城 山
長年城山のふもとに住んでいたのに一度も歩いて登った事がなかった。
山頂にゴルフ場があり、そこで下手なプレーは何回もしたことがあるが・・・。
しろやまと書いて「きやま」と読む。
私の息子の名前もそこから一字取った。
ここで城山の由来 ↓
城山は我が国最初の国立公園・瀬戸内海国立公園(1934年指定)の一画で、古代の城の総称である「城」をそのまま山名としている。
讃岐岩質安山岩の頂上附近に朝鮮式山城跡がある。
梶君という高校の同級生がいて、聞くと子供達に城山で野外活動のボランティアをしていると言う。
その話も聞いていたので6月の「こんぴらWalk」は城山(標高 462m)に登ろうという事になった。
↓ 地図
登り口は帰りに温泉につかれる城山温泉登山口(地図右上⑥ )と決めた。
まず竜王宮を目指す。
登る人が少ないのか道はかなり荒れていて迷いながらも何とか到着。
竜王宮から明神原を目指したが、途中道が分からなくなり完全に迷った。
で、ひたすら獣道を登ることになった。
明神原への矢印もなく迷ったが、後で反省するに木に赤いテープを巻いてあったのが目印だったと思う。
急な坂道をひたすら上へ上へと木々の枝を振り払いながら登ること1時間強。
広い道に出るのだろうか? 行き止まりで引き返す羽目になるのか? と心配しながら・・・・。
引き返すのが一番嫌だった。
登るのは木の枝につかまりながら何とか足場を確保できるが、下りは滑るのが怖い。
おまけに足元は落ち葉が積み重なり滑りやすくなっているし急勾配だ。
それでテレビ塔のある広い道に出て来た時には本当に安堵した。やれやれ!
そこからは広い道を辿って山頂へ。
この日は薄曇りで眼下に広がる讃岐の山々はけむっていた。
↓ 晴れた日は
展望休憩所で各自持ってきた弁当を食す。
展望休憩所付近の地図 ↓
↓ 史跡城山の説明看板より
城山は標高462mとこの付近の最高峰の山であり視界は極めて広く景勝の地です。
山腹は比較的急峻ですが山上部は穏やかに起伏していてその中に西北に向かって口を開く凹地を囲んで城郭の跡がある。
城郭は山上部を中心に二重の石塁で囲まれている。
山頂部の礎石群や内側の石塁の間に城門、水門といった城郭遺構が残っている。
外郭の急峻な斜面付近には、上面が平坦となる石塁や土塁が稜線に沿って約6Kmにもわたって山頂を囲っている。
城内各所にはホロソ石、マナイタ石と呼ばれる石製加工物も確認されている。
築城の時期は詳らかでないが七世紀後半頃に築かれた古代山城と考えられている。
東の明神原には平安時代に国司・菅原道真が雨乞いをしたという古代祭祀の跡もある。
城門や石塁など良く当時の様子を留めており古代史上貴重な遺跡として昭和26年に国の史跡に指定されている。
昼食後は来た道を戻り途中「明神原遺跡」に立ち寄る。
曰く、
ここ城山の東南に突出するこの山は明神原と呼ばれ、山頂の南側に烏帽子岩といわれる巨石を正面にその南左右に巨石が並び立ち中央は階段状に見える平坦な空地がある。
古代農業によって村造りが行われた頃、部落を見下ろす山頂の巨石・大木を憑代として天より降臨する神霊を招き迎えて豊作を祈る祭祀が行われたが、この明神原の巨石群はその配置から神を迎え祭祀を行う磐境であり、烏帽子岩は神霊の憑りつく磐座と考えられる。
伝えによれば仁和4年讃岐干ばつの時、国守・菅原道真公が城山に雨を祈ったのはここであり、延喜式内社・城山神社は元この地に祈られたと云う。
また城山築城後はその守護神として祭祀されたと考えられ、古代祭祀研究上貴重な遺跡である。
下山途中で城山不動の滝に立ち寄った。
ここ数日まとまった雨も降らなかったので水量はほとんどない。
↓ 坂出市のHPより水量の多い時は
不動明王がある落差15mの滝で坂出のパワースポット。
城山の8合目あたりにあり,弘法大師修行の際,岩壁に不動の像を刻んだことからこの名があるといわれています。
滝のすぐ横に不動明王が祀られており,昔から修験道の場所として滝行を行っていたと伝わっています。
↓ 滝のすぐ横にある不動明王
不動の滝から下ること約20分、やっと俗世間に帰還した。
とにかく山道は険しい。
« 井上杏那さんの作品 2021年6月 | トップページ | 柿タンニンパワー »
「走る」カテゴリの記事
- 金 山(2021.07.27)
- 城 山(2021.06.16)
- 第22回天狗マラソン大会(2016.02.15)
- 第14回讃岐うどんつるつる Tow Day ウォーク(2016.01.15)
- つるつるWalk(2015.04.09)
コメント