Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

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    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2019年12月

はとバスの旅 その4(円覚寺)

鶴岡八幡宮を後にし、はとバス最後の案内地は円覚寺。

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円覚寺は弘安5年(1282年)創建、開基は元寇の役で活躍した鎌倉幕府の執権・北条時宗。

開山は宋から来朝した高僧の無学祖元(仏光国師)、創建の主な目的は蒙古襲来で戦没した多くの霊を敵味方なく弔う事。

無学祖元・仏光国師(1226~1286)は中国に生まれ12歳で出家して修行に励んだ後、かねてより深く禅宗に帰依していた北条時宗に招かれ元寇の真っ只中に来朝し、はじめは建長寺住持となった人。

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↓ 山門へ向かう

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天明5年(1785年)、円覚寺中興・大用国師誠拙周樗禅師の時再建された。

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↓ 仏殿

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仏殿は円覚寺の本尊である宝冠釈迦如来をおまつりしてある建物で、関東大震災で倒壊したが昭和39年(1964年)に再建された。

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こうしてはとバスの旅は終わった。

東京への帰り道、交通規制にあい、1時間余りストップ。

明日(2019年10月22日)天皇の即位礼正殿の儀に参加する外国からのVIPを乗せた車を通すためだとか。

はとバスの旅 その3(鶴岡八幡宮)

中華街を後にし、向かったのは鎌倉市にある鶴岡八幡宮。

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鎌倉の中心部に位置する鶴岡八幡宮。

その歴史は康平6年(1063年)、源頼義が源氏の守り神として由比郷鶴岡(現在の材木座)に京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まり。

後に源頼朝が現在の地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが現在の鶴岡八幡宮。

鎌倉幕府から篤く信仰された鶴岡八幡宮は、広く武門の神、勝利の神として崇敬を集めることとなり、「鎌倉の象徴」であった。

↓ 舞殿

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↓ 大石段

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↓ 本宮(上宮)

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↓ 境内社・丸山稲荷社

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↓ 太鼓橋より舞殿,本宮を見る

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↓ 太鼓橋

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↓ 若宮大路

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↑ 鶴岡八幡宮の参道であり、鎌倉の目抜き通り

中央が正式な参道で、二ノ鳥居から三ノ鳥居までは一段高くなった「段葛」と呼ばれる道。

詩と絵が出会う詩集絵本

NPO法人健康を考えるつどいでは毎年『詩と絵が出会う詩集絵本』の発行に協賛している。

今年もその本が出来上がり送ってきてくれたのでご紹介する。

高松高等学校長・出射隆文 氏のこんなメッセージが添えられている。

花屋の店先の花にも庭先に咲く花にも道端に咲く花にも

私たちが知らないだけでそれぞれに名前がある

それらの花たちは人に見られるためでなく ただ無心に咲いている

この本の中にもたくさんの花が咲いている

それらは見る人、読む人にたくさんのしあわせを与えてくれる

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↓ 本の中はこんな感じ

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はとバスの旅 その2(横浜中華街)

三渓園を後にし、昼食も兼ねて立ち寄ったのは横浜中華街。

↓ 地図

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ここには前にも来たことがある。平日でも大勢の観光客で賑あう場所。

横浜中華街は、1955年以前は唐人町とか南京町と呼ばれていたらしい。

横浜に住む華僑(海外に移住した中国人)の出身地は、中国各地に分散しているが広東省からの出身者が多いと聞く。

上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差し、各路地には当該地の出身者が多い。

中華街がある横浜市中区の華僑は6,000人を超え、同区で登録されている外国人の約4割も占めるそうな。

約 0.2平方キロのエリア内に5,00店以上の店舗があり、日本最大どころか東アジア最大の中華街。

150年以上の歴史を持つ街、日本では神戸南京町や長崎中華街とともに「三大中華街」とされている。

中華街と書いたエリアの門をくぐると確かに異国へ来たような気になる。

↓ 朝陽門を背にした巨大オブジェ

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朝陽門は、高さ13.23m、幅12.44mで中華街最大。

