Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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2022年1月

弱体化していく子供の体 By 豊岡倫郎氏 2022-1-29 

1.弱体化してゆく子供の体 

人生100年時代になったと、楽観視している人が多いが、今の百寿者の人たちは、大正末から昭和の初めに生まれて、成長期時代の環境は、食事、乗り物、冷暖房手段などは簡素で、厳しく、体も鍛えられた。ところが今、心ある医者達からは、子供の体に異変が起きていて、子供たちの健康状態について、先行き懸念する声が上がっている。3_20220228134301 

2.子供たちに起きている憂いべき症状の数々

ある教育機関の小学生、中学生を対象にした調査によると、その症状を多い順から列挙すると、アレルギー性疾患、視力が弱い、すぐ疲れる、歯並びが悪い、腹・頭痛がある、背中がぐにゃぐにゃ、体温36度以下、首・肩コリ、虫歯、肥満などの症状である。

3.何故こんな症状が起きるのか

我々を取り巻く社会環境は、整備されて、多種多様な食べ物は溢れ、交通機関も発達して、歩くことも少なくなり、放課後友達と外で遊ぶこともなく、夜遅くまでスマホやパソコンを操作して、腹がすけば夜食を摂り、冷暖房設備が完備されて、農薬や食品添加物の入った加工食品、大気汚染の中に囲まれているという、衣食住の生活環境がすっかり、自然から乖離してしまつた。即ち飽衣飽食、運動不足、ストレス、睡眠不足などで、体は弱体化してしまった。

4.多いアレルギー性疾患

アレルギー性疾患には、アトピー性皮膚炎、気管支喘息、アレルギー性結膜炎、アレルギー性鼻炎(花粉症もその中に入る)、食物アレルギーなどがある。その中でも一番多いのがアトピー性皮膚炎で、全国に治療を受けている人が約700万人、花粉症は10人に1人が悩んでいると云われている。上述した様に子供達にも一番多いのが、アレルギー性疾患で、3人に1人いるという。 

5.アレルギー性疾患発症のメカニズム

アレルギー性疾患発症のメカニズムは、どの症状の場合も、皆同じで、起こってくる場所と、その症状が違うだけである。つまり体外から入ってくる抗原(アレルゲン)となる物質、例えばダニ、カビ、花粉、そして大豆、卵、牛乳などのタンパク質が体内に入ってくると、体に備わっている抗体との間で、異物として処理しようとする反応が炎症を起こし、それぞれの場所で症状として発生する。なお抗体とは、病気の原因となる物質が体内に侵入したとき、異物として攻撃したり、体外に排除する役割を担うために作られたタンパク質のこと。 

6.アレルギー性疾患の治験

何故私がアトピー性皮膚炎や花粉症になったのか、しかも通院していても、治療の決め手となる治療法が確立されていない為に、どうしたらよいのか、悩んだり、疑問を持っている人が多い。

この問題に対して、1998年に話題となったのは、八尾市の甲田医院で行われたアトピー性皮膚炎の治療の為に実施された「健康合宿」とよばれるものである。この合宿には浜松医科大学、大阪大学、兵庫医科大学、岡山県立医科大学の先生方も参画して、重傷から中等のアトピー性皮膚炎の患者20名が入院して、1996年11月から12月の2か月間、甲田医院にて、治療が進められた。その結果は好成績に終わった。

その後、この健康合宿の成果を知った人達から、もう一度健康合宿を実施してほしいとの声が上がり、1997年8月に第2回目が、17名のアトピー性皮膚炎の患者が参加して甲田医院で行われた。その結果は前回と同様に、17名全員の症状が軽快するという好成績が認められた。そしてその治験が1998年12月に行われた、第48回日本アレルギー学会総会で、報告された。

この合宿の体験集が、甲田光雄監修、すこやかな子供を育てる勉強会編、「アトピーの健康合宿に学ぶ、甲田療法の実践記録」として創元社から出版された。

アトピー性皮膚炎に対する、所謂甲田療法の主眼点は、外部からのアレルゲンと云われる抗原物質よりも、タンパク質の多いに肉,乳製品の過食で悪化した腸内環境に、発症の原因があるとするものであった。

