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今週の日曜日、自治会の懇親会で音楽会とBBQを行った。
昨年もしたが今年は熱中症アラートが出ていたせいも
あって昨年の40人より10名ほど少なかったが、まぁ
盛況のうちに終わった。
音楽会は昨年と同じ「SