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生口島がある尾道市瀬戸田町はレモンが有名らしい。
宿泊した旅館のお風呂にも輪切りにしたレモンが浮いていた。
称して”レモン風呂”・・・入った感じ、特に何という事もなかったが(失礼)・・・。
サイクリング旅の生口島から大三島へ渡る橋近くにでっかいレモンが。
国産レモン発祥の地~せとだ・エコレモン~
尾道市瀬戸田町のレモン栽培は明治時代から行われていたと言われる。
「レモン谷」と呼ばれている垂水地区の一帯を中心にレモンブームを巻き起こし、昭和38年には生産量約900トンを誇る日本一のレモン産地になった。
昭和39年、レモンの輸入自由化で国産レモンは壊滅的な打撃を受けたが、その後輸入レモンの「ポストハーベスト農薬」が問題になり、国産レモンの安全性が見直されて復活した。
ちなみに「ポストハーベスト農薬」とは収穫後に散布する農薬の事、何故収穫後?と思うが、遠い外国へ時間をかけて運ばれる輸出農産物は、その運送時間が長くかかるほど、運搬中に発生する害虫やカビによって品質を悪くして商品価値を下げてしまう。
そしてそれを防ぐために使われるのがポストハーベスト農薬。
国産レモン復活後の平成15年には環境保全型農業推進コンクールにおいて、安全性の観点から「皮まで食べれるエコレモン」として優秀賞を受賞、名実ともに国産レモンのトップブランドになった。
瀬戸内海に浮かぶ大三島に行ってきた。その島に大きな神社があった。
この神社、えらく広くて立派、門に菊の紋章もついているので、てっきり皇室関係の神社だと思った。
それなら名前に神宮とか大社が付くのではないか?と思った。
しかし私自身、神社と神宮と大社の違いが良く分かっていない。
調べてみた。
「神宮」は天皇を祭っていたり、皇室とつながりが深い神社。
「大社」は全国同名の神社の中で本家にあたる神社の事。
その他が「〇〇神社」と称されると分かった。
だからこの神社は皇室とは関係がないらしい。
菊の紋は皇室の紋と思い込んでいたのが誤解のもと、これも調べるとこの紋の使用は比較的自由な時代もあったらしい。
正式名は『大山祗(オオヤマズミ)神社』で、本社(御祭神:大山積神)と上津社(御祭神:姫神,大雷神)と下津神(御祭神:高龗神)の三社をあわせて広く大山祗神社と崇め祀る。
古くから三島大明神また大三島さんとして信仰され、古事記や日本書紀には山神(農業神)として、また伊予風土記には海神としての御神徳がとかれ、地神・海神兼備の神社とされた。
また瀬戸内海で活躍した三島水軍の守護神として信仰を集めた・・・とある。
↑ 御朱印はたいてい300円が普通、ここは500円! ビックリ。
↓ 境内地図
↓ 総門
↓ ご神木、樹齢2600年・天然記念物「乎知命お手植えの楠」
↓ 神門
↓ 拝殿
御祭神・大山積大神は天照大神の兄神で山の神々の親神に当たり天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神と申し上げる海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから、古代より日本総鎭守と尊称され朝廷をはじめ国民の祟敬は各時代を通して駕く中世は四社詣,五社詣の中心になり、平安時代に既に市が立ち現在に続く。
御分社は全国に一万余社祀られ延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。
明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されている。
↓ 斎田
神社伝統の神事「御田植祭(旧暦5月5日)」と「抜穂祭(旧暦9月9日)」がこの神田にて行われる。
スピシュ城はスロバキア東部にあり、標高634mの中央ヨーロッパ最大規模といわれる中世の山城。
12世紀初頭に要塞として築かれたが、地盤の緩みで崩壊し、その後13世紀初頭に蒙古(タタール人)襲来に備えて再建された。
以降、ロマネスク様式からルネサンス様式、バロック様式と中世のさまざまな建築様式を取り入れながら、城下町とともに交通や文化の要衝として栄えたが、次々に国や城主が変わり最後には火災で焼失という悲劇で幕を閉じ廃城と化した。その崩れた廃墟の城は、ジブリ作品の「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせるらしい。
現在も廃墟のまま・・・と書いてある。
主に土曜日や日曜日にテレビで放映される池上 彰氏の時事解説が面白い。
先日、日本人の国民性について分かりやすい解説をしていたのでご紹介、大いに納得した。
コロナ禍でマスクの着用が常識になっているが、このマスク着用を促す言葉からも国民性がうかがえると言う。
■ アメリカでは『マスクをする人は英雄』、アメリカ人は英雄がお好き。
■ ドイツは『マスクをするのがルール』、いかにもドイツらしい。
ルールだと言えば必ず守る国民性 ?
