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1.増え続ける花粉症の人。
毎日天気予報で、花粉情報が流れるたびに、この病気になる人、ならぬ人の違いなんなのだろうか。いま花粉症の患者が2千万人いるという。そもそも人間の体には、自然治癒力とか、免疫力とか、ホメオスタシス(恒常性維持機能)とかが備わっていて、怪我したり、外部から異質なものが入ってきたり、感じたりすると、治したり、排除したりすることができる筈。現代医学は進歩したのに、花粉症は治せないのは何故だろうか。
2.花粉症はアレルギー症状の一種
アレルギーとは何か、それは体に何か物が入ってきたとき、それに対して体内で起きる過敏な反応であって、そういう反応の持ち主をアレルギー体質の人と呼ぶ。アレルギー体質の人の血清にはアレルギー反応を起こさせる特別な物質があり、それを免疫グロブリン、すなわち抗体という。これにはいくつかの種類があるが、ここでは通称IgEという抗体が関係するⅠ型アレルギー性疾患について述べる。またアレルギー性疾患を引き起こさせる物質をアレルゲン、すなわち抗原と呼ぶが、これらの物質には、花粉、ダニ、ハウスダスト、動物の毛、卵、牛乳、魚、大豆、化学物質、その他いろいろあり、人体の皮膚、呼吸器、食道から腸などから体内に入ってゆく。
アレルギー反応発症のプロセスは次のとおりである。アレルギー原因物質の抗原が体内侵入 → 抗原提示細胞が抗原捕獲 → 抗原提示細胞が免役反応を起こす → Th2細胞が活性化 → インターロイキン4が産生 → B細胞にIgE抗体を作らせる → アレルギー反応発症。
ただ抗原提示細胞が免役反応を起こすときに、Th2細胞が活性化だけでなく、一方でアレルギーを抑えるTh1細胞も活性化させるが、その働きがTh2細胞よりも弱い時に、アレルギー反応が起きる。
一般的な療法は主に対処療法であって、根本的な治療法はまだ確立されていないのが実情である。その証拠に患者数は減らないし、逆にどんどん増加していることが如実にそのことを証明している。そんな中で、いくつかの有効な少数派の治療法を紹介する。
3.西式甲田療法。
大阪大学医学部卒業、故甲田光雄博士著「腸をキレイにする」日経ヘルス発行。この本で紹介されている内容は、アレルギー疾患を患っている人は、腸に宿便をためていて、腸管内に異常発酵や腐敗が続き、その為に産生された有害物やガスのため、胃腸粘膜にビランや微細なキズが出来て、その結果タンパク質が最終段階まで分解されず、分子が大きな状態で腸壁から吸収されてゆく。その結果体内では異物として、アレルゲンとなって、反応を起こす。すなわち花粉やハウスダストも鼻やのどの粘膜から鼻汁やたんと一緒に食道に入り、腸壁から体内に吸収されてゆき、反応を起こす。即ち「腸モレ」である。従ってもはやこれらアレルゲンとなりうる物質を防ぐことは不可能であるから、腸壁の炎症を治癒させて、侵入を防ぐ治療法である。長年多くの患者の治療法として実施してきた西式甲田療法によって、アトピーであれ、花粉症であれ、治療効果を上げた。具体的には甲田医院に、1995年と1998年の2度にわたり、子供たち、夫々20名、17名が入院して、現代医学の皮膚科の先生方も驚く成果を上げたのだった。その内容は「医事新報」や日本アレルギー学会総会でも報告された。
4.リーキーガット症候群(腸漏れ症候群)が関与
最近「腸モレ」が話題になっている。参考としたのは下記の通り。
江田 証著「長生きのためのあ新しい腸活」自治医科大学大学院卒、江田クリニック院長
藤田紘一郎著「隠れ病は腸もれを疑え」、東京医科歯科大学名誉教授。
藤田長久著「体の不調は腸もれが原因」 新潟大学医学部卒。茜会理事長。
これらの著書によれば、アレルギーばかりではなく、万病のもととなる、という。即ち腸内環境が悪いと、腸粘膜の細胞が疲弊して細胞同士のつながりが壊れてスカスカなって、病原菌や未消化のたんぱく質、毒素がそこから血管内に入り込み、体内に慢性炎症を起こすという。
2014年に報告されたのは、健康な人の50人に2人の血液中から生きた腸内細菌が見つかった、という。また糖尿病患者の50人中14人の血液から生きた腸内細菌が発見された、ことも報告された。腸もれがアレルギーや免疫機能を狂わす要因となっている。
5. 次に紹介するのは。土佐清水市の土佐清水病院院長の故丹羽靭負(ゆきえ)著「アトピーがぐんぐん良くなる本」京都大学医学部卒業。知る人ぞ知る活性酸素の世界的権威で、活性酸素除去酵素(SOD)の開発者として有名。アトピーの主因は活性酸素である主張している。活性酸素発生の要因として、上げているのは加工食品、紫外線、放射線、医薬品、食品添加物、粉じんや排気ガス、酒、たばこ、ストレス、便秘、過労などで活性酸素が体内に過剰となった状態で、欧米食の肉食や油を使った食事によって、体内で活性酸素が産生して、脂肪分が過酸化脂質に変わる。するとアルデヒド基が角質層の保湿機能を破壊して、乾燥肌となり、アトピー発症につながるという。もちろん他のダニ、ハウスダスト、食品アレルゲンの関与も否定していない。
アトピー症の症状も単純なものから紅斑,肥厚苔癬、落屑、結痂、皮疹炎症、糜爛、皮膚萎縮、結節性痒疹などある。
6.アトピーや花粉症になる人、ならぬ人の違い
前述した本やその他の資料を調べた結論として、こんな人が罹り易いと言えるだろう。過食や偏食で胃腸を酷使してきた。便秘や宿便停滞で、腸壁が糜爛している。悪玉菌で腸内環境が悪い。卵、肉、乳製品や油を使ったフライなどを摂りすぎ。冷たいジュース、アイスクリームやビールなどの摂りすぎ。
生活環境面では、排気ガス、粉じん、ハウスダスト、ダニ、花粉など。および薬品、洗剤、化粧品、農薬、食品添加物、マーガリンの入ったパン、店屋物フライなど。疲労や睡眠不足、ストレス。自律神経のバランスが崩れて、副腎の働きが弱い。甘いジュース、お菓子類、コーヒー、チョコレート摂取など。
6.アレルギーに強い体質を作るには。
前項で指摘した悪い生活態度の反対のことを行うことである。即ち、腸をきれいにする。腹7分の少食と生野菜汁を摂取し、便通をよくする。糜爛のない腸壁にする。活性酸素の体内発生の少ない生活を心がける。高脂肪、高たんぱくの欧米食から和食へ。タンパク質の消化不良、腐敗は怖い。甘いもの、冷たいものは避ける。規則正しい生活、疲労や睡眠不足、ストレスのない生活へ。全身運動となる健康体操をする。空気のきれいな環境に住む。
7.まとめ。
1)連日テレビでは、やれグルメだ、スイーツだと騒いでいる。大食い番組は止めてほしい。「内皮は外皮に通じる」という言葉がある。アトピーや花粉症は腸内の粘膜の悪化が皮膚の表面に出てきたのである。腸壁のただれと腸もれを治すことがまず先決である。
2)腸漏れ、腸マヒ,腸びらんになっている人の前兆・・・●肥満の人●冬になると足のかかとがザラザラしている人●野菜をたくさん食べる人●ピーナツ、豆類を多く食べる人●ほっぺたがリンゴのように赤い人●足が冷えたらお腹が痛くなる人●指の爪に三日月がない人●頭が重く、ふらつく人などは要注意です。
3)「腹も身の内」と言う諺の通り、暴飲暴食はいけない、消化器を酷使していて、体の悲鳴が聞こえないのだろうか。現代医学の盲点は食事療法を無視している限り花粉症は治らない。
おわり
ペタンクなるものを初めてやった。
良く広場でお年寄りが(かく言う私も年寄りだが・・・)、この競技に興じているので
てっきり シルバーのスポーツとばかり思っていた。
調べたらそれはとんでもない間違いだと分かった。
ネットに曰く、
ペタンクの名称は、南フランスのプロヴァンスの方言「ピエ・タンケ(両足を揃えて)」に由来し
1907年に考案されたとあるのでその歴史は相当古い。
テラン(コート)上に描いたサークルから木製のビュット(目標球)に金属製のブール(ボール)を
投げ合って、相手より近づけることで得点を競うスポーツ。
歴史もあり決して年寄りのスポーツではない。
毎朝近所の公園でやっているのを見かけ、仲間に入れてもらった。
まぁ~確かに初めての人でもやれる・・・それなりに・・・。
でもグループ競技なのであまり下手だと迷惑をかけるかも?
