桃陵公園
多度津港から見上げた近くの山に桃陵公園があると知り、一度行ってみたいと思っていた。
そこへは小学生の頃 遠足で行った事を今も覚えている。そこに出征する子供を見送る母の像が立っていたからだ。
「一太郎やあい像」の名前とこの像にまつわる話を先生から聞き、幼心に戦争の悲惨さを教えられたから。
日露戦争当時、軍人を乗せた御用船が今にも港を出ようとした時のエピソードをもとに建立されたと言う。
そのエピソード( 軍国美談と教科書より引用)が悲しい ↓
「ごめんなさい。ごめんなさい。」 と言って、見送人を押し分け 前に出るおばあさんがいました。
年齢は64、5歳くらいで、腰に小さな風呂敷包みを結びつけていました。
御用船を見つけると、「一太郎やあい。その船に乗っているなら、鉄砲をあげろ。」と叫びました。
すると甲板の上で鉄砲を上げた者がいました。
「一太郎やあい~」と、おばあさんは又叫びました。
「うちのことは心配するな。天子様によく御ほうこうするだよ。わかったらもう一度鉄砲を上げろ。」
すると、又鉄砲を上げたのがかすかに見えました。おばあさんは「やれやれ。」と言って、そこに座りました。
今朝から五里の山道をわらじがけで急いで来たのだそうです。郡長をはじめ、見送の人々はみんな泣いたという話です。
その母性愛に満ちた姿を再現して、昭和6年6月21日に建立。
戦時中、すべての金属が強制回収となり、この銅像も供出され、現在のものは、昭和18年10月21日に当町彫刻家の神原象峰(本名 益太郎)がコンクリートで制作、台石、奉公記念碑はもとのまま。
↓ 後ろ姿もまた悲しみに満ちている
像の説明看板に曰く
明治37,38年 日露戦争の際 多くの将校が眼下の多度津港から船に乗り出兵しました。この中に岡田梶太郎(通称 一太郎)がいました。
その母カメは早朝 三豊郡豊田村から我が子・一太郎を見送ろうと駆け付けましたが、船はすでに岸から離れていました。そこで大声で「一太郎やぁい~ わかったら鉄砲をあげろ」と叫びました。
この母性愛にあふれたその声や姿を再現して後世に残そうと昭和6年に銅像がこの場所に建てられましたが、その姿は太平洋戦争中には金属回収で撤去されました。
この像は昭和18年に多度津の彫刻師・神原象峰が元の台石の上にコンクリートで作製したものです。
↓ カメさんが見たであろう港は今は様変わりして造船所が見える風景に
像の後ろに桃陵神社がある。
「桃陵公園」は香川県仲多度郡多度津町市街地の西側にある本台山(多度津山)に位置している県立公園です。
園内は約2千5百本のソメイヨシノが植生する県内でも指折りの桜の名所です。
香川新50景及び香川のみどり百選に選定されています。
毎年4月第1日曜日には「たどつさくらまつり」が開催され、多くの花見客が訪れます。
夜間にはライトアップされ、夜桜を楽しむこともできます。
今は桜も散り、コロナ禍でほとんど人はいなかった。
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