奄美大島 その2 ( 加計呂麻島 )
宿泊した宿は、名瀬港から歩いて10分ほどの「 やしま屋ホテル」 ↓
21時ころのチェックインだったが、宿のおかみは寝ないで待っていてくれた。
4階建ての宿だが2階のフロアーしか使ってないみたいで、泊り客も私ら3人だけだった。
11時間もの船旅でひと風呂あびたいと思った。
風呂場は便所もいっしょにある部屋に、昔風のバスタブをどんと置いたようなつくり ↓
宿泊客は久しぶりなのか、お湯がなかなか出てこない。5分ほど出しっぱなしにしておくと
やっとお湯になった。出しっぱなしで入れた水と後から出たお湯でちょうどいい加減になった。
お風呂で暖まり寝床についた。翌日はレンタカーを借りて先ずは加計呂麻島へ行くことにした。
加計呂麻島は奄美大島の南に位置する東西に長い島で面積 77.25 ㎢、 内95%が山林で30集落に約1,000人が暮らす島。
一緒に行った松本さんの幼なじみが、島へ渡る港町・古仁屋に住んでいるとか。
その幼なじみも一緒に島に行ってくれるという。
この島は寅さんの男はつらいよのロケ地としても知られている。
第48作 男はつらいよ 「寅次郎紅の花」で浅岡るり子がマドンナ役で登場した映画。
古仁屋の港にこんな石碑があった。 ↓
↓ ロケに使った渡し舟 ”でいご丸”
映画では船頭役を田中邦衛さんが演じていたとか。
行きは ” 源 ” という船、帰りに乗ったのがこの船だった、 ビックリポンだ。
↓ 船の中は10人乗るとほぼ いっぱい
瀬相の港に到着。
加計呂麻島でレンタカーを借りて島めぐり、まず行ったのが島の東端にある安脚場(アンキャバ)戦跡。
↓ 弾薬格納庫
小銃,機銃の弾薬を格納するため大正9年頃に旧陸軍が構築した建物だったが、太平洋戦争時は主に旧海軍が兵器庫として活用していた。
↓ 金子手崎防備衛所
ここは 昭和16年に構築された施設で、戦時中 大島海峡に潜水艦の侵入を防ぐための防潜網並びに機雷を布設し、潜水艦の接近を監視し更に侵入した場合は機雷を爆破させる施設で、これらはすべてこの防備衛所でコントロールされていた。
案脚場から次に向かったのは、男はつらいよのロケ地・徳浜 ↓
↑ 第48作 満男が愛を告白した砂浜 ↓ セリフ
諸鈍に ロケ記念碑があった。
近くに島唄に「 ♪でいご~の花が咲きぃ~~♪ 」と歌われた 「諸鈍でいご並木」がある。
樹齢300年余りの85本の並木道は5月6月に真っ赤な花で彩られるらしい。
花が咲いたらきれいだろうなぁ~と思いながら見ていた。
ちなみにネットで調べるとこんな花 ↓ いかにも南国って感じの花。
次に行ったのは「島尾 敏雄 文学碑公園 & 震洋艇格納壕跡」
震洋艇は全長5m,横幅1mのベニヤ板で造られたボートで、
トラックのエンジンを付けヘサキに230Kgの炸薬を搭載した特攻専用の船。
名前の由来は「太平洋を震撼させる」からきている。
鹿児島県で18ヶ所、全国で114ヶ所、中国・台湾・フィリピンまで含めると146ヶ所の基地があったという。
こんな美しい島にも、悲惨な戦争の遺跡が残っているのが悲しい。
加計呂麻島からの眺めは実に美しい。
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