耕三寺
耕三寺には過去何回か来たことがあるが、前に来てからもう20年以上経っていると後で分かった。
それは境内に「未来心の丘」なるモニュメントができていて、それができたのが20年前と分かったから。
↓ 耕三寺入り口の山門を入ると中門がすぐ目の前に。
耕三寺は特殊鋼管の製造会社を設立した実業家「耕三寺 耕三」が母親の追悼のために建てたお寺と云うからすごい。
大阪四天王寺の伽藍を模範として造られた堂塔は、耕三寺氏独自の発想と装飾が加えられ昭和唯一の寺院建築様式として、耕三寺様式と呼ばれる。
ちなみに「未来心の丘」は広島県出身の彫刻家・杭谷 一東氏が1989年より12年の歳月をかけ、イタリア産の白い大理石を素材に制作した大規模環境造形作品らしい。
↓ 中門から礼拝堂越しに五重塔が見える
↓ 中門から入り口を振り返る
↓ 境内案内地図
↓ 礼拝堂
↓ 五重塔
↑ 五重塔は昭和28年、耕三和上がご母堂の納骨堂としての建立を思い立ち、昭和30年(1955年)12月に完成「大慈母塔」と名付けられた。
↓ 孝養門
この門は、耕三寺参拝の人々が極彩色の堂塔を見て「日光のようだ」とうわさするのを和上が心に留め、昭和28年日光陽明門の原寸復元を発願し約10年をかけて建立された。
このお寺が「西日光」と呼ばれる所以はここから来ている。
↓ 孝養門をくぐると見えてくるのはいよいよ本堂
少し首里城を彷彿とさせる風景ではある。
↓ 本殿側から孝養門を見ると
↓ 千仏洞地獄峡
子供達が小さい時、耕三寺へ連れて行き、ここを見せたのを覚えている。
私自身が子供の頃、地獄絵図を大人に見せられ、悪事を働くと死んだ時にこんな風に鬼達から扱われると恐怖心を植え付けらえた。
地獄絵図は悪事の抑止力になると思い、それを自分の子供にも見せようと、地獄絵図がある耕三寺へ連れて行った。
↓ 入り口
残念ながらこの日はコロナで閉鎖中。
この洞窟、昭和39年(1964年)に完成したもので、鍾乳洞ではなく人工窟だが、富士山の熔岩と浅間山の焼石をコンクリートで固めて造ったという凝ったもの、全長は350m、最深15mに及ぶ。
浄土教の祖・源信和上(恵心僧都)が書いた往生要集を視覚で体感してもらおうと造られた。
洞窟内には往生要集の十界の各場面を描いた彫刻絵と今治市の石彫家・馬越三雄、正八親子作の石仏約一千体を以って構成されている。
↓ 地獄を見て来て地上に出てくる出口には「救世観音大尊像」がそびえ立つ。何とも憎い配慮である。
↑ 奈良法隆寺のご本尊・秘仏救世観音を手本として造顕された。
台座,宝冠を入れると15mの仏さま。昭和36年に着工、40年に完成。
↓ 地獄絵図の一例
こんな絵を見たら悪事を働こうなんて気にならない。
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