仁風閣
仁風閣は鳥取旧藩主・池田家が明治40年に時の皇太子殿下(後の大正天皇)の山陰行啓(ギョウケイ)にあわせ、その宿舎として建てたもの。
「ぎょうけい」とは、大皇太后・皇太后,皇后,皇太子,皇太子妃,皇太孫が外出することをいう。
明治建築の最高傑作と言われる赤坂離宮を設計した著名な宮廷建築家・片山東熊博士によるものと伝えられ、彼の後輩で鳥取市出身の建築家・橋本平蔵が補佐し地元の工匠・浜田芳蔵が施工に当たった。
フレンチルネッサンス様式を基調とする木造二階建の本格的洋風建築で中国地方屈指の明治建築として有名。
櫛型ペディメントを主要なモチーフにした端正な正面のたたずまいに、屋上の棟飾りや階段室の八角尖塔屋根が変化をつけ、背面の二階吹き抜けのベランダは軽快で美しい構成となっている。
内部は御座所・謁見所・食堂などの主要な部屋をはじめ、上下階の各室とも室内装飾にも気を遣っている。
マントルピース(暖炉飾り)やカーテンBOX,シャンデリアなど細部インテリアにも見るべきものが多い。
殿下到着の日に鳥取県下ではじめて電灯が灯されるなど計画され、明治の文明開化を華々しくPRした記念建築でもある。
「仁風閣」は行啓に随行した東郷平八郎海軍大将により命名された。
↓ 庭園図
仁風閣の正面と背面に二つの庭園がある。
鳥取城跡内に立地する仁風閣は、表と裏の趣の異なる庭園を通して、江戸時代の城跡に映える明治時代の洋館という景観を楽しませてくれる。
「旅に出よ」カテゴリの記事
- 奄美空港(2023.05.02)
- あやまる岬(2023.05.01)
- ハートロック(2023.04.25)
- 奄美大島 その2 ( 加計呂麻島 )(2023.04.19)
- ハブセンター(2023.04.20)
コメント