う。

慣れてきたら500回位行う。丸い棒は直径6~8cm位の丸太か竹筒みたいなものに、タオルを巻きつけて、両端をゴムバンドで留める。

長さは30センチ以上にする。この運動で足の血流が良くなり、むくみや冷えも解消する。

6)散歩する。または足踏み体操をする。

いままで余り歩くことも、上述したような体操をしたことがない人は、一日に20分くらい散歩することから始めたらよい。雨の日は部屋の中で、膝を高く上げて、足踏み体操すると良い。足を動かさないとドンドン筋肉が衰えてゆく。

11.足の故障を招く悪い生活習慣

いくら体に良いことを実行していても、一方で次のようなことは慎んでほしい。ハイヒールを履く。横座りする。椅子に足を組んで座る。足に合わない窮屈な靴を履く。肥満。便秘。

12.その他の注意事項

■ 質の良いサラサラな血液を作ることも大事である。ビタミンCやEが含まれた食品を摂る。

良質のたんぱく質として、大豆製品、白身の魚、とりのささ身やむね肉を適量摂取する。同時に生野菜ジュースも飲み、栄養のバランスも考える。

■もうひとつの足首の故障の原因として、甲田光雄著「背骨の歪みは万病のもと」という本によると、二本足で重い体重を支えて行動することは、複雑な踝の構造からして、当然故障が起きやすいが、それを助長するのが、食べ物の誤りだと指摘している。甘い砂糖類、お酒、大食、食塩の摂り過ぎが悪いという。二万人以上の患者の治療経験からこのことを確認している。

もうひとつの指摘は、食べ過ぎを続けたり、食塩を摂りすぎていると、アキレス腱が硬くなって縮んでいる人が多い。そして炎症を起こししているから、強くつまむと痛い。これをアルバート氏病と云う。このアキレス腱の異常から椎間板ヘルニアが起こり、更に坐骨神経痛が出て来る人が多いことも経験している。こんな人は少食にする食事改善も大事だという。

13.まとめ

足は第二の心臓と言われる由縁は、足が健全でないと、足から心臓への血液の還流が滞りがちとることから、全身の血液の循環も制約されて、血流のバランスが崩れて、万病の元となるのである。これを機会に今一度脚下照顧を。

おわり

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