78番札所 郷照寺
宇多津町の南・青ノ山のふもとの高台に建ち、境内からは臨海の宇多津の町と瀬戸大橋が
見える。
奈良時代に行基菩薩が開創し仏光山・道場寺と称していた。
本尊の阿弥陀如来は行基の作といわれる。
後に、弘仁6年(815)弘法大使42歳のころ、この地を訪れ、自作のご尊像を刻み厄除の
ご誓願を
なされたことから「厄除うたづ大師」として信仰を集めている。
その後、正応元年(1288)時宗の開祖・一遍上人によって浄土易行の法門の伝統が加わり、
真言・念仏の2教の法門が伝わった。元亀、天正の兵火で伽藍を焼失した。
江戸時代に入り、高松藩主・松平頼重により再興された。
その際、宗旨を真言宗とともに一遍上人を偲んで時宗も奉持することにし、
寺名も78番「郷照寺」と改めた。
真言宗と時宗の両宗にわたる寺としては四国札所唯一の寺である。
ぼたんの花がきれいに咲いていた。
↓ 本堂
郷照寺に伝わる伝説「釣り鐘と龍神さま」良く鳴るようになったつりがね
江戸時代、この郷照寺の釣り鐘が割れて鳴らなくなり和尚さんは大変困りました。
丁度その折り、大阪・堺からお遍路に来ていた腕の良い鋳物師に直してもらう
事になりました。その時、鐘を鋳なおす材料にと山に蓄えていた沢山の銅鏡を
「とみくま村」の庄屋さんと運んでくれたおじいさんがいたのですが、いつの間にか
姿が見当たらなくなり、お礼を言おうと皆で探しましたが消えていなくなっていました。
その鏡のあったところは川津の山だったことから、お爺さんは春日の明神さま
だろうとみんなで噂しあいました。鏡を入れて作り直した鐘はとても良い音で鳴り
遠く対岸の本州まで聞こえ、その音色に誘われて龍神が現れたそうです。
当山は厄除大師の寺として尊推されております。
815 年に当寺を訪れた弘法大師が御自作の像を刻み、厄除けのご請
願をなされたことから脈々と今日まで続き、信仰を集めるように
なりました。
「厄除衆生」とは、命あるすべてのものを救う「衆生済度」に厄災
を除く「厄災消除」の意味を合わせ持った造語になります。
« 今日の俳句 (5月のお題 虫と花 その2) | トップページ | 今日の俳句 (5月のお題 虫と花 その3) »
「お寺へ旅たび」カテゴリの記事
- 第26番札所 金剛頂寺(2024.08.01)
- 納経帳(2024.07.12)
- 第30番札所 善楽寺(2024.07.16)
- 第33番札所 雪蹊寺(2024.07.10)
- 第34番札所 種間寺(2024.07.11)
コメント