小豆島 尾崎放哉 記念館
尾崎 放哉なる俳人をここ小豆島へ来て知った。
尾崎 放哉(本名・尾崎 秀雄)は大正時代の俳人。
鳥取市吉方町に明治18年(1885)に生まれ、東大卒業後、生命保険会社に就職、
大阪支店次長を務めるなど出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然それまでの生活を捨て、大正12年(1923)から放浪生活に入る。
先輩・荻原井泉水の世話で小豆島の井上 一二 を頼って来島し、西光寺住職・杉本 宥玄の好意で奥院南郷庵の庵主として居住、
大正14年8月から同15年4月に亡くなるまでの八か月間、自由律俳句200余句をつくり人々に感動をあたえた。
いれものがない 両手でうける
障子あけて置く 海も暮れ切る
夜びて 吹いて 朝も 吹いて 師走の 島はよ
咳をしても一人
の解釈は、
激しい咳をして苦しいが、自分には看病してくれる人もいなければ、身を心配してくれる人もいない。
ただ一人。孤独である。
墓地からもどって来ても一人
という句もあり、
墓地とは”死の地” もどって来た南郷庵=家 は”生きる地”
放哉の思いの中では、「家」には、誰かがいてほしい、家族が待っていてほしいとの願望がある。
しかし実際は、「墓地」でも「一人」、家でも一人と極めて孤独。
孤独の寂しさを詠んだもの。
私と同じだ・・・・。
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