丸亀城
地元にいながら丸亀城の事をブログに書いた事がないなぁ~と思った。
そこで今日はそのお城の話し。
横浜に住む次男がお城の石垣が崩落したのを見たことがないと言うので彼の帰省ついでに案内した。
丸亀城の石垣は2018年7月の西日本豪雨と9月末の大雨台風24号の影響で10月8日午前に一度崩落し、翌9日にも崩落した。
大雨で地盤が緩んでいたと考えられる。
崩落したのは丸亀城の南西部にある帯曲輪石垣。8日時点では高さ16メートル、幅18メートルにわたって崩落したが、9日には高さ17メートル、幅25メートルに広がった。
↓ 崩落直後の写真がこちら
↓ それから一年、やっと修復の目途がついて工事が始まった。
つい最近現場近くに、プレハブだが展望デッキ付きの『丸亀城石垣崩落 復旧整備事業PR館』なるものも建てられた。
2023年度の完成をめざし、復旧費を31億~36億円と試算しているそうだ。
城内の野球グランド跡に石垣の石が番号を振られて整然と並ぶ様は、初めて見た人を驚かすに値する光景ではある。
修復現場を上から見たら・・・の好奇心にかられ、天守のある高さまで登った。
そこからの眺めがこれ ↓
結構広範囲に崩落している。
↓ 画面中央の白い建物がPR館
丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城、別名亀山城とも呼ばれ、本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり東西約540m・南北約460mの内堀内面積 204,756 ㎡ある史跡。
日本一高い石垣の城として日本名城100選にも選ばれている。
丸亀城は豊臣秀吉に信任された生駒親正により慶長2年(1597年)に讃岐の本城である高松城の支城として丸亀の亀山に築城が開始された。
元和元年(1615年)には一国一城令により廃城となるが寛永20年(1643年)に山崎家冶により再建された。
その後丸亀藩主となった京極高和により万治3年(1660年)に天守を完成させた。
この天守は全国に12しか残っていない現存のもので高さ15mと日本一小さい。
その天守は普段閉まっていて入城できないが、この日は中に入る事ができた。
入るのは初めて。現存木造天守として重要文化財に指定されている。
↓ 入口側から見る天守
↓ 天守の3階から見た風景、そう高さを感じない。
↑ こんな立派なパンフもくれた。
↓ 入場券 200円
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