対馬丸記念館
対馬丸記念館を訪ねてきた。
沖縄の太平洋戦争にまつわる歴史は悲しいものばかりだが、この対馬丸はその犠牲者が子供中心だったから猶更その悲嘆さがつのる。
まず疎開船・対馬丸について
1914年建造:6,754 トン、貨物船として30年間運行された後、疎開船として那覇市内 8つの国民学校の生徒や県内各地から集まった一般疎開関係者 1,661人が撃沈された時に乗船していたと言われている。
記念館の説明書きによると、
昭和19年(1944)7月7日 サイパン島の日本軍が全滅すると次はいよいよ沖縄が戦場になる危険が高くなり、政府は沖縄の子供やお年寄り女性など10万人を県外に疎開させる決定を下しました。
そして学童疎開は8月14日から9月14日まで数回にわたり実施され 5,586人の人が船で九州に向かった。
対馬丸はその中の一隻で、航海中に米潜水艦の魚雷攻撃を受け鹿児島県トカラ列島悪石島近海で撃沈され、学童784名を含む 1,484名が犠牲になった。
↓ 対馬丸
二度と戦争が起こらないようにしなければならない。
今の平和があるのは悲しい事だが先人の犠牲の上に成り立っている。
この平和を是非我々大人が守らなければならない事を再々認識させられた訪館だった。
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