↓ 開帝廟   

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開帝廟の由来を調べた。

日本の長い鎖国が終わり、横浜の港が開港されたのが1859年。

その3年後の1862年、一人の中国人が関羽の木像を祀るために現在の地に小さな祠を開いたのがこの廟の始まり。

以来、横浜中華街に住む人々の心の拠り所として親しまれてきた。

主神は三国志の英雄として有名な実在の武将関羽(關聖帝君)。

関羽は武人としてだけでなく、帳簿を発明するなど、理財にも精通していたため、中国では「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰されている。

武将にとっても商人にとっても一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚いという。

はとバスの集合時刻が迫って、急いて中華街を後にした。

はとバスの旅 その1(三渓園)

昨年から静岡の健康講演会に参加した後、足を延ばして東京の息子達を訪ねることにしている。

行くと東京案内してくれる。去年は初めて”はとバス”に乗って浅草と隅田川の川下りを満喫。

今年は横浜,鎌倉方面への旅。

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はとバス観光は大人気らしく平日でもこの賑わい。

私の乗ったバスも満席に近い。

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最初に案内されたのは横浜市中区にある三渓園。

三渓園は明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(原富太郎)が東京湾に面した”三之谷”と呼ばれる谷合に造り上げた広さ約175,000㎡(53,000坪)の日本庭園。

明治39年(1906年)に一般公開された外苑と、三渓の私庭だった内苑の2っからなり、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と四季折々の自然が調和した景観が見どころ。

三渓は芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流した事でも知られ、三渓園は美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもある。

学術上も芸術上も観賞上にも優れていることから2007年に国の名勝に指定され、庭園全域も文化財として位置づけられた。

↓ 入口

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↓ 庭園内地図

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↓ 手前の大池の向こうに見える塔は「旧燈明寺の三重塔」

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↓ 聴秋閣

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この建物はもと三笠閣と呼ばれ元和 9年(1623年)3代将軍・徳川家光が上洛に際し、佐久間将監に命じて京都二条城内につくらせたものといわれている。その後これを春日局に賜り、江戸稲葉候邸内に移され、三渓園には大正11年(1922年)に移築された。

もっとじっくり見学したかったが、はとバスの予定時刻が来て三渓園を後にした。

健康への道しるべ  第142号

 心と体の健康生活:令和元年12月21日発行

■ 発行:健康への道しるべ友の会 編集 増田 桂子

■ 〒420-0962 静岡市葵区東1-14-31、Tel:054-245-8141、Fax:054-245-6142

■ 年間 購読料:2,500円

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私が書いた文も掲載していただいた。
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国際交流クッキング

丸亀ユネスコ協会主催の国際交流クッキングが、12月22日丸亀市のひまわりセンターで行われた。

参加は香川県に住む外国人で技能実習生や日本語学校の生徒,香川高等専門学校・高松,詫間キャンパスの留学生ら。

モンゴル,ベトナム,インドネシア,フィリピン,マレーシアなどアジア系の方々とそのご家族。

加えて、丸亀ユネスコ協会のスタッフや日本語学校の先生など日本人も加え総勢60人強が集合、賑やかな調理作業となった。

↓ 調理風景

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この日のメニューは

① モンゴル料理 ”ホーショール”

② フィリピンのミートボール ”Chicken Bola-bola”

③ インドネシアのお菓子 ”クレポン”

↓ ホーショール調理風景(モンゴル料理)

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ホーショールはモンゴル料理のひとつで、小麦粉を練った生地でひき肉やたたき肉を包んで揚げたもの。

家庭でも良く作られるが、モンゴルの食堂や毎年7月にある「ナーダム祭」の屋台などでも売られているとか。

羊肉や牛肉を使うのが一般的で、シンプルな味付けのホーショールはモンゴル人に愛されている食べ物。

↓ チキンボラボラ 調理風景(フィリピン料理)

