肋骨 骨折 最終回
入院中は多くの看護師さんにお世話になった。
毎日、朝・昼・晩で担当が代わる。
夜も準夜勤と深夜勤で交代。
そのたびに看護師さんからご挨拶がある、さすが深夜はない。
同じ人が続くこともあるが大方は初対面。
それだけ大勢の看護師さんが働いているって事。
島倉千代子の「人生いろいろ ♪ 男もいろいろ ・・・ ♬ 🎵」の歌は有名。
看護師さんもいろいろ。
愛想が いい人、ツンツンの人、良く話す人、元気をくれる人。
採血が上手い人、下手な人・・・。
毎日、朝 ・昼 ・夕と消灯前に血圧・体温・血流の測定がある。
点滴が一週間ほどあった時、深夜と明け方には参った!
眠れぬ日々、寝付いた頃に起こされる・・・。
日常だと夜はひとり!
だから、入院中は人に囲まれ楽しかった。
深夜に「お母さん~ おかぁさ~ん」と叫ぶ老婆の声。
「痛い~ 痛い~」の叫び声も。
隣の部屋から、またその隣の部屋からみたい。
なんか切ない~ なんか悲しい~ なんか可哀そう~。
部屋のドアは昼間は開放されているので、患者の様子を垣間見る。
寝たきりの人も多い。
生きるって何? 生かされるって何? と考えさせられる。
部屋では、いびきも聞こえる、タンや咳払いの音 おならの音も・・・。
悲しい~話を聞いたのはサロン室でのこと。
年配のご婦人が医師に嘆願している。
聞きたくはないけど聞こえてくる。
「先生、主人を退院させないで~」と。
主人が帰って来ると奥さんは面倒みきれないって事だろう。
若い時に惚れた腫れたで結ばれても年月は冷酷だ。
さて、その後の私の病状は・・・肺の溜まり液次第となった。
一週間ほど様子をみて液が増えていたら穴を開けて排出しましょうね・・・と。
そうでなければ退院してもいいです、と言われた。
えっ! 一週間の様子見? ただただ時間をいかにつぶすか。
そう云われて時計の回りが一段と遅くなった。
リハビリと測定だけになった。
することもなく、病院内はあきて外の敷地内をうろつく事に。
5月にゴールデンウィークがあるのをこんなに恨めしいと思った事はない。
何とそれに合わせて、行きつけのファミマが改装工事を開始。
閉店されると困るだろうと、面積と品数を落として別の場所に一時OPEN。
しかし電子マネーは使えないし、楽しみのコーヒも買えない。
院内も外来館患者がいなくガラン~としている。
これまた寂し~い。
ファミマが新装OPENしたのは5月6日だったろうか?
OPEN記念で一週間ほど100円引きになったのは嬉しかったが・・・。
そして忘れもしない5月9日(月)レントゲン撮影。
液が増えていたらまた穴を開けて排出、入院は伸びる。
増えてない事を大いに願う。
果たしてその結果は? 増えてもなければ減ってもいない。少し減り気味。
結果、退院OKとなった。 万歳、バンザイ !!
5月10日午前10時退院、妹と姪が明石から車で迎えに来てくれる。
ありがたい事である。
こうして24日間お世話になった豊岡病院を後にした。
今となっては懐かしい思い出となった入院生活。
お世話になった医師や看護師、療法士さん、ありがとうございました。
明石へ帰った明くる日には娘が坂出迄車で送ってくれた。
嬉しかった。
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