Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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2022年12月

日本人の食と病気の変遷あれこれ By 豊岡 倫郎 氏 2022-12-26

1.長寿国の日本はどうして生まれたのか

2013年12月に日本の和食が「日本人の伝統的な食文化」として、ユネスコ無形文化遺産に登録された。世界で長寿国として、一、二位を争っている日本には、伝統的な和食が世界に認められたからだろう。そこで日本人の食の歴史を振り返ってみて、温故知新としたい。

2.食と病気の歴史

1)縄文時代の日本最古の遺跡

日本列島に人が住み始めたのは、島根県にある遺跡から12万年前頃の石器が見つかっている。

これが日本最古の遺跡と云われている。縄文人が大陸から日本に渡来したのは、1万8千年前から3万8千年前という。その頃の代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡がある。主食はクリ、クルミ、ドングリなどの木の実と魚介類であった。人口は約26万人くらいだったらしい。

2)弥生時代に稲作の伝来

縄文時代に續き、弥生時代が紀元250年頃まで続くが、稲作はこの時代に九州から、近畿、東北地方に広まっていった。人口は約60万人位と推測されている。有名な遺跡に吉野ケ里遺跡、登呂遺跡がある。

紀元前221年に中国では秦が中国を統一して、皇帝として始皇帝か登場した。その時期に噂として広まっていたのが、「東の海に浮かぶ蓬莱島に不老不死の薬を持つ仙人が住んでいる」と。始皇帝は家臣の徐福に命じて、仙薬を探しに行かせたのである。結論として徐福は中国に戻らなかったようであるが、日本には今も徐福伝説が至る所に残っている。佐賀、鹿児島、宮崎、三重、和歌山、山梨、京都、愛知県など沢山あり石像まで建てているところもある。

3)古墳時代(西暦250~)

魏志倭人伝は西暦290頃に書かれたもので、そこには、この頃には稲作をして、魚や野菜を食べていたと記されている。邪馬台国の卑弥呼の存在の記述がある。なお邪馬台国がどこにあったかは今も謎のままである。倭の人は性格が折り目正しく、大変長生きで80歳あるいは100歳まで生きる、と書いてある。当時の日本人が長寿であるという記述は、五世紀に中国で編纂された「後漢書」にも書かれているという。

鉄製の農具が発達して、米以外にもアワ、ヒエ、小麦も作られた。外に小豆、大豆、カボチャ、大根、瓜なども栽培された。結核が弥生時代に大陸から入ってきて、この頃の人骨から多く罹った人がいたことが判明した。538年百済から仏教伝来。

4)飛鳥時代(592~710年)

645年大化改新。天然痘が大陸から入ってくる。鍼灸,按摩、呪術が大宝律令に記載されている。マラリヤ、ハンセン病、チフス、赤痢など発生していて加持祈祷盛んになる。約60種類の薬草が使われる。675年に天武天皇が「肉食禁止令」を発布する。殺生を禁じる仏教の教えによるものだったのか。ただし野生のイノシシやシカは食べることが出来た。700年文武天皇が税として、蘇(そ)作り命じる。これは乳汁を加熱濃縮させた乳製品で、薬や神饌としても使われた。

5)奈良時代(710年~793年)

わずか83年間だが、天然痘が大流行し、大仏や国分寺を建て国家の安寧と民の幸福を祈願した。飛鳥時代からこの時代の貴族は牛乳を飲んでいたし、白米を食べて脚気になる人もいた。

奈良時代の医療は、仏教伝来と共に僧侶が、韓医方や随・唐医方の医学知識をもたらしたことで、僧侶が医師を兼ねていた。鑑真や弓削道鏡も朝廷内で医療に才能を発揮している。

6)平安時代(794年~1185までの約390年間)