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フィリピンではとてもポピュラーな肉団子で、その名をボラボラと言う。

歴史的にスペインとの関係が深いフィリピンでは言葉の中にもスペインからの影響が色濃い。

スペイン語で ”bola” はボールの事だからチキンボラボラ=チキンミートボールになる。

フィリピンでは豚肉も良く食べられるので、豚肉を使ったポークボラボラもある。

↓ クレポン調理風景(インドネシア お菓子)

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インドネシア人なら誰でも知っている可愛い名前のクレポンは、おやつタイムにコーヒや紅茶と一緒に食べる伝統的なお菓子。

一口大の大きさで、周りにココナッツフレークを振りかけた日本のお団子のようなお菓子。

外はもちもち、中はとろっとしたどこか懐かしい味、そんなに甘くない。

↓ 出来上がった料理の配膳

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↓ 会食風景

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どれも美味しかった。ホーショールとミートボールはごはんとよく合う。

お酒はなかったがビールにもよく合う一品だと思う。

クレポンはあまり甘くなく、ちょっと変わった味だった。

↓ ホーショールのレシピ

 

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↓ チキンボラボラのレシピ

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↓ クレポンのレシピ

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10時から始まったクッキングは調理・配膳・会食・後片付けを経て13時頃には終了。

参加者の皆さん、和気あいあいで楽しいひと時だった。

朝から泣きだしそうだった天気は、帰る頃には泣き出してしまった。

↓ 集合写真

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大石林山(聖地・安須杜の神話)

この神話は沖縄版・「国生み物語」である。

昔、天城(テングス)にアミクマという神がおられた。

天帝がアミクマを呼んでおっしゃるには、この下に神の住むべき霊所がある。

しかし、まだ島となってないのが残念である。その方、降りていって島を造れよと命じた。

アミクマは命を受け、降りてみると、なるほど聖地ではあるがまだ島とはなっていなかった。

そこでアミクマは天に帰り、土石草木を下されば、島を造りましょうと天帝に申し上げた。

天帝はなるほどと、それを与えたので、これを持ち下り、島造り始めた。

まず第一に国頭の辺戸に安須杜(アシムイ)の造営をし、そのうえで次々と別の御嶽の仕事にとりかかった。

それから数万年を経たが人も生せず、これでは神の威光もあらわし難く、天帝がアミクマに仰せられるには、その方も知っての通り天に神々は多いがアシムイに遣わすべき神はいない。

と言って捨ててもおけないからと、天帝の御子の男女を下された。

二人の間に陰陽の和合はなかったが、吹き通る風によって女神は孕み、三人の男と二人の女を生んだ。

長男は国王・天孫氏、二男は諸侯 即ち按司のはじめ、三男は百姓のはじめとなった。

長女は君々(最高女神)のはじめ、二女は祝々のはじめとなった。

久高島がトコヨ(常世)たるニライカナイに最も近い島だとすれば、安須杜(アシムイ)は天なる神々の世界に最も近い地点だと信じられた。

ニライカナイとは、死者の魂が向かう神々の世界で、豊穣や生命の根源でもある。

年初にニライカナイから神が来訪して豊穣をもたらし、年末に帰るとされる。
ニライカナイに向かった霊魂は死後七代して親族の守護神になるとされ、祖霊神の生まれる場所でもあった。

開闢神話の頂点に立つ安須杜は琉球王国時代その地位に恥じない扱いを受けた。

毎年5月と12月に国王の命で使者が派遣され、安須杜の湧き水をくませた。

この聖水は国王とその家族の長寿を祈る若水として用いられた。

また正月と9月にも国王の名代が遣わされ、国家の平安,繁盛を祈願させた。

安須杜はまた航海安全を見守る聖地でもある。

以下、聖地・アシムイのHPより 「琉球開びゃく神話 」

17世紀に編集された琉球最初の歴史書『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)によると、島建ての神・アミクマが降り立ち沖縄最初の聖地・安須杜(アシムイ)を創ったという 。

