五百羅漢
五百羅漢について元駒澤大学総長・奈良 康明氏はこう書いている。
羅漢さんと言う言葉は私たちに親しい。子供の頃からなじんでいて郷愁にも似た響きがある。
日本中何処に行っても羅漢さんはいらっしゃる。
五百羅漢さんは「野の仏」然として並んでいるし十六羅漢さんは彫刻や絵画、襖絵などに姿を見せている。
羅漢さんの表情は千差万別である。彫刻した石工達が自分の知り合いの人をイメージして彫ったのではないかと言う。
庶民的な顔ばかりである。この点、沈潜と静まりかえった表情の下に限りない智慧と慈悲を秘めた仏・菩薩像とは雰囲気ががらりと変わっている。
目を見開いたり目を細めたり、口を大きく開けて哄笑したり皮肉な笑いをたたえていたり、哀しげな表情を見せるかと思うと刺すような目つきで私たちを眺めたりしている。
自由奔放な羅漢さんの表情の中に、しかし、共通なものがひとつある。眼だ。さまざまな表情の中に眼だけはしっかりと私たちの心を見ている。
喜怒哀楽の表情の中に私たち人間の性を見抜きその愚かさを嘆き、悲しんでいる眼がある。いや、人間の悲しさと愚かさを知り、しっかりと生きていけと言わんがためにこそ、私たちの心を映した表情をして見せている、と言う方が正しいのかも知れない。
そう。それもその筈なので、羅漢さんとは仏法を守護し私達を救ってくれる聖者なのである。
別の文献によると、
羅漢(阿羅漢)は、もとは 仏 の別称であったが、後に仏と区別され弟子を指す言葉となった 。
大乗仏教 では弟子を批判的に阿羅漢と呼び、仏と区別した 。
大乗仏教の漢訳圏では総じて、阿羅漢を弟子と同一視し、菩薩や仏と対置して批判的にみる 俗説が通流した。
禅宗 の中には、阿羅漢だった 摩訶迦葉 に釈迦の 正法 が直伝されたとして、釈迦の弟子たちの修行の姿を理想化し、阿羅漢の図像を正法護持の祈願の対象とした宗派がある 。
中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を 十六羅漢 、
第1回の仏典編集に集まった500人の弟子を 五百羅漢 と称して尊崇することも盛んになった 。
雲辺寺にある五百羅漢はすごい!
表情豊かで皆違った顔をしている。私に似た像をさがしたがいなかった。
夜ここを歩くと怖いだろうなぁ~。
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