大山寺と大神山神社
夏休み、家族と奥大山休暇村で過ごした後、次男と鳥取県へ旅した。
鳥取への道筋に大山寺と大神山神社があったので寄ってみた・
↓ 大山寺山門
↓ 大山寺本堂、ご本尊は地蔵菩薩、度重なる火災から昭和26年に再建されたもの。
このお寺の沿革
奈良時代・養老2年(718年)出雲の国玉造りの人「依道」により開山。
大山寺縁起によると、ある日依道が金色の狼を追って大山に入り矢で射止めようすると目の前に地蔵菩薩が現れた。
それを見た依道の心に信仰心が生まれ、狼はいつの間にか老尼と化し、依道に話しかけて来た。
この出来事により依道は出家し、仏道の修行をしてこの山に地蔵権現を祀りその名を金蓮と改めた。
最盛期には100を超える寺院と3,000人以上の僧兵をかかえ、高野山金剛峯寺(和歌山県)や比叡山延暦寺(滋賀県)と並ぶ日本屈指の大寺院になった。
しかし、明治時代に神仏分離や仏教を否定する動きを受けて廃絶し、本社は大神山神社奥宮となった。
大神山とは大山の古い名前でこの宮には大国主命(大黒さま)が祭られている。
↓ 大山寺から大神山神社奥宮へ行く参道
↑ なんでも自然石を使った参道では日本一とか・・・へぇ~こんな日本一もあるんだ。
↓ やがて鳥居が見えてきた
↓ 神門、通常の門とは扉が逆向きに開くので逆さ門とも言われいるとか。
↓ 本殿
↑ この本殿は文化二年(1805年)の建立といわれ、神仏混淆時代の特徴である権現造りという形式。
↓ 境内社・下山大明神
元徳二年(1330年)大神山神社を尊信した備中郡司・渡邊日向守の一子・照政公は、参拝の帰路奇禍に遭い不慮の最後を遂げた。
人々はこれを憐れみ大山下山の地に子祠を建て下山神社と呼んだが数々の霊験ありて後、夢のお告げによりこの地に奉遷した。
多くの武将の信仰があり現在の社殿は代々信仰の厚かった石州津和野の領主・亀井隠岐守矩賢公が文化二年(1805年)に再建、
重要文化財に指定されている。
↓ 境内社・弁財天
↓ 下参道
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