琉球王国時代には王家の繁栄、五穀豊穣、航海安全をこの地で祈り、今も四十箇所以上ある御願所(拝所)に神人の祈りが捧げられる。

2億年前に石灰岩層が隆起し長い歳月をかけて侵食された四連の岩山が安須杜で、地元の古老たちはその峰を「イヘヤ」・「シジャラ」・「アフリ」・「シノクセ」 と呼ぶ。

↓ 左から ” 悟空岩・イヘヤ・シジャラ・アフリ・シノクセ”

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安須杜は長老の杜、アフリは天帝の差す傘、シジャラは女性の乳房を意味しています。

また、12〜17世紀に琉球王府がまとめた沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』には、国王の命で安須杜の湧水が王家の長寿を祈る若水として用いられたと詠われています。

大石林山(森林コース)

森林コースは巨大なガジュマルや6万本のソテツ群落など、亜熱帯の樹々が密生するコース。

害獣の侵入を防ぐため築かれた「猪垣」を抜けると、6万本もの大小のソテツが岩の間から林立するソテツ群落が広がる。

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珍しい4mの巨大ソテツもある。

ソテツの群落を通りガジュマルの森に出る。

精霊が宿るというガジュマルロード 7本の最初の神木。

幸せ探しの始まりの神木として「幸せのガジュマル」と呼ばれる。

↓ 1本目:幸せのガジュマル

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↓ 2本目:ムカデガジュマル

ガジュマルロード 7本の神木の中でも最も古い木で、樹齢200年と推測されている。

生き抜くために根ざいた気根が環境に融合し、いつしかムカデの足の様相になったとか。

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映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い唄』のロケがここで行われたのだとか。

ムカデガジュマルと隣接する巨大ハマセンダンも恐竜が首をかしげたように見えるという。

↓ 3本目:ひんぷんガジュマル(ガジュマル広場)

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ガジュマル広場を抜けると円形状の大広場がありその周りを取り囲むように積まれた石垣、その異空間を守るように立っていることから『ひんぷんガジュマル』と呼ばれる。

アシムイ(大石林山)には、未だ解明されていない円錐状の石積みや、テーブル状に積まれた支石,屋敷跡と思われる石積みなど多くは謎のまま。

ここガジュマル広場も 『集団墓地』 『有力者の屋敷』 『祭事場』 『畑』・・・の説があるが何も分かっていない。

↓ 6本目:御願(ウガン)ガジュマル

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大石林山の大小合わせて数千本ものガジュマルの中でも最も巨大で、樹冠のまわりは日本一広いと言われる神木。

発見当時、記録写真を撮ろうとしたところ、2台のカメラが相次いで壊れ、浄めのためにお祈り(御願)をしてやっと撮影できた事から『御願ガジュマル』と呼ぶようになった。今では大石林山を代表する神木。

大石林山(奇岩・美ら海パノラマコース)

  沖縄本島の北端にある大石林山へ案内してくれた。

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林山への道筋、海岸沿いを走ると美しい風景があちこちに広がる。

↓ とある海岸沿い、この岩 ガマ蛙に見えませんか?

写真をクリックしてみて下さい。

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↓ 大石林山に到着

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↓ コースマップ

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コースマップには、やんばる森林コースと奇岩・美ら海パノラマコースが案内してある。

