はとバスの旅 その2(横浜中華街)
三渓園を後にし、昼食も兼ねて立ち寄ったのは横浜中華街。
↓ 地図
ここには前にも来たことがある。平日でも大勢の観光客で賑あう場所。
横浜中華街は、1955年以前は唐人町とか南京町と呼ばれていたらしい。
横浜に住む華僑(海外に移住した中国人)の出身地は、中国各地に分散しているが広東省からの出身者が多いと聞く。
上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差し、各路地には当該地の出身者が多い。
中華街がある横浜市中区の華僑は6,000人を超え、同区で登録されている外国人の約4割も占めるそうな。
約 0.2平方キロのエリア内に5,00店以上の店舗があり、日本最大どころか東アジア最大の中華街。
150年以上の歴史を持つ街、日本では神戸南京町や長崎中華街とともに「三大中華街」とされている。
中華街と書いたエリアの門をくぐると確かに異国へ来たような気になる。
↓ 朝陽門を背にした巨大オブジェ
朝陽門は、高さ13.23m、幅12.44mで中華街最大。
↓ 開帝廟
開帝廟の由来を調べた。
日本の長い鎖国が終わり、横浜の港が開港されたのが1859年。
その3年後の1862年、一人の中国人が関羽の木像を祀るために現在の地に小さな祠を開いたのがこの廟の始まり。
以来、横浜中華街に住む人々の心の拠り所として親しまれてきた。
主神は三国志の英雄として有名な実在の武将関羽(關聖帝君)。
関羽は武人としてだけでなく、帳簿を発明するなど、理財にも精通していたため、中国では「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰されている。
武将にとっても商人にとっても一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚いという。
はとバスの集合時刻が迫って、急いて中華街を後にした。
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