808年に日本最古の和薬の処方集「大同類聚集」全100巻が典薬頭の阿部真貞と侍医の出雲広貞によって選集された。これは全国各地の神社や豪族に伝わる処方を症状別に書いたもの。更に 984年に日本最古の医学書、「医心方」(いしんほう)が編纂された。これは宮中医官であった鍼博士の丹波康頼が其の頃日本にあった203種の中国の文献から選集したもので、全30巻、医師倫理・医学総論・各種疾患に対する療法・保健衛生・養生法・医療技術・医学思想・房中術などから構成されている。漢文で書かれていて、全30巻から成る。この本は現在国宝となっている。おでき、腫れものの治療にヒルを用いていた記述がある。この時代、寄生虫のサナダムシがお腹に湧く人も多かった。なお俳優の丹波哲郎は丹波康頼の末裔に当たる。これら二つの選集を槇佐知子女史が独学で全訳している。

時の太政大臣として権勢を振るった藤原道長は糖尿病を患った時に、のどが渇き、葛根を飲んでいたという。しかし病気が進行して、目が見えなくなり、10年あまり苦しんで亡くなったという。源氏物語の主人公のひとりは、藤原道長がモデルといわれている。当時の貴族たちの最期の拠り所は信仰で、やたらにあちこちに仏堂が造営された。そして活躍したのが加持祈祷を行う陰陽師だった。占いを行う人も朝廷の役人として認められていた。貴族の食事は贅を尽くし、接待料理として大饗料理が形成されたが、下級武士は品数が減り、一般庶民になると、質素で麦、アワ、キビ等の雑穀が主食の一汁三菜だった。平安時代の後期になると、天然痘、マラリヤ、赤痢流行する。平清盛がマラリヤで高熱を出して亡くなったようだ。

7)鎌倉時代(1200年代)

この時代に入ると、貴族社会から武家社会に変わって、大陸から留学していた僧侶たちが医学資料を持ち帰り、仏教が大衆に広がり、僧侶が医師として活躍した。武家出身の僧の梶原性全は大陸の医学書を基にして、全50巻からなる「頓医抄」(とんいしょう)を書いている。その中では、「病気を怨霊や神仏のせいにはしていけない、必ず理屈がある筈で、体の構造と働く仕組みを理解する必要がある」と。更に「慈悲の心を持って行えば、たとえ技術がつたなくても、効果があるものだ。欲深く、いつくしむ心のない者が広い知識を持ち、特効薬を山ほど用いても、効くはずがない」とも書いている。

もうひとりこの時代に、鎌倉極楽寺の僧の忍性(にんしょう)がいる。赤痢が流行したこの時代に、病人や貧しい人、孤児らの救済に奮闘した人物で、日本の仏教史上でもっとも衆生救済に尽くした僧とたたえられている。

他にも栄西がいる。栄西は中国に二度留学して、日本にお茶を広めたことで有名であるが、「喫茶養生記」を書いている。この本の中で「健康の基盤は5つの臓器、即ち肝、心、肺、腎、脾がバランスよく働くことである。そのためには、夫々の臓器に対応した味を持つ食べ物を適切に摂取することが大切である」と、食養生を重視している。禅僧による精進料理が広まった。また武士による本膳料理が形成された。これは料理を乗せた一人用の善がいくつも客前に並べられるのが特徴で、二汁五菜が定型で贅沢なものだった。

8)室町時代(1300年代) 今まで一日の食事の回数が2回だったのが、3回になり、品数も増えてきて、主食は玄米の炊いたものとおかずは魚類や野菜の煮物、漬物、梅干しなどを食べていた。味噌や醤油も作られるようになった。昆布だしや鰹節出汁、酢が使われるようになった。大陸との貿易も盛んになり、砂糖が入手しやすくなり、和菓子が作られた。

1467年京の都で応仁の乱がおこり、11年間続き、当時地震、台風、噴火、大飢饉が連続的に起こり、京都だけで8万人以上が亡くなっている。

次回へ続く

柿タンニン

柿タンニンはすごい! TVでやってた。

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↓ 特に新型コロナウイルスの感染力を失わせる効果があるという

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タンニンは植物に含まれるポリフェノールのひとつ。
太陽光や紫外線などで皮膚が黒化する事をタンニングと言い、それを防ぐために使われていた事からタンニンと呼ばれる。
そうか!それで柿茶を飲んでる人は肌がきれいなんだ・・・。

美肌を保つのにいい!