森林コースは巨大なガジュマルや6万本のソテツ群落など、亜熱帯の樹々が密生するコース。

奇岩コースは2億5千万年前の石灰岩層が隆起してできた世界最北端の熱帯カルスト地形を堪能するコース。

昔から聖なる地として伝えられてきた安須杜(アシムイ)の山々に属する。

ここは自然公園法に基づき、沖縄海岸国定公園に指定されたが、平成28年9月15日、やんばる国立公園に編入された。

↓ 奇岩の杜へ

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↓ 巨人のこしかけ

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岩には見え方で名前が付けられている。

↓ 縁結びの岩・・・2つの岩が寄り添う

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岩どうしがキスをしているようにも見える。

↓ ダルマ岩

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↓ 立ち神の大岩

天に向かいそそり立つ岩が続くエリア。地に降り立つ神を連想する姿石とか。

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↓ イグアナ岩

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↓ 悟空岩

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古生代の石灰岩が雨水などで急速に侵食されてできたタワー状のカルスト。

もはや どれが悟空に見えるのか分からない???

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↓ 竜神岩

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この山全体が古くから伝えれれた神話の杜で、この岩は重要な信仰の場。

罰当たりかも知れぬが、私にはゴジラに見える。

↓ 石林の壁(パワースポット)

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パワースポットから東側にある山々は、神様が降臨したと伝わる神話の山。

山から上る太陽の光が岩壁に当たりパワーが集まるという場所。

↓ 守り猫 言われてみると何となく猫には見えるが・・・。

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岩の頂上から森全体を見渡し、山を守っているように見えるので名付けられた。

↓ 時々視界が開き沖縄の青い海が広がる。

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↓ 骨盤石

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女性特有の病気に悩む人が多く訪れる。

骨盤石に触れることで弱っている部分の血行を良くし体調を整えるといわれている。

また、子宝に恵まれない人がこの石に触る事で健康な体になり「生まれ変わりの石」とセットでお願いすると子宝に恵まれるといわれている。

↓ 輪廻 生まれ変わりの石

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骨盤石とセットでお祈りすると「子宝」の石になるが、石に開いた穴を3回通る事で、

1回目は悪い過去(失恋・失敗・病気)を捨て

2回目でリセット

3回目で新しく生まれ変わるといわれている。

私も、もちろん生まれ変わった。

奇岩コースの折り返し地点に美ら海展望台があった。

辺戸岬のはるか向こうに鹿児島県の与論島がかすかに見えた。

1~3月はザトウクジラを見ることができるという。

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↓ 辺戸岬

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↓ 宇宙人

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↓ 烏帽子岩

古生代の石灰岩が雨水などにより侵食され鋭く尖ったピナクルという地形

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ピナクルのでき方

① 古生代(2憶年前)の石灰岩層のすじ目から酸性の雨水が浸透します。

② 柔らかい部分が雨や風に侵食され、硬い部分が残る。

③ 土壌が流され地上に姿を現す。

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④ 石灰岩の溶食は地表と地下では異なる。

⑤ 地下では雨水とバクテリアによる溶食で早くなる。

⑥ 土壌の部分が流され地表に現れた時にはキノコ状になる。

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これで奇岩・美ら海パノラマコースは終了。

クリスマスカード

中村文子氏からクレジットカードをもらった。

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このスタイルの絵が懐かし~い!

健康へのトビラ Vol.20


NPO法人健康を考えるつどいが年4回発行している機関誌、

2019年11月15日発行で20回目となった。

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人魚姫

中城村 久場の国道329号線沿いに良く目立つ家具屋がある。

「中城モール」という。

TVで宣伝中の年末ジャンボ宝くじを買いたいと松本さんに言ったら、ここの売り場に連れて行ってくれた。

過去に3億円の当たりが出たとの事。当る筈もないが少しでも縁起かつぎで。

家具店内の品揃えは豊富で、ちょっと本土では売られてないような家具もあって、見るだけでも圧巻。

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モールの裏には美しい沖縄の海が広がっている。

中城モールの裏にあるビーチには「えっ~」とびっくりするオブジェがあった。

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このビーチの象徴にもなっている人魚像、それ故「マーメイドビーチ」とも呼ばれている。

この像の作者はモール内でレストランをやっていたおじいさんと言われ、一説には週刊誌・プレーボーイを見ながら作ったと言われている。

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しかしこんな公共の海の中にこんな像を設置していいのだろうか?