従ってその対策としては、アレルゲンが傷ついた腸粘膜から体内に入らないようにする事に視点を置いた。これを戸締り論と称した。浜の真砂のようにアレルゲンは数々あれど、腸壁を修復し、しっかりと戸締りすれば、体内に入って行かないという理論である。

まず少食主義に切り替えて、今迄の乱れた食事によって荒れた腸粘膜の傷を治すことに主眼を置いて、少食、玄米、生野菜汁など、一連の甲田療法を実行したのである。詳細は上述の著書参照。現代の症状を消そうとするだけの医療は食を超えられないことを示したのである。

7.体の不調は腸もれ、正式にはリーキーガット症候群とは

腸もれに関する研究が進み、腸もれが体の不調の一大原因と云われている。腸もれとは、腸壁の細胞間の連結が緩んで、隙間が出来て、そこから腸内で腐敗したタンパク質の毒素や細菌などが腸壁から吸収されて、血液に混じり、全身の組織に悪い影響を与えてしまうことが解かってきた。今や日本人の70%に「腸もれ症候群」の可能性があるという。

例えば、アレルギー性疾患はもとより、慢性炎症、慢性の消化器系疾患、めまい、疲労、多動症、自閉症、糖尿病、アルツハイマー病、パーキンソン病、全身痛、動脈硬化、慢性リュウマチなどの発症に係わっている可能性を指摘している。

対策は良い腸内環境を作る食事、即ち少食、3分づき玄米、生野菜汁、小魚、大豆製品、ゴマ、海藻、キノコ、根菜類中心の食事である。肉、卵、乳製品、食品添加物の多い加工食品、酒、甘いものは控える。特に蛋白質の過剰摂取で生じる窒素酸化物が元凶となっている。

8.子供の病気は親の責任

両親が健康であれば、生まれる子供も元気に生まれる筈。問題は両親が不規則な、乱れた食生活を続けていれば、「この親にして、この子あり」という諺の通り、病弱な子供が生まれるに違いない。先ず子供の為にも、自分の為にも、正しい生活習慣を身に付けねばなるまい。

食育と云う言葉が有る。食育基本法と云う法律が2005年に制定されている。その中身は、国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成のために、保護者、教育関係者の役割、伝統的な食文化、生産者の環境、食の安全性などについて規定されているが、今の医療体制は食事療法に無関心で、治療に活かされていないというから、話は深刻さを増す。

9.まとめ

1)毎日テレビでは地方のグルメやスイーツの食べまくり番組を放映している。今回触れなかったが、いま小、中学生に高コレステロール、脂質異常、動脈硬化が激増しているという。

2)乱れた食生活がじわじわと体を蝕んでいる、今の子供が百歳まで生きられるのだろうか心配。

3)親は早く食の重大さに気づき、子供の食育をしないと、親も子も滅びてゆく。  

おわり 

瀬戸内海クルーズ船の旅 その5(本 島)

本島に上陸してまず向かったのは塩飽勤番所跡

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塩飽全島は大小28の島々が散らばる1250石の領土で、豊臣時代以降 人名(にんみょう)と称する幕府の船方650人が共有することとなり、最初は4人の年寄が交代で自宅に領知所有の朱印状を保管して塩飽jに関する一切の政務を行っていた。

しかし寛政の初めに行われた島治改革を機に寛政10年(1798)に勤番所を新築し、ここに人名の中から選ばれた3人の年寄が交代で政務を執るようになった。

現在のこの建物は1860年に改築されたもので、明治以降は村役場、丸亀市に編入されてからは市役所の本島支所として1972年まで使用されていたが、昭和45年(1970)国指定史跡となってから1977年に復元修理が行われた。

↓ 門を入ると

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↓ 朱印状を石櫃に入れて保管していた朱印庫

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かってこの中に信長、秀吉、家康の朱印状が保管されていたとか。

この勤番所へ来る途中に岡山へ行くマリンライナーからも見える巨大な建物・天理教 本島大教会がある。

↓ 立派な門に立派な建物

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本島はみかげ石(花崗岩)を石材として産出した島としても知られ、大阪城や江戸城の城郭の石垣石として使われていた。

