郷師山(ごじやま)
8月の【3匹の老人会】の山登りは坂出市にある郷師山、標高296.2m。
東には城山、北には金山、西には常山に囲まれた山。
この山名の由来は、宗教的な色彩を色濃く残すことから、僧侶を呼ぶ五師または人里離れた弧寺などの語呂や意味から来ていると考えられている。
登り口は黒岩天満宮の横から。
↓ 天満宮にも参拝
石碑より
仁和2年(886年)菅原道真公は讃岐守に任ぜられ当地に赴任されました。
ある年日照りが続き池も涸れ村人が難儀していた折、道真公が城山に登り社にて雨乞いをされました。
たちまち豊かな雨に恵まれ村人は狂喜乱舞して菅公をこの地に迎えました。
菅公の威徳をたたえ、後にこの地に社を建て黒岩天満宮としました。
以来学問の神様・学業達成・家業繁栄の守護神として仰ぎ慕われ今日に至っています。
社殿は明治末期の改築以来 数度の補修を行ったが千百年祭を機に大改修された。
↓ 天満宮から城山にも郷師山にも登れる
この山は角礫凝灰岩の層が山麓より山頂近くまで続いている。
この層を利用した岩窟寺院が多く存在したと考えられている。
しばらく登ると地蔵堂があった。
地蔵堂の中には凝灰岩に石窟仏が彫られていて【郷師山石窟仏 】と言われる。
平安期以降 密教と山岳信仰が結びついて修験道が成立、岸壁を洞窟のように穿ち、その中に仏像を彫る石窟仏と呼ばれる仏教彫刻が盛んに造られた。
この石仏もそのひとつではないかと考えられている。
郷師山の凝灰岩を高さ 1.7m、幅 1.85m、奥行き 1.5mに穿って石窟とし、その奥に高さ 1mの観音菩薩像と地蔵菩薩像を厚さ約13㎝に彫り出している。
正面右手の観音菩薩の頭部は、後世に補修されている。
左手の地蔵菩薩像は顔面がやや痛んでいるが円満相のお顔や右手を垂れ左手に宝珠を持つ姿など古式の様相が読み取れる。
彩色は後世の補修と考えられる。
地元ではこの石窟仏を女人が乳を授かる守護仏として信仰を集めてきた。
このような石窟仏は近畿地方に多く確認されているが香川県下には数が少ない。
↓ 地蔵堂を後にし、さらに登ると洞窟跡がある。
この洞窟は中世頃の採石場と考えられ、中に水が溜まっている。
地元の伝承によると、海水の干満とこの水位が一致、洞窟と海がつながっていると言う。
そんなバカな??? 標高が全く違う。
登山路は洞窟跡から勾配がきつくなって、休み休み何とか頂上まで辿り着いた。
↓ 途中、景色が開け象頭山や遠くは阿讃山脈も見えた
↓ 頂上
頂上は木々に覆われ瀬戸内海の景色は見渡せない。
大きな板状の角礫凝灰岩がごろごろしていてサヌカイトの「カンカン石」もあった。
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