許可を取ったのだろうか?

沖縄には台風も多いし、大きさも半端ないのに、よくぞこの人魚姫 流されないものだ。

↓ ビーチの日陰にも人魚がいた

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私のアイディアは、人魚のかわりに自由の女神像が立っていたら・・・と想像してしまった。

『がんの不安をぶっ飛ばす 10のステップ』

講演会のお知らせです。

■ 日 時:令和2年1月19日(日)13時~16時30分 開場:12自30分

■ 場 所:きらめきプラザ4階 401会議室 岡山県北区南方 2-13-1

■ 申し込み:090-3633-9889 春名氏まで、info.haruchan@gmail.com

■ 参加費:2,000円

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伊豆への旅 その6(岩科学校)

国指定重要文化財の岩科学校は伊豆松崎町にある元學校。

明治6年(1873年)岩科村戸長であった佐藤源吉は「中央の文化に遅れるな」と教育に対する志も高く天然寺境内に私財も投じ岩科学校を開設した。

その後、教育振興の機運が高まり校舎新築のための寄付金が集められ明治12年4月着工、翌年9月に完成した洋風建築。

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↓ 学校に隣接する開化亭

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↑ もともと岩科商社としてつくられ、後に岩科村役場として使用された。

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かかと落し健康法で健康寿命を延ばす By 豊岡 倫郎 氏 2019-11-25

1.骨の研究が進む

1995年イギリスでの研究発表によると、一日50回のかかと落しを行うことによって、骨が強くなることが報告された。その後各国で研究が進み、骨に刺激を与えると、体に良い効果が沢山あることが解かってきた。日本では鎌田 實氏(諏訪中央病院の名誉院長、作家)がこのかかと落し健康法を自ら実行して、その効果を確認して、推奨している。

2.骨の新陳代謝とは

人体には約200の骨があり、関節などで繋がり、骨格を形成している。これ等の骨は生まれてから20歳くらいまで成長を続けてゆく。体の骨は他の細胞と同じく、入れ替わりがあり、約5年かけて、順次すべて入れ替わってしまう。

骨の新陳代謝のメカニズムには骨芽細胞と破骨細胞が係わっていて、破骨細胞が古くなった骨を壊し、次に骨芽細胞が新しい骨を作る。その新陳代謝の過程で骨に衝撃を加えると、代謝が促進されて、骨密度が上がることが解かった。

3.骨に衝撃を与えるかかと落しのやり方

 1)背筋を伸ばし、足を肩幅に開いて立つ。

 2)両足のかかとを2~3cm上げる。上げている時間は2~3秒間保つ。

 3)両足のかかとを床にストンと落とす。 ※2)から3)を繰り返す。

 4)回数は30~50回を毎日行う。その人の体調や慣れを考慮して、高さや回数を調節する。

  ふらつく人は机や椅子に手を添えて行っても良い。膝や股関節、腰に故障のある人は要注意。

4.かかと落しの効果の原理

  • 骨に衝撃を加えることによって、新陳代謝が促進される。
  • 骨に衝撃を与えると、骨から「オステオカルシン」という通称「骨ホルモン」というタンパク

質が分泌されて、体内のいろいろな器官に良い影響を与える。

  • ふくらはぎや太腿の筋肉を鍛え、足の血管を鍛えて、血流を良くする。
  • 足先から頭までの骨格や関節に接続している神経に刺激を与えて、活性化させる。

5.かかと落しのその効果とは

  • 骨密度が高くなり、骨折しなくなる。
  • 足の血流が良くなり、足の冷え症が改善する。ふくらはぎは第二の心臓と言われている。
  • 足の筋力が強化される。
  • 骨ホルモンのオステオカルシンが分泌され、各組織に働きかける。

