内子町
今年は、弘法大師 御誕生1250年。
昨年から納経帳にその記念スタンプを押してくれている。
↓ 例えば1番札所のスタンプ
今回のお遍路旅は38番札所から45番までの8ケ寺を回った。
途中、愛媛県のほぼ中央部に位置する山間の小さな町・内子町に寄った。
江戸後期から明治時代にかけて製蠟業などで栄えた古い町並みが今も残っている所。
テレビなどで何回か紹介されて一度は行ってみたいと思っていた。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「八日市・護国地区の町並み」は 約600メートル続く通りで、江戸・明治期に形作られた歴史情緒ある町屋が並んでいる。
↓ 八日市護国重要伝統的建造物群保存地の木碑
内子は江戸時代の中期から在郷町として栄えた町で、かっての市街地は願成寺を中心にした廿日市村、今の商店街を核にした六日市村、八日市市村、小田川の対岸の知清村の四市村から成り立っていた。
地場産業として大洲藩の専売品として和紙が生産され、江戸時代末期から明治時代にはハゼノキの実から搾出した生蝋を良質の晒蝋(白蝋)に精製し広く海外にも輸出するまでになった。
八日市・護国の伝統的な町並みは、かってこんぴら参詣や四国へんろの旅人が行き交ったところでもある。
↓ 大正時代の薬屋
↓ 四国にふたつしかない古い芝居小屋のひとつ・内子座(重要文化財)
内子座は大正天皇の即位を記念し、地元有志十七名の発起人により「大典記念株式会社内子座」を興し、建築費 四千三百円余りを投じ 大正5年(1916)に完成した芝居小屋。
人形芝居・吉田傅治郎一座のこけら落としを皮切りとして、歌舞伎や芝居が興行され映画鑑賞や講演会の会場にもなった。
昭和20年代には映画館に改装され昭和40年代には商工会館に改装されたが、昭和57年に内山商工会から内子町に寄附され翌年から改修事業に着手し昭和60年に完成、現在に至る。
全体として近世以来の伝統的な形式を継承しつつ、正面性を強調した外観・トラスの架構やガラス窓の多用、さらに正面からの舞台鑑賞を意識した客席など、芸能に適応しはじめた近代過渡期の芝居小屋として歴史的価値が高い。
とある。
↓ 中に入ってみた。
↑ 舞台正面に松の木の絵がある。
↓ こんぴら歌舞伎の金丸座にも ↓
松は古来より常磐の松といわれ、一年を通して緑の枝を茂らせ生命力がある樹と考えられ
神がこの松に降りてくるというように、神様が宿る木としておめでたい象徴とされた。
内子座にも廻り舞台や奈落もあり、金丸座と同じだ。
奈落は「せり」とも呼ばれ回り舞台の一部がスライド式に上下して役者が出入りするところ。
内子座は今もコンサートや文楽などの会場として使われているが、近々耐震化の工事を始めるそうで中を見学できたのはラストチャンスだったかも知れない。
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