石垣に刻まれた五種類の刻印が高無坊山に49個残っている事からその事実が判明した。

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本島の見学も終わり無事高松港に帰って来た。

朝方晴れていた天気もだんだんくずれ帰宅する頃には雨になっていた。

瀬戸内海を満喫できたクルーズ船の楽しい旅だった。

クルーズ船の旅、終わり

江洲の花

沖縄の麺類と言えば「沖縄そば」だが、珍しくそば粉で作った和そばの店が大宜味村にある。

原則予約制、たまたま立ち寄って予約時間に空きがあれば入れる。

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和そばもさることながらこの店の特記すべきは天ぷら。

麺と天ぷらは実に相性が良い、天ぷらうどんや天ぷらそばは定番のメニュー。

一方沖縄そばに天ぷらがトッピングされているのは見たことがない。

沖縄そばのトッピングは大方ソーキ肉、天ぷら好きの沖縄県民なのに何故なのか? 謎である。

このお店が「ナニコレチン珍百景」に登場した。何が珍なのかと言うと、おそばの他に天ぷらが次から次へと出てくる事。

いわゆる天ぷらの食べ放題のお店、とにかく「ストップ、結構です」と言うまで出てくるシステムなんだそうな。

一番最初に行った時、この事を知らなかったので、途中で黙って店を出ようとしたら叱られた。

天ぷらはゴーヤ、エリンギ、ウリズレ、モズク、ゴボウ、ナス、バナナ、ニラ…と野菜が主流。

番組の中で「和そば江洲の花」の店主・中島敬さん(70歳)と早苗さん(83歳)ご夫婦に聞いてみたところ、野菜は近所の農家からいただいたものが多く、赤字にはならないのだとか。

早苗さんは終戦後8歳の頃、石垣島にいて医師だったお父さんと、戦争孤児に食べ物を与えたという。
その頃から、お腹いっぱい満足させてやりたいと思い今のようなお店にしたのだとか。

見事、チン百景に登録された。ちなみにお値段は1,000円と格段に安い。

横潮神社

金山,常山へ登る道筋に立派な神社があった。

↓ 参拝して見上げると横潮神社と刻まれていた。

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この神社には横潮大明神が祭られている。

坂出の昔話『悪魚伝説』の中で悪魚の毒気にやられ死にかけていた兵士たちを八十場の霊泉を飲ませて回復させてのがこの神様なんだそうな。

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この神社にたどり着くまでが大変だった。

一日8,000歩のノルマを達成すべく軽い気持ちでコースを金山に取ったが、どこでどう道を間違えたのか道なき道を辿ることになった。

引き返そうか? 登ろうか? と迷いつつも  誰がつけたか木に結んだ赤いテープを道しるべに上へ上へと。

テープは目標を見失いそうになった時現れ、心細さを安堵に変えてくれた。

奮闘すること1時間弱、やっと送電鉄塔横の登山道に出た。

ほんとにほっとした。いくら低い山でもひとりで登る事は二度とすまいと再認識した。

近くに三角点を見つける。↓

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登山道はもう長い間誰も通ってないらしく落ち葉が降り積もっていた。

下り坂とて落ち葉で滑らぬよう注意しながら無事下界着。

そこにこの神社があったと言う訳、この神様が私を助けてくれたのかも知れない。

瀬戸内海クルーズ船の旅 その4(ブイブイアート)

粟島には古くなった漁具のブイをアート作品にして観光客を楽しませている。

粟島港にもあったが島内には随所に作品を置いている。

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作品を展示した本格的な所がブイブイガーデン

地上からでも行けるが、粟島港から上新田港までチャータ船で行く。

ブイブイガーデンは、スクリューの形をした粟島の東、ちなみに真ん中あたりが粟島港。

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まぁ~いっぱいあるはあるは!

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漫画チックな作品もあって見ているだけでほのぼのしてくる。

誰がブイを使ってこんな作品を作り始めたのだろうか?

クルーズ船の旅、つづく

若宮八幡宮

桂浜にある海津見神社(龍王宮)は、ほこら形の神社。

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参拝して中を覗くと御朱印は若宮八幡宮でお授けします旨のお知らせがあった。

そこで早速 若宮八幡宮へ御朱印をもらいに行った。

↓ 若宮八幡宮

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↑ 若宮八幡宮の鳥居にはいわれがあるとかで、ご紹介すると、

長宗我部元親が豊臣秀吉の先鋒隊として九州に遠征する際、武運を祈りいざ出陣という時、軍旗が鳥居の笠木に引っ掛かり落ちた。

衆人はこれを不吉とし出陣を見合わせるよう進言したが、元親は「敵を笠にかけて討つ」と吉祥前兆と祝し出陣した。

しかし結果は惨敗、帰郷した元親はこの鳥居を不祥の鳥居とし海上遥かに流した。

爾来 280余年間 鳥居なき神社として有名だったが、慶応元年の地震の際 鳥居の根石が地面から浮き出た事から、これを神意とみなし明治3年3月に再建した。

面白い!

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若宮八幡宮は創建が1185年と言うから相当古い神社。

吾妻鏡によると、鎌倉幕府の基礎を固めた源頼朝は祖父・為義公の慰霊と源家の長久を祈り、京都六条に左女牛若宮(サメウシノワカミヤ)を創建し、土佐国吾川郡一円を同社の新領地として寄進した。その神領鎮護の神として石清水八幡宮の御分霊を御勧請したのがこの神社。

↓ 若宮八幡宮の御朱印

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↓ 海津見神社の御朱印

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この御朱印 ↑ をもらう時にちょっとしたエピソードがあった。

海津見神社の御朱印を下さいと言うと巫女さんが「何故ここへ ?」の質問。

「参拝した時ほこらの中にここでもらえると書いてましたから」と言うと即書いてくれた。

質問した理由を聞くと、参拝もしてないのにお札だけもらう人がいるからだそうな。

えっ~そんな人いないだろう~。

祠の神社の御朱印をもらったのは確か初めて。

瀬戸内海クルーズ船の旅 その3(漂流郵便局)

昼食を食べて向かったのは漂流郵便局。

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この郵便局は2013年に開催された瀬戸内国際芸術祭の作品のひとつで、芸術家・久保田沙耶氏が制作した。

旧粟島郵便局舎を利用した宛先不明の手紙やはがきが集まる郵便局。

芸術祭の期間、久保田氏がこの漂流郵便局の「局員」を務め、かつて実際に粟島郵便局で局長を務めていた中田勝久氏が漂流郵便局の「局長」に就任した。

中田氏はこの島の住民でなくこの日のツアーに合わせてクルーズ船旅主催者が呼んでくれていた。

前に粟島に来た時は芸術祭でもなかったので郵便局は閉まっていて中には入れなかった。

中にはいるとおびただしい数の手紙やはがきが所狭しと置かれていた。

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↓ 中田 漂流郵便局長

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↓ 久保田氏の本

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↑ TBSの番組あさチャン! で紹介されたらしい。

 漂流郵便局が本になりました、心をゆさぶる 69 通の手紙

 返事はないとわかっていても想いを伝えたい人、あなたにもいませんか?

↓ こんなスナップ写真も飾られていた

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知らなかったが今年1月1日にBS日テレで放映された『絶景!瀬戸内アート旅』の番組収録時、この郵便局に立ち寄った北川 景子さん。

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↓  やくみつる氏もここを訪れたようで、

粟島の漂流郵便局で百歳の自分に葉書を投函。2014年の夏をあの世で懐かしんでいるのかしらん。 みつる

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下のパンフレットに いつかのどこかのだれか宛の手紙を出したい人は・・・の方法が書いてある。

ひとつは、〒769-1108 香川県三豊市詫間町粟島1317-2 漂流郵便局留め 〇〇〇〇様 で投函するか

または第2・第4土曜日 13:00~16:00 の粟島漂流郵便局営業時間内に中にあるポストに投函するか。

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↓ 中にあるポストがこれ

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クルーズ船の旅、つづく

瀬戸内海クルーズ船の旅 その2(ル・ポール粟島)

粟島上陸後すぐ向かったのは昼食場所である「ル・ポール粟島」。

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昼食代金はツアー料金に含まれている、それでレストランの中に入るともう準備が整っていた。

グループごとに席を違えて黙食、一人ツアー客も多く私もそのひとりで知らない人とアクリル板を隔てて同席。

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↑ まぁ~無難な会席料理

黙々と食し、誰の気兼ねも要らないのでいつもの早食いで一番にレストランを出た。

すぐ隣の国立粟島海員学校跡の校舎を見学する。

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↓ 中に入るといかにも学校! って分かる廊下

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何故か学校に懐かしい映画のポスターがあった。

昔よく見た、高倉健・鶴田浩二、今も愛してやまない吉永小百合さんがいた。

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↓ 校歌

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玉藻よし讃岐の島よ

粟島は 名にこそおえれ

われらいま 学びの海に

船脚を そろえて進む

胸に満つ 潮の香高く

いざ望み かかげてゆかん

レストランから出発する時、お店の人がハンドベルで見送りしてくれた。感動!

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クルーズ船の旅、つづく

瀬戸内海クルーズ船の旅

JR四国ジパング俱楽部が主催する瀬戸内海クルーズ船の旅に参加してきた。

コロナ禍とて30人くらいの少人数で4回に分けて募集された。

流石の1回目から3回目には申込が遅すぎて参加できず、一番最後の12月12日になった。

船は六口丸海運有限会社が運行する『ムクジマルホープ』 普段は 児島観光港から本島港をつなぐ連絡船。

その船をチャータしたらしい。

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高松港を出港しノンストップで粟島へ、そこで昼食と観光して再び船に乗り本島へ上陸、

塩飽勤番所跡などを見学して高松まで帰っくるコース。朝9時に出発、16時半頃高松港着桟予定。

当日予定通り出港した船は女木島を左手に見ながら航行し、男木島が見えると取り舵をきって左折。

観光船とて男木島灯台を見せるためだ。

↓ 男木島

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↓ 男木島灯台

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この男木島灯台には二つの特記事項がある。

一つは 1957年公開の木下 恵介監督の名作「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地となった事。

もうひとつはこの灯台は日本に3つしかない総御影石造りの灯台であること。

それで日本の灯台50選にも選ばれている文化的価値の高い灯台。

高さ14m、庵治石で造られ、1895年12月に設置された。

船は西に西に進路を取りやがて大槌島・小鎚島の間を抜ける。

↓ 大槌島

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大槌島をこんなに間近で見たのは現役時代の試運転船以来だ。

↓ 瀬戸大橋の真下をくぐる

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↓ 途中丸亀港から本島行のフェリーに出会う

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↓ 粟島着

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粟島総合開発センター前の歓迎モニュメント ↓

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写真右に「ピンコロ地蔵」がある、百になってもピンピンと生きコロリと死ぬ!

いいね! 深く祈りをささげて来た。

粟島には使い古しのブイで作った作品があちこちで見かける。

港にもある ↓

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↓ 粟島地図

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クルーズ船の旅 つづく

ご参考 ↓

 

 

瀬底島に居酒屋 オープン

瀬底島にある唯一の居酒屋は「ゆんたく」↓

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そこに昨年新しい居酒屋がOPENした。

その名も「ちょい吞み処 49ストアー商店」 ↓

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ALL 490 yen と書いてあるが おつまみ一品が490円? それともお酒も ?

コロナとて今は休業中。残念なり!

↓ やんばる焙煎工房 の建屋内にあった止り木スタイルのコーヒ店 兼 雑貨店を改装してOPEN。

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居酒屋店主はやんばるコーヒ店の次男で東京で沖縄料理の居酒屋をしていたが沖縄へ Uターンしてきたとか。

コロナが明けるのが待ち遠しい。

 

もとぶ八重岳 桜まつり

日本で一番早く咲くさくらの祭りが毎年本部町の八重岳で開催されている。

今年は第44回目で期間は2022年1月22日から2月6日まで。

下のポスターは第38回のもの

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祭りが始まる前から花を見にくる人は多く、私もそのひとりで1月11日に行って来た。

道路沿いに7,000本ほどの桜の木がある。

この日は三分から五分咲きくらい。

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木によっては8分から9分咲きの木もある。

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沖縄の桜は寒緋桜 (カンヒサクラ) で ソメイヨシノのような薄ピンクの花でなく梅や河津さくらのような鮮やかなピンク色。

ソメイヨシノと全く違うのは桜吹雪が見られない事。

と言うのも、散る時はツバキの花のように花びらが付いたまま下に落ちるんだそうな。

それで花吹雪はない。花びら散る桜の木の下でお酒を酌み交わす・・・なんて光景は見られない。

この桜並木はそろそろ寿命を迎えていて本部町では2年前より保全活動の寄付金を募っている。

追伸

沖縄ではソメイヨシノの花は咲かない。そのわけはこの桜は一度寒さを経験しないと咲かない仕組みになっているとか。

ウインターファンタジー

国営さぬき満濃公園で2021年11/27日から2022年1/10日までイルミネーションイベント「ウインターファンタジー」が開催された。

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2022年1月31日付けの四国新聞によるとこの期間の累計来園者は16万人となり過去2番目に多かったそうな。

デルタ株が終焉に向かいオミクロンがまだ出始めた頃だったので、イベントに飢えていた県内外のお客がどっと押し寄せた感じ。

↓ シンボルツリー 10mの光の塔

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↓ シャンパングラスタワー

高さ5m、4,900個のグラスが使われている

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↓ 昇竜の滝 落差9mの滝をライトアップ

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ただただ幻想的としか言えない、大感動の光のパノラマだった。

PCR 検査

「PCR検査」なる言葉はコロナが始まって以来 毎日のようにテレビやラジオで聞く。

コロナウイルスに感染しているかどうかの判定に使う・・・ぐらいの知識しかなかったので、この際調べてみた。

PCR検査とは、正式名称「ポリメラーゼ連鎖反応」(Polymerase Chain Reaction)の略。

ウイルス等の遺伝子(DNA:デオキシリボ核酸 やRNA:リボ核酸)を増幅させて検出する。

ちなみに、

コロナウイルスは今まで50種以上見つかっていて、その内 人に感染するのは6種類で、内4種類は感染すると風邪と診断されている。

残り2つは2002年に確認された「SARS」と2012年の「MERS」。

そんな中2019年12月にもう一つの人に感染するウイルスが見つかった。それが今回の新型コロナウイルス。

コロナウイルスは 「RNAウイルス」のひとつでDNAウイルスのように遺伝情報が安定しておらず、変異スピードが およそ100万倍の速度。

アルファ,ベータ,ガンマ,デルタと変異し、今はオミクロン株が主流となった。

今後もどんどん変異していき、オミクロンよりもっと怖いウイルスが出てこないとも限らない。

また海外から来るのではなく日本国内でも変異株が誕生するかも知れない。

オミクロン株まん延中の沖縄から帰宅するのに、今回はさすが気が引けてPCR検査を受けることにした。

検査費用は県内者は2,000円、県外者は5,000円と高額。

だけど採取した検体から遺伝子を増幅させる手間を考えると妥当な値段かも知れない。

検査場所は那覇空港内、帰宅に合わせ事前予約を3日前にネットで申し込んだ。

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予約完了のメールをエビデンス代わりに空港内の会場で提示し、いざ検査会場へ。

検査方法は唾液採取方法だったのでまずひと安心。

テレビで良く見る鼻から綿棒(スワブと言うらしい)は見るから痛そうと思っていた。

しかし唾液も容易ではなかった。試験管に黒い線があって、そこまで唾液を入れなくてはならない。

唾液なんてすぐ出ると思っていた。

出ない! 出ない! 唾液が出ない。 

摂取ブースに貼られた梅干しやレモンの絵を見ても、そんなの役に立たない。

当然ながら、唾液って何かを食べている時しか出ないんだ・・・と大いに納得。

歯をガチガチさせながら10分ほど粘ってやっと規定量の唾液を採取した。

鼻からの方法は痛いのを我慢すれば一瞬で済む、やっと検体採取方法の違いが理解できた。

結果は午前11時までに検査した人には当日の21時にメールが届く。

21時がくるのが何と待ちどうしかった事か!

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↑ 結果は陰性、ヤレヤレ。5,000円を支払った甲斐があった。

ヤギ刺汁自動販売機

瀬底島にこんな自販機がお目見え。

「ヤギ専用冷凍自動販売機」が正式名称だそうな。

つい最近設置されたみたいで、今はヤギの刺身とヤギ汁しか入ってない。

設置者によると将来的に合計10品目は用意するそうだ。

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沖縄には「ラフテー」や「ソーキそば」などの良く知られた料理があるが「ヤギ料理」は沖縄の隠れた名物料理という。

沖縄ではお祝い事や人が集まるときに食べられることが多く、全国のマタギファンにはよく知られています。

 ヤギ肉は牛肉や豚肉に比べカロリーが 1/4と低く、タンパク質は 1.5倍 あり低脂肪の肉。一度買ってみるか・・・??

考案した仲田 睦希氏によると、

沖縄伝統のお祝い料理として愛されてきた「ヤギ肉」を多くの皆様に味わってもらい、地元瀬底島の産業の一つとして発展をさせていきたい!緊急事態宣言再発令などによる飲食店営業自粛やイベントの自粛で出荷が激減してます。感染対策にもなる冷凍自動販売機で24時間いつでもヤギ料理を食べられる自動販売機を作りたい!

そうな。

立派! 立派!

海津見神社 (龍王宮)

高知県桂浜にある神社、わたつみ神社と読む。

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御祭神:大海津見神  鎮座地:高知市浦戸字城山  御神徳:海上安全・魚業豊登・祈雨祈腫・商売繁盛・良縁成就

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ここの御朱印が欲しいと思って中を覗き込むと『御朱印はは若宮八幡宮でもらって下さい 』旨の掲示があった。

せっかくだからアトで行ってみることにした。

この神社から更に上への道があって階段から見降ろすと、太平洋を背に白壁に朱色の龍王宮が海と空のブルーに映えていた。

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階段を登りきるとまた祠があった、早高神社  ↓

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桂浜の由来

古くは嘉津浜,嘉津浦浜,勝浦浜などと記され色の浜とも言われた。
江戸時代には勝浦浜村が独立していたがその後浦戸村に含まれた。
いつの頃よりカツウラがカツラと転化し、月の名所であることから月に生えると言われる桂の字が当てられ桂浜となった。
土佐五代藩主・山内豊房公の命名とも言われている。

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小学校の修学旅行は高知だった。その時桂浜にも行った。

その頃は浜辺に色とりどりの小石が一面にあって、拾って帰ったものだった。

今はもうない、取りつくしたのか? 前に来た時は売店で袋に入れて売っていたのに今はそれもない。

はりまや橋

日本三大がっかり名所のひとつ、他に「札幌時計台」「オランダ坂」がある。

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「土佐の高知のはりまや橋で,坊さんかんざし買うを見た 🎵」とよさこい節のフレーズにもなり
純信とお馬の恋物語でも知られているはりまや橋。

藩政(江戸)時代に堀川を挟んで商売を行っていた豪商・播磨屋と富商・櫃屋(なりや)が 両者の往来のため私設の橋を架けたことが「はりまや橋」の由来といわれている。当時は簡素な木造りの橋でした。

その後,何度か橋は架けかえられ,昭和33年には南国博覧会のため朱色の欄干になりました。
翌年歌謡曲『南国土佐を後にして』がヒットし同名の映画に映し出された朱色の欄干が全国に知られるようになりました。

その後堀川も埋め立てられましたが、現在の木造りの橋は平成5年全国から寄せられた680件の『はりまや橋に対する整備のイメージ』をもとに江戸期のはりまや橋として再現したものとか。

谷茶海神宮 (たんちゃかいじんぐう)

この神社は、本部町谷茶にある御嶽 (うたき)。

航海安全・大魚祈願・健康祈願・家内安全祈願の神社。

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大正8年頃、渡久地赤崎御嶽より海神のご神体を辺名地神社の神人によって海神宮のご神体として安置された。

当時は部落から約200m離れていて干潮時は歩いて渡れるトンボロ現象の神社だった。

↓ 大正時代

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↑ 左に見えるのは瀬底島

昭和4年7月に現在の社が建設され、谷茶区として年に4回の御願行事が行われた。

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↓ 昭和14年頃埋め立てられ神社が陸続きになった

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今の神宮の全体は ↓

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昔は海神祭として旧暦の5月4日に海神に豊年を祈願し、海の彼方の幸を求める『世乞(ユークイ)』の儀式・爬龍船競争という勇壮な行事が行われていたとか。

この海神宮にて複数の神人が龍神様のお姿を確認されている崇高な拝所。

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↓ おびただしい数のスポンサー旗が立つ、この神社の人気の高さを顕している。

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北濱恵美須神社

高松市北浜町にある神社

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この神社、調べても良く分からない。

住吉神社 明石魚住鎮座

毎年会社の初出の日は商売繫盛・安全祈願をするため明石市魚住にある住吉神社を参拝する。

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せっかくだから御朱印も頂いてきた ↓

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明石市市内には数社の住吉神社があり、その代表とされる神社がここ。

住吉大神は伊弉諾尊が黄泉国のけがれを清める禊祓に当たってお清め申し上げる働きをせられた神様なので、古来神道の重要な行事である「祓除」を司り、もろもろの禍や罪・けがれを「おはらい」になって、清く明るく健康な生活を御守護下さる御神徳がある。

また海上守護、産業、和歌文学の祖神と仰がれ交通安全・商工業・学業の守護神。

大宮神社

今年は寅年

シュロでつくった虎のオブジェを飾る神社を紹介する記事が1月3日の新聞に。

物好きな私は早速次男の運転で、まんのう町まで見に行った。

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高さ 2.5m、しっぽまで 5.0m、確かにすごい! すごいと言うより芸術性が感じられる。

この神社が誰かに依頼してつくらせたのか? 神社にこんな技能を持つ人がいてつくるのか?

毎年干支にちなんだオブジェを飾っているそうで、ちなみに私の干支・申も写真ながら掲載されていたのでご紹介 ↓

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↓ 山門

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↓ 本殿

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↓ 疫病退治のアマビエも

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↓ 境内社 「毘沙門天社」

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寅年にちなんで

井上杏那さんの作品

「見ざる 🐵 聞かざる 🐵 言わざる 🙈 」をもじり ↓

歳をとると「見とらん・聞いとらん・言うとらん」と言う回数が増える。

そこで、良く見て、良く聞いて、言う事には責任を持って

との意味かも知れない。

 

2022年 謹賀新年

本年も宜しくお願い申し上げます

 昨年も デルタ株・ブレイクスルー 感染・ブースター接種などの横文字が喧しく、

コロナ時代も2年目に入り厭きて来た。これからは コロナもインフルエンザと同様

末長く付き合っていく事になるだろう。昨年は 裁判員裁判の候補者通知

が来て、宝くじに当たった思いで喜んだが、招集時期に感染者も急増し

緊急事態宣言も出て涙をのんで断った。もう二度とその貴重な チャンスは

来ないだろう。何でも経験したい私にとって悔やまれる出来事だった。

コロナも第五波が終息しやれやれと安心した矢先、またまたオミクロン株

という新種が登場し世の中は再度萎縮しつつある。そんな中 巣ごもりには

読書が一番と何冊か読んだ本に元気が出る一冊 村上 和雄 著「生命の暗号」

があった。人間は約60兆個の細胞から成り、その細胞の核の中に遺伝子がある。

遺伝子には『こういう時はこう働け こういう時は眠っていろ』という

指令情報があり、それを遺伝子のON/OFFと言う。

遺伝子にはA・T・C・Gという塩基と呼ばれる物質からなる30億の膨大な情報

が入っていて 遺伝子が1分1秒の休みもなく働き続けているから我々は生きて

おられる。良い遺伝子のスイッチをONにし、悪い遺伝子のスイッチはOFFにしておけ

との趣旨が書かれ、良い遺伝子の スイッチをONにするにはプラス思考が一番とか。

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