伊豆への旅 その2(修善寺)
↓ 修善寺の中心街を流れる桂川、その川中に「とっこの湯」がある。
大同2年(807年)に弘法大師がこの地を訪れた時、桂川で病気の父の体を洗う少年に心を打たれた大師が、「川の水は冷たかろう」と手にした独鈷杵(とっこしょ=仏具)で川の岩を打ち、霊泉を湧出させたと言う。
そして大師が父子に温泉療法を教えたところ、父の10数年の固疾がたちまち平癒したと伝えられ、この後この地方に温泉療法が広まった。
いわゆる修善寺温泉発祥の温泉で伊豆最古の温泉と言われている。今は入浴できない。
↓ 修善寺温泉マップ
↓ 新井旅館、国の登録文化財の宿とか。
↓ 竹林の小径
↓ 楓橋
桂川にかかる五つの橋にはそれぞれ恋にまつわるご利益があると云われ、願いをかけながら渡るとその思いが成就すると???
ちなみに五つの橋とは、川上から「みゆき橋」「渡月橋」「虎渓橋」「楓橋」「滝下橋」。
↓ 源範頼の墓
範頼は鎌倉初期の武将、源義朝の第六子で蒲の冠者と呼ばれた。
治承4年(1180年)に兄・頼朝と義仲が対立した時、範頼は 弟・義経と共に義仲を倒した。
次いで一の谷の合戦では平家を破り、その功で三河守に任じられた。
その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝は範頼に義経討伐を命じたが断ったため、頼朝から疑われるようになった。
建久4年(1193年)曽我兄弟仇討の際、頼朝討ち死にの誤報が伝わり悲しむ妻・政子に「範頼ある限りご安心を」と慰めたため、幕府横領の疑いをかけられた。
範頼は弁明に努めたが、ついに修禅寺に幽閉されさらに梶原景時に攻められ、日枝神社の信功院で自害したと伝えられている。
↓ 折しもこの日は小山町の祭り
昼食を済ませ、修善寺を後にした。
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