大石林山(聖地・安須杜の神話)
この神話は沖縄版・「国生み物語」である。
昔、天城(テングス)にアミクマという神がおられた。
天帝がアミクマを呼んでおっしゃるには、この下に神の住むべき霊所がある。
しかし、まだ島となってないのが残念である。その方、降りていって島を造れよと命じた。
アミクマは命を受け、降りてみると、なるほど聖地ではあるがまだ島とはなっていなかった。
そこでアミクマは天に帰り、土石草木を下されば、島を造りましょうと天帝に申し上げた。
天帝はなるほどと、それを与えたので、これを持ち下り、島造り始めた。
まず第一に国頭の辺戸に安須杜(アシムイ)の造営をし、そのうえで次々と別の御嶽の仕事にとりかかった。
それから数万年を経たが人も生せず、これでは神の威光もあらわし難く、天帝がアミクマに仰せられるには、その方も知っての通り天に神々は多いがアシムイに遣わすべき神はいない。
と言って捨ててもおけないからと、天帝の御子の男女を下された。
二人の間に陰陽の和合はなかったが、吹き通る風によって女神は孕み、三人の男と二人の女を生んだ。
長男は国王・天孫氏、二男は諸侯 即ち按司のはじめ、三男は百姓のはじめとなった。
長女は君々(最高女神)のはじめ、二女は祝々のはじめとなった。
久高島がトコヨ(常世)たるニライカナイに最も近い島だとすれば、安須杜(アシムイ)は天なる神々の世界に最も近い地点だと信じられた。
ニライカナイとは、死者の魂が向かう神々の世界で、豊穣や生命の根源でもある。
年初にニライカナイから神が来訪して豊穣をもたらし、年末に帰るとされる。
ニライカナイに向かった霊魂は死後七代して親族の守護神になるとされ、祖霊神の生まれる場所でもあった。
開闢神話の頂点に立つ安須杜は琉球王国時代その地位に恥じない扱いを受けた。
毎年5月と12月に国王の命で使者が派遣され、安須杜の湧き水をくませた。
この聖水は国王とその家族の長寿を祈る若水として用いられた。
また正月と9月にも国王の名代が遣わされ、国家の平安,繁盛を祈願させた。
安須杜はまた航海安全を見守る聖地でもある。
以下、聖地・アシムイのHPより 「琉球開びゃく神話 」
17世紀に編集された琉球最初の歴史書『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)によると、島建ての神・アミクマが降り立ち沖縄最初の聖地・安須杜(アシムイ)を創ったという 。
琉球王国時代には王家の繁栄、五穀豊穣、航海安全をこの地で祈り、今も四十箇所以上ある御願所(拝所)に神人の祈りが捧げられる。
2億年前に石灰岩層が隆起し長い歳月をかけて侵食された四連の岩山が安須杜で、地元の古老たちはその峰を「イヘヤ」・「シジャラ」・「アフリ」・「シノクセ」 と呼ぶ。
↓ 左から ” 悟空岩・イヘヤ・シジャラ・アフリ・シノクセ”
安須杜は長老の杜、アフリは天帝の差す傘、シジャラは女性の乳房を意味しています。
また、12〜17世紀に琉球王府がまとめた沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』には、国王の命で安須杜の湧水が王家の長寿を祈る若水として用いられたと詠われています。
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