徳 島

徳島は大学時代の4年間を過ごした思い出の地である。

当時はひたすら下宿から学校までの往復ばかりで、観光地はおろか遊園地にも行った事がない

・・・と改めて思い出した。

だから徳島駅からすぐ近くの徳島城にも行った事はない。

この城は1585年阿波の大名になった蜂須賀 家政により築城された。

城地の選定は秀吉で、築城には比叡山の僧侶や隣国の長宗我部元親・小早川隆景が協力、翌年1586年に完成した。

しかし明治の廃城令で鷲の門を除いて惜しくも解体された。

↓ 在りし日の徳島城

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↓ 城の鬼門(北東)にあたる門が数寄屋門、別名「 不明門」と呼ばれ城内の凶事以外は開いた事がない門

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次に向かったのは徳島大学工学部。

昔の面影は全くなくノスタルジアにしばし浸ろうとの想いは打ち砕かれた。

写真右が工学部の建物、

卒業して50年以上が経つ今 面影などないのが当たり前かも知れぬ。

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徳島で良い事があった。

初日 泊るホテルで連れが大衆浴場が近くにないかとホテルマンに聞いていた。

たまたまクリスマスケーキを注文に来ていた女性が、その話をまた聞きして 声をかけてくれた。

「私の帰る途中にあるので乗せてってあげましょうか?」 と。

「えっ!いいんですか?」 「ぜひ是非」 「それではお言葉に甘えて・・・」

何と!親切な人

立場を変えて私なら、また聞きしても声はかけない・・・と思った。

ましてじいさん2人を女性である自分の車に乗せるなんて・・・考えられない。

でもその素晴らしい親切のおかげで、ゆったり広いお風呂に入り 山登りの疲れが吹っ飛んだ。

見ず知らずの方、本当にありがとうございました。

さすが徳島!

連れて行ってくれた「あらたえの湯」 ↓

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徳島の神々 

↓ 眉山の登山道にある「猿田彦神社」

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↓ 眉山の降り口にある「天目一神社」

日本神話に登場する神様で「あめのまひとつ神」と読む、

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↓ 梅宮神社

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↓ 三島神社

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↓ 三島神社の砂岩でできた狛犬 風化がすすみ自然にかえりつつある。

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鎌倉時代にこの界隈を統治していた伊予国の地頭、河野かわの通久ひさみちが、愛媛の三島大明神を勧進したものだという。

本殿と拝殿は一体化していて、切り妻平入り、裳階付き、千鳥破風向拝付きという粗っぽい造り。

草刈り

沖縄は雨が多い。

だから草木もじゃんじゃん育つ。夏はひと月も放置するとボウボウ。

草が生えないようにと最初に砂利を敷き詰めたのに ↓ この有り様。

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この草刈りを沖縄行の口実にしている私にとって、草が生い茂るほどやりがいが出るが、しんどさは増す。

さて草刈り機もいろいろあるが、ノコギリのような円盤ではとても砂利道の草刈りは無理。

ナイロン式と言う 打って付けの草刈り機があって、すごく便利。

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円板の代わりにナイロンコードカッターなるヘッドをつけ、そこに別売りのナイロンワイヤーを巻いて使う。