■ イタリア 『マスクをするともてる』、南国的というか情熱的?
我が日本 『みんなマスクをしています』
なるほど! 大衆に迎合する性質、マスクをしないと睨まれる。
同様にタイタニック号のような沈没船の場合は。
■ アメリカ人は飛び込んだら英雄
■ ドイツ人は飛び込むのがルール
■ イタリア人は飛び込んだらもてる
■ 日本人はみんな飛び込んでいる
納得。
鳥取へ行ったのは久しぶり。有名な砂丘へはバス旅行のコースにあって必ず行くが、砂丘以外はあまりじっくり観光したことがない。
砂丘の近くに砂の美術館があったので行ってきた。
ホームページの紹介文によると、
2006年11月に「砂」を素材にした彫刻作品である「砂像」を展示したのが始まり、第1回目の展示は屋外でその後2回目から4回目までは大きな仮設テントで行われた。今のように立派な展示会場ができたのは2012年4月。
砂像彫刻家兼プロデューサーとして国内外で活躍している茶圓勝彦氏が総合プロデュースを務め、海外各国から砂像彫刻家を招き、毎年世界最高レベルの砂像を展示している。
「砂で世界旅行」を基本コンセプトに掲げ、毎年テーマを変えて展示を行なっている。
会期が終われば、砂像はもとの砂にかえされ、新しい砂像ができるまでは閉館。
閉まっている間は次回の砂像制作に充てられ、その期間は年によりまちまちだが大方は正月明けから4月中くらいまで。
今回は開いていてラッキーだった。
それにしても砂像彫刻家なる芸術家がいるんだぁ~、氷の彫刻家もしかり最近ではイルミネーションを使った芸術家もいる。
花火も芸術のひとつと思うがこれはHARDが残らない一番はかない作品なのかも知れない。
波打ち際の砂に絵をかいたりするのも限られた命の作品。
最近はそれらの作品を映像に残せるから映像作品とよばれるジャンルの芸術品なのかも知れない。花火はその最たるもの。
話を戻して、この砂像展示の
第1期展示はイタリア・ルネサンスをテーマとした作品、
第2期展示は、世界遺産・アジア編がテーマ、
第3期展示はテーマ:砂で世界旅行・オーストリア編
第4期展示(テーマ/砂で世界旅行・アフリカ)
第5期展示に「砂で世界旅行・イギリス編」を開催。
その後の第6期展示「砂で世界旅行・東南アジア編」、第7期展示「砂で世界旅行・ロシア編」を経て第8期展示「砂で世界旅行・ドイツ編」、第9期展示「砂で世界旅行・南米編」、第10期展示「砂で世界旅行・アメリカ編」、第11期展示「砂で世界旅行・北欧編」、第12期展示「砂で世界旅行・南アジア編」を開催。
↓ コロナ禍とて入り口にはこんな砂像が・・・。
説明文によると、砂像は砂と水だけでつくった塊を彫刻してつくられ、のり等は一切使用してない。
制作中に崩れることも良くあるとの事。屋外の砂像は風雨が激しい時はシートをかぶせるんだとか。
↓ チェスキー・クルムロフ By ケビン・クロフォード(オーストラリア)
モルダウ川に囲まれた世界遺産の街チェスキー・クルムロフ。14世紀に街ができて以降の度重なる戦火を逃れ、中世から残るオレンジ色の屋根の家々と街の外側に広がる丘の緑との対比が鮮やかaで「世界一美しい街」と評される。
この街は城をはじめ至る所にだまし絵が描かれていて、当時の財政難の苦肉の策と言われているが、街全体がだまし絵装飾で統一されていることで絵本の中から飛び出してきたような街並みを作り上げ、訪れた人をおとぎ話の世界へといざないます。
実際に行ってカラー付きで見たいものだ。
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