足摺岬へ
久しぶりに足摺岬まで行って来た。
高知市内から車で途中休憩を入れながら4時間はかかる。
↑ 中浜万次郎の像
別名 ジョン万次郎と言えばもっと分かる。
万次郎は足摺岬から近い「中ノ浜」の貧しい漁師の次男として生まれました。
1841年 14歳の時、出漁中に嵐に遭い 遥か南方の無人島に漂着する。
半年後、運よく通りかかったアメリカの捕鯨船・ジョン ハウランド号に救助された。
捕鯨船の船長・ウイリアム・H・ホィットフィールドは万次郎を生地フェアフェーブンに連れて帰り、3年間正規の学校教育を受けさせた。
そんな意味で万次郎はアメリカにおける留学生第1号と言える。
その後10年におよぶアメリカ滞在中、英語・航海術・捕鯨術などを習得し二度にわたり七つの海を周航した。
しかし祖国に残してきた母親を忘れがたく意を決して鎖国令下の1851年 帰国した、24歳だった。
帰国して2年後、かの有名な黒船来航で万次郎の英語力が認められ苗字帯刀を許されて幕府の直参に取り立てられた。
その後 外国事情の講話や航海術書,公文書の翻訳,英語授業など多忙な日々を送った。
また日本人による初の太平洋横断、咸臨丸の成功のかげには彼のすぐれた航海術が大きな力となっている。
↓ 足摺岬灯台
大正3年(1914年)四国南端の地に設置された八角形の白亜の灯台。
その後戦争による被害は免れたものの老朽化が進み1960年に画期的なデザインの「ロケット形」灯台に改築され現在に至る。
↓ 足摺七不思議のひとつ「弘法大師の爪書き石」
岩肌に大師が爪で「南無阿弥陀仏」と六文字を彫ったとされる。
それらしい痕跡は見つからなかったが・・・。
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