  以上の総合的な効果によって、

  • 骨粗鬆症、耳鳴り、飛蚊症、アトピー、ひざ痛、下肢静脈瘤、不整脈、動脈硬化、高血圧、糖尿病、慢性炎症が改善。
  • 免疫力向上。認知機能を上げる。活性酸素を減らす、男性ホルモンの増加。ガン細胞死滅。

  特にオステオカルシンがガン細胞の増殖を抑制することが判ったのである。

6.骨の構成成分の補給

  骨を構成している成分を補給しないと、骨の質が悪ければ、せっかくのかかと落し健康法も効果が半減する。その補給すべき成分とは。

  • カルシュウム・・・過剰な摂取は逆にカルシュウムが体から逃げる。
  • マグネシュウム・・・玄米、そば、豆腐、納豆、さといも、さつまいも、海藻などに多い。
  • リン・・・日常の食生活で不足することは無い。むしろ摂りすぎの傾向がある。
  • ビタミンC・・・骨のコラーゲンを作るのに必要。柿茶で摂るのが手軽である。生野菜、果物から摂る。
  • ビタミンD・・・カルシュウムの吸収を助ける。日光浴、干しシイタケ、魚から摂る。現代人は摂取不足ぎみが問題となっている。
  • ビタミンK・・・海藻、ほうれん草などの菜っ葉類、パセリ、シソなどに多い。
  • 適量の良質なタンパク質・・・過剰な摂取はカルシュウムを浪費する。
  • 控えるべきは甘い砂糖を使った飲み物、お菓子、食品で、これらはカルシュウムを浪費させる。

7.自彊術にあるかかと落し法

大正5年に中井房五郎氏によって創設された自彊術という健康体操がある。今も全国にこの体操の健康教室があり、5万人以上の人が実行しているが、この体操にある31種の動作を約15分かけて行う。その31番目に「両足を揃えて飛びあがる」という動作がある。

やり方は、両足のつま先とかかとを揃えて直立する。肩の力は抜き、両腕は体に沿って自然にたらす。肩を上げて爪先立ちになる。イチ、ニイ、サンと掛け声をかけて、かかとからドシンと下ります。回数は10回。その効果はこれまでの30種の動作で、脊椎骨が前後、左右に少しずれていたのを揃えるための動作である。またヒラメ筋の収縮、弛緩によって、脳の血流量が増大するので、頭にも良い。

8.足にある経絡

今までに指圧治療法を受けた人も多いと思う。足から出発する経絡には、胃経、脾経、膀胱経、腎経、胆経、肝経がある。かかと落し健康法がこれらの経絡を刺激することは容易に想像されることである。以前から青竹ふみ法、足裏きびすたたき健康法、縄跳び健康法などがあり、今でも実行している人がいて、効果を上げている。

9.まとめ

1)健全な体作りには、精神、食事、運動の三つの要素がバランスよく三位一体となっていないと健康長寿全うできない。石川県出身の哲学者の西田幾多郎はこんな言葉を残している。「ただひとつの思想を知るということは、思想というものを知らないということと同じである」と。

この思想という言葉を健康法に置き換えると、我々が抱いている健康に対する考え方も変わるのではないだろうか。巷に溢れている健康情報に惑わされることが無いようにしたいものだ。

2)最近テレビで百寿者へのインタビュー番組で、日常の生活習慣が紹介され、いろいろ健康法が報告されている。私が気になったことがひとつある。それは百寿者が健康に悪いと考えて、絶対やっていないことがある筈で、その事が報告されていないのが片手落ちである。「悪事は良事を駆逐する」というのが健康法の基本原則のひとつである。どんなに体に良いことを実行していてもその裏で良くないことを実行していては効果は期待できない。気づいていますか。

3)前を向いて、健康のために体を適度に動かしてこそ、体の細胞も生き生きと元気づく。これを機会に「座して死を待つ」ような生活態度がないだろうか反省したいものである。 

おわり

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