識名園
現地では「シチナヌウドゥン」と言う。
琉球王家最大の別宅で国王一家の保養や外国使臣の接待に使用された。
18世紀終わり頃つくられ 1800年には 尚温王が 冊封(古く中国で、天子が臣下や諸侯に冊をもって爵位を授けたこと )のため訪れた使臣を招いている。
庭園の広さは約 42,000㎡(約 12,726坪)
造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりが楽しめる「廻遊式庭園」。
廻遊式庭園は近世に日本の諸大名が競ってつくるようになった造園形式とか。
↓ 園入口
↓ 正門
この門より国王一家や冊封使などが出入りした。
正門、通用門ともヤージョウ(屋門)と呼ばれる屋根のついた形式で、ヤージョウは格式のある屋敷にのみ許されていた。
識名園のヤージョウは王府時代の格式を踏襲した趣のある門 ・・・と言われる。
↓ 池 名前はない
↓ 育徳泉:池のl水源で水が湧き出ている。
琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」にして巧みな曲線を実現している。
↓ 御殿(ウドゥン)
↑ 赤煉瓦屋根の木造建築で往時の上流階級のみに許された格式あるつくり。
明治末期から大正のはじめに増改築がなされた。総面積は約160坪。
↓ 六角堂
池に浮かぶ島にある六角形の東屋、屋根の形や瓦を黒く色付けしているところに中国的な趣が感じられる。
↓ 勧耕台
沖縄本島南部地域を見渡すことができる展望所で海が見えない風景が望める。
中国から来た冊封使をここに案内して琉球が小さな国土ではないことをアピールしたと思われる。
↓ 勧耕台から見える風景がこちら
↓ 番屋
番屋は通用門と御殿の近くに位置し、園を管理した番人の住居。
識名園は栗林公園の雰囲気と似た庭園と思えた。
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