草を刈るとナイロンはもちろんすり減って短くなっていくが、ヘッド下のヘソをポンポンと地面に叩きつけるとワイヤーが出てくる。

実にうまくできている。

しかし実際はそう取説どおりにはいかない。ワイヤーの巻き方が悪いと出てこない。

そんな時はいちいちエンジンを止めてワイヤーを引っ張り出す。

またヘッドを叩きワイヤーが出過ぎると、出過ぎたワイヤーが回転部に巻き込みエンジンが止まる。

またワイヤーがごろ石を跳ねるので、安全面には十分留意しなければならない。

眼鏡は必須、石が目に直撃すると完全に失明するだろう。

またマスクも必須、刈り取った草が宙に舞い鼻に入るのを防げる。帽子は当然必要。

厄介なのは草刈り時に着ていたズボンや上着は小さな草の破片がこびりついて取れない。

洗濯機でも取れない、だから草刈り専用のズボンと上着は使える限り保管しておく。

結構手間はかかるが草刈りした後の達成感は半端ない。

家の中を掃除機や雑巾できれいにするのも、終わった後の達成感に満足できるからに違いない。

だけど私には家の中の掃除は邪魔くさいから滅多にしない。

↓ 草刈りアト

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二ィヤティヤガマ

伊江島の南西の海岸には多くの洞窟があり、このガマは川平区の西側に位置する。

海上からは大きな岩で死角になっていて、戦時中は島民の防空壕に利用され、多くの人命を戦火から守ったことから「 千人ガマ 」と言われている。

また昔から子宝に恵まれない婦人はこの洞窟にある力石( ビジル石 )を持ち上げると願いが叶えられるとの伝説がある。

持ち上げて重いと感じたら男の子、軽いと感じたら女の子と言い伝えられている。

毎年旧暦の3月にノロ(女神)による二ィヤティヤ祭りがある。

↓ ガマの入り口

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↓ ガマの中、すぐ近くまで海が迫っている

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↓ 地図

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眉 山

2022年12月6日、一泊で徳島の眉山に登ってきました。

毎月1回のシルバー山登り会です。いつもは3人ですが今回は私と黒木さんの2人。

この会は車は使わず、電車と徒歩で行くのが決まり、たまには自転車をレンタルする。

この日は、徳島駅に着き15分ほどで眉山のふもとにたどり着いた。

↓ 登り口

阿波踊り会館の右手にある天神社の駐車場から山への階段がある

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山頂へはロープウエイがありその下を上る。

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道はこんな山道 ↓

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220mほどの低い山だが上りは結構急な坂道だ。

学生時代、徳島に4年もいたのに眉山へ一回も登った事がない。

680mを歩き、やっと「別格 剣山本宮」に到着

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↓ 平和記念等 パダゴ(仏塔) 

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このパゴダは、かってビルマ戦で散華した戦友をしのび、恒久の平和を願うシンボルとして徳島県ビルマ会により昭和33年に建立された。

高さ25mの円錐形ドームのビルマ独特の様式で国内のパゴダの中では最大級。塔内には仏舎利が祀られ戦没者の英霊が奉安されている。

この仏舎利は当時の ウ・ヌー ビルマ首相から贈られたもの。塔内にはミャンマーをはじめ東南アジア各國の生活の紹介や戦争資料を展示している。

平成元年にビルマ会より徳島県仏教会に移管され現在に至っている。

↓ 展望所から見える徳島市内の風景

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↑ 真ん中に流れる川は吉野川

↓ 展望所

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↓ 眉山 山頂地図

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↓ 眉山の遠景

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柿茶のコマーシャル

  2022年12月15日四国新聞記事

ヒト・モノ・ワザ 香川の500社 Ⅲ

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沖縄食文化フェスティバル

名護市で「美ら島おきなわ文化祭2022」が開かれた。

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↓ 食文化フェスタの会場

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屋内運動場で、宮廷料理 数品の試食と沖縄芸能のおもてなし体験 があるという。

11時開始で先着60名と聞き、早々と会場へ。それでも席は 80%以上埋まっていた。

何とかセーフ。

↓ 会場

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↓ 宮廷料理が3~4品は出てくると思っていたが、これ一品だった。

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↓ 沖縄芸能を披露してくれた

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↓ 入り口近くのアグー豚の像、目が怖い。

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サキシマスオウノキ

サキシマスオウノキはアオギリ科の植物で河川沿いや海岸湿地帯に生育する常緑高木で、板のような根を発達させることで知られている。

種子は楕円形で中央は尖って出っ張っているのが特徴で海水に浮き海流に乗って分散する。

サキシマは先島諸島から由来し、日本では奄美大島から南の地域に限り見れる。

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安波にあるこの木は県指定の天然記念物に指定当初、分布の北限として指定された。

