中津万象園
丸亀市にあるのに園内に入った事がなかった。
門を入ってすぐのお食事処にはユネスコの食事会で行った事はあった。
↓ 入り口は浜街道沿いにあって、この中に広大な庭園があるとはとても思わない。
↓ 案内用パンフの庭園地図
中津万象園は貞享5年(1688年)京極二代目藩主高豊候により丸亀藩中津別館として築庭された。
15,000坪の園内には白砂青松の松原につづいて1,500本余木の矮松を植え、庭の中心には京極家先祖の地である近江の琵琶湖を象どった八景池を置く。
近江八景になぞらえて帆(矢橋帰帆)、鴈(堅田落鴈)、雪(比良暮雪)、雨(唐崎夜雨)、鐘(三井晩鐘)、晴嵐(栗津晴風)、月(石山秋月)、夕映(熱田夕映)と銘した8っの島を配し、その島々を橋で結んだ池泉回遊式の大名庭園。
丸亀市指定文化財の茶亭と母屋が園内に残る。
チケットは美術館と園内に分かれ、両方入れるセット券を購入。
美術館では高松出身で世界で活躍する芸術家・川島猛氏の作品展をやっていた。
↓ 庭園内 松が多い
↓ 邀月(ヨウゲツ)橋
↓ 庵治石アート
↓ 百本の鳥居回廊
鳥居の奉納は願い事が「通る」「通った」のお礼の意味から、江戸時代以降に広まった。
この園の稲荷社は京都の伏見稲荷より勧請され五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・諸願成就の神として同じく園内にある「弁財天」「金の神」「石投げ地蔵」と共に京極の時代から信仰を集めた。
昭和57年の中津万象園の復元、一般公開に合わせ地元有志により鳥居が奉納され続け、この度の令和新元号記念に百本鳥居となった。
当然ながら鳥居には奉納者の名前が刻まれていた。
↓ 金の神
↓ 稲荷大明神
↓ 石投げ地蔵尊
昔この地に地蔵菩薩が祀られていた。一名石投げ地蔵尊と呼ばれ、漁師・農夫・商人等の信仰あつく霊験あらたかで朝な夕なに礼拝が絶える事はなかった程。
石塊に祈願することを書き園外より園内のこの地蔵尊に投げ入れて礼拝していた。
石塊が積れば地蔵尊も高く持ち上げられこの付近一帯では地蔵尊が一番高くなるほど繁昌していた。
天保年間寅年(1842年)の大洪水で海に流出し没したが、この度万象園修復を記念して復元された。
↓ 弁財天
京極藩主が藩祖の地・近江竹生島の弁財天をお祭りしたもの。
弁財天は宝冠青衣を着て琵琶をひく美神で知恵寿吉福徳の神としてたたえられ代々の藩主の信仰が厚かった。
↓ 白鳥観音
聖観音菩薩が生命や太陽を象徴するといわれる白鳥を擁しすべての人々に慈悲の手を差し伸べるお姿を従来の仏像にとらわれず表現した彫刻。
作者は「名鷲岳了(ナヌ ガクリョウ)」日彫会会友で北村西望門下の彫刻家で僧侶。
↓ お茶室
ここにあるこの象形文字は何を意味するのだろう?
↓ 千代乃傘松 別名「大笠松」
昭和58年、21世紀へ引き継ぎたい日本の名松百選のひとつに選定された。
この松は京極家先祖の地である近江の美し松を300年かけて傘型に仕立てたもので、この芸術的な雄姿は限りない生命の象徴であり樹齢600年余、傘の径は15mもある。
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