初めての日は途中退出したが、今後も続けていこうとは思っている。
まぁ~確かにGOLFの方が個人責任があって運動量も多く楽しいとは思うが
ペタンクもそれなりに楽しい。
Bチームのボールがビュットに近いのでBチームが2点の得点。
13点先取したチームが勝ちとなる。
↓ ブール(ボール)とビュット
さて次は86番・志度寺へ。
山門にどでかいわらじが奉納されている。写真右が本堂。
推古天皇33年(625)の年に薗子という尼が霊木で本尊を彫り、お堂を建てたのが
この寺の始まりです。
その後、天武天皇10年(681)の年に藤原不比等が妻である海女の墓を建立して「死度道場」
と名付けました。
補陀落渡海(ふだらくとかい)とは、南方海上にあるといわれる
観音様の住む山(補陀落浄土)への往生を願い、その地を目ざし
て小舟で海を渡ろうとする信仰・修行のことです。
当伽藍は観音様の浄土として古来より信仰され、後白河法皇撰「梁
塵秘抄(りょうじんひしょう」に載る霊験所です。本尊十一面観
音像は観音様の御自作で、藤原不比等が「死度(死渡)道場」と
名づけたことや、冥途から生き返って志度寺を修復する人びとの
物語が志度寺縁起として伝わります。「志渡寺」とも表記される史
実から、蘇生信仰につながる観音信仰、つまり「死に渡る」「彼岸
に渡る」の願いが寺名となり、補陀落渡海との深い関係が考えら
れることに由来する印文です。
◆文字を使い補陀落渡海の情景を表現しました。
補を太陽、陀の文字で観音菩薩を描き、落渡海は大海原をイメー
ジしています。
2023年は弘法大師 御誕生 1250年の年。
それを記念して88ヶ寺では、納経帳に従来とは違う判(スタンプ)を押してくれる。
↓ 例えば長尾寺の場合はこんなスタンプ
四国遍路の金剛伺、近年は「同行二人」が書かれている
当山の大師堂前にこの歌碑がある
あなうれし
ゆくもかへるもとどまるも
われはだいしとふたりづれなり
いつもお大師さまが自分に寄り添ってくださっている 心配する
ことないよ 安心して行きなさい いつまでも どこまでも
これこそがお大師さまのお心であると 南無大師遍照金剛
香川県の東ではこの判をもらってないお寺は86番・志度寺と87番・長尾寺と84番・屋島寺。
まず87番札所・長尾寺へ行ってきた。
ウキペディアによると、
寺伝によれば天平11年(739年)行基が当地で楊柳に霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を刻み、
堂宇に安置したのが始まりとされ当時は法相宗とされた。
なお、寂本の『四国偏礼霊場記(1689年刊)』には、聖徳太子が創建し、本尊聖観音菩薩像は
空海作で同時に阿弥陀如来を造り当寺を再興したとなっている。
お寺の中にはたいてい神社があって神様を祀っている。
ここには長尾天満自在天神宮があった。
説明看板に曰く、
平安時代、この寺に明印という名僧がいた。讃岐国司であった菅原道真公と親交が厚く
延喜二年(902年)道真公が九州へ左遷の時、志度浦に出て「不期天上一円月 惣入西方万里雲 」
の詩を贈って心を慰めた。道真公もまた詩と自画像を明印に与え、別れを惜しんだが、後にこの
古事により宝永七年(1710年)天満自在天神宮として建立、当山鎮守として祀られている。
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