樹高 15m、直径 約 1m 、根の高さ 約 1m で樹齢は200年を超えると言われている。

かってこの板根の部分を船の梶に使ったこともあると言う。

面白い樹だ。

湧 出 (ワジ )

「 湧出 」は湧き水の事、

それが出ているのは、伊江島の北西岸の 60mもある断崖の下で、清水がこんこんと海に流れ込むという。

この様は他に類をみない。

水質は非常に良く、この島の大事な水源地とされてきた。

湧き水の発見当初は岩間を通って水を汲みに行っていたが、戦後米軍により送水管が設置され水不足に悩んだ島も解消されたそうだ。

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清水が海に注ぐ場所は見てもハッキリとは分からぬが、海の色が明らかに違う所だろうか???

伊江島

伊江島へは2度目。

島へは本部港から2~3時間に一往復の定期便がある。

島民しか乗らないだろう~と思うが、最近これが結構 混雑している。

島の至る所で工事が行われているせいに違いない。

だから車で行くには1~2週間前から予約してないと当日は無理。

前回行った時は歩きだった、今回は車で・・・と計画したが生憎 船は予約で満席。

仕方ないので島でレンタカーを借る事にした。

↓ 本部港から島へのフェリー

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↓ 海から見た伊江島

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↑ 伊江島にそびえる「城山 」が 島のシンボル

海抜172m、沖縄本島や東シナ海の洋上からよく見えるので古くから航海の目印となっている。

城山は島民の信仰の対象でもあり聖地でもある。

海の底でプランクトンが堆積し、化石を含む「チャート」が海洋プレートに乗り 琉球海溝に沈み込む時に、 はがれてできたのが城山、この現象は世界でも珍しい「オフスクレープ現象」と言われている。

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島民はこの山を「グスィク」また島外では「伊江島タッチュー」と呼ばれ親しまれている。

登り口から見上げる城山 ↓

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山頂からの360度の眺望は沖縄八景のTOPになった事もある。沖縄グスク時代の遺跡のひとつ。

山肌には大戦で打ち込まれた弾痕やくぼみが多数見られ、戦争の悲惨さを後世に伝えている。

↓ 城山御嶽

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山頂へは急な 291段の階段が続く。

↓ 山頂

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山頂にくぼみらしきものがあり、「 タンナーパ 足跡の伝説 」の説明がある。

その昔 伊江島にタンナーパという力持ちの大男がいて、隣村との戦い時、彼は城山に登り 攻めて来た敵に大きな石を投げつけ退散させたと言う。その時力一杯 踏ん張った足跡がここ。

どこにでもあるような伝説だ。

↓ 帰りの飛行機から運よく伊江島が見えた

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谷茶海神宮

「たんちゃかいじんぐう」と呼ぶ。

大正8年頃、渡久地赤崎御嶽より海神のご神体を、辺名地神社の神人によって海神宮の御神体として安置された宮。

当時は約200mの沖にあって干潮時には歩いて渡れたが、今は陸続きとなった。

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神宮とあるので神社と思うが本土の神社とは少し違う。どちらかと言えば「御嶽」。

御嶽と神社の違いは何? 調べると、

御嶽は琉球神道における祭祀などを行う場所。

ちなみに、琉球神道とは古琉球や琉球王国を中心に信仰されてきた多神教宗教で、日本神道と同じように固有の教典や具体的教義,開祖を欠いており、神話や自然崇拝のアニミズム(全ての存在には霊が宿っていると言う考え方)的な宗教。

2022年 12月 スクール予定

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ヤギ刺汁

↓ 瀬底島にあるヤギ刺汁の自動販売機

ヤギの刺身が出てくる、100gが1,200円。買ったこともないし買う気もない。

子供の頃、何故か母親がヤギをペットして飼っていたから、可哀そうでヤギを食べようとは思わない。

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この自販機を置いたのは、焙煎体験もできる「やんばる焙煎工房」。

ここの主人はヤリ手で、夜には「ちょい吞み処  49ストアー」もやっている。

何でも東京で沖縄料理店をやっていたがコロナで帰郷したらしい。

メニューも豊富で、全て一品 490円。

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瀬底島にはもう一件 お食事処がある、その名は「沖縄料理 ゆんたく」。

ヤギ汁もあります・・・と看板が出ている。

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定食で「みそ汁」と言うメニューがある。

どんぶりに入った具沢山のみそ汁にごはんとお漬物。

これがなかなか美味しい。

一度試してみてはいかが。

くるまえびキッチン TAMAYA

沖縄県は「くるまえびの生産量日本一」とは初めて知った。

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車えびに限らず、日本人はエビ好きと言われるが、エビの消費量トップはアメリカ、生産量のトップはベトナム,中国。

国内でのエビの消費量トップは奈良県、我が香川県は第2位。

ちなみに沖縄県は34位。

沖縄で車えびを養殖している所で有名なのが「球屋」。

レストランもやっていると言うから行って来た。↓

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↓ TAMAYAセット・2,850円、結構なお値段。

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↓ くるまえびの養殖場

レストランのすぐ横に養殖場が広がっている。

この日はあいにく収穫が終わったあとで水を抜いていた、右は養殖中の池

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エビはオメガ  3脂肪酸が豊富に含まれ、体重減少を克服し、血圧を下げ、骨と脳の健康を改善し、目の疲労を和らげ、心血管疾患を発症するリスクを減らすのに役立つ。

また、タンパク質のレベルが高く、低脂肪。

エビをもっと食べねば・・・。

江洲の花

沖縄で和そばが食べられるお店はめったにない。

沖縄と言えば、沖縄そばが定番だから・・・。

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江洲の花は和そばが食べれる数少ないお店。

大宜味村にあるが、具体的な場所はいつも連れて行ってくれるので分からない。

ここもリサイクルショップ同様、車がバンバン走る道沿いではないから通りすがりの人は来ない。

だから予約制だが、開店してすぐに入店し、予約に空きがあると入れてくれる。

そば粉は大宜味村産を使っている。

和そばを食べさせてくれるだけでも珍しいのに、もうひとつ本土では考えられないサービスがついている。

それは椅子に座るとまず「お通し」が出てくる事、

二つ目はおそばが来る前に、また来てからも野菜の天ぷらが次から次へと出てくる事。

お店の畑で作っていると言う野菜・・・ゴーヤ,ニンジン,大葉,タマネギ・・・など等。

とにかく「ストップ」とお客が言わない限り出てくる。

最初に行った時、それを知らずに途中で次の予定があるので席を立った。

すると女将に 「もっと食べろ」 と文句を言われ、謝ったら、食べた天ぷらの量が少なかったので、

これで天ぷらを作れと、何と市販のてんぷら粉一袋をくれた。

これには、びっくりポン。

天ぷらを次から次と出すのは、女将のお父さんが医者で、貧しい患者さんに食べ物を分け与えていたのを見ていたから。

お腹がすくのは可哀そう・・・との想いらしい。

とにかくすごい! 天ぷらだけでもお腹がいっぱいになる。

↓ 店内

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アメリカンドリーム

毎月第2,第4日曜日だけやっているリサイクルショップがある。

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民宿・やどかりをやっている松本さんご夫妻はここの常連客。

ここへ来るお客さんはほとんどが常連客、道すがらに見つけられるような場所にはないからだ。

主に米軍から払い下げられた品物が多い。

冷蔵庫や洗濯機などの大型家電も置いてある。

値札はないので店主に 「これいくら?」 と聞くしかない。 大抵は1万円以下の値段。

入口に立つ自由の女神は売り物ではないが、2000年7月に行われた第26回主要国首脳会議・通称「九州・沖縄サミット」で使われた像・・・とか???

こんなもの どうやって手に入れたのだろう?

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ここのもう一つの楽しみは沖縄そばが奥で食べられる事。

何とその値段、破格の300円。 しかも上にトッピングされたソーキ肉が絶品である。

沖縄には本土と違いリサイクルショップが多い感じ

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