うさぎの島へ
しまなみ海道(漢字で書くと”島並”と私は思っているが”島波”の説もあり) 沿いの瀬戸内海にはその名のとおり多くの島が密集している。
昔から本土と島々は船でつながっていたが、尾道から今治まで続く「しまなみ海道」が開通してから大きな島は陸続きとなった。
うさぎの島・大久野島は小さな島で、残念ながら陸続きとはならなかった。それ故、この島には尾道の忠海からフェリーか客船で行くしかない。
この島へは車の乗り入れはできるが島内を走る事はできないから観光客は忠海に車を置いて行く。
↓ 矢印が大久野島
↓ 大久野島行き客船
15分ほどで島に到着。
↓ 島へ物資を運ぶトラック用も兼ねているのか 広くて立派なフェリー桟橋
桟橋から「休暇村 大久野島」へは送迎バスが運行していた。
↓ 休暇村
一周およそ3.3Kmの小さな島に、約1,000羽のうさぎが生息している。
猫の島はちょくちょく耳にするがうさぎの島はここしかない。
何故こんなに多くのうさぎがいるのか? 調べてみた。
戦時中この島は芸予要塞として毒ガス製造が行われ、 毒ガスの実験用として多くのウサギが飼われていた。
その事から、その子孫と思われがちだがが当時のウサギの子孫はもういない。
戦争が終わり高度成長期に入ってから観光の大衆化が進み、この島の毒ガス製造アトの安全性も確認され、国民休暇村として整備されることになった。
その時、観光客を呼び込むために、島のマスコット的な存在としてウサギが選ばれたそう。猿や鹿もマスコット候補に選ばれたが最終的には島の歴史と縁の深いうさぎに決まったという。
うさぎは野生だが人にすごく慣れていて、寄って来ては餌をねだる。
特に山道を歩いていると遠くから人を見つけて走り寄って来るのがたまらなく可愛い。
走り寄って来るうさぎにやるエサを持ってない虚しさに耐え兼ね、わざわざ尾道の忠海まで買いに行ったほどだ。
何故か休暇村にはエサを売ってはいなかった。
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