瀬戸内海クルーズ船の旅 その5(本 島)
本島に上陸してまず向かったのは塩飽勤番所跡
塩飽全島は大小28の島々が散らばる1250石の領土で、豊臣時代以降 人名(にんみょう)と称する幕府の船方650人が共有することとなり、最初は4人の年寄が交代で自宅に領知所有の朱印状を保管して塩飽jに関する一切の政務を行っていた。
しかし寛政の初めに行われた島治改革を機に寛政10年(1798)に勤番所を新築し、ここに人名の中から選ばれた3人の年寄が交代で政務を執るようになった。
現在のこの建物は1860年に改築されたもので、明治以降は村役場、丸亀市に編入されてからは市役所の本島支所として1972年まで使用されていたが、昭和45年(1970)国指定史跡となってから1977年に復元修理が行われた。
↓ 門を入ると
↓ 朱印状を石櫃に入れて保管していた朱印庫
かってこの中に信長、秀吉、家康の朱印状が保管されていたとか。
この勤番所へ来る途中に岡山へ行くマリンライナーからも見える巨大な建物・天理教 本島大教会がある。
↓ 立派な門に立派な建物
本島はみかげ石(花崗岩)を石材として産出した島としても知られ、大阪城や江戸城の城郭の石垣石として使われていた。
石垣に刻まれた五種類の刻印が高無坊山に49個残っている事からその事実が判明した。
本島の見学も終わり無事高松港に帰って来た。
朝方晴れていた天気もだんだんくずれ帰宅する頃には雨になっていた。
瀬戸内海を満喫できたクルーズ船の楽しい旅だった。
クルーズ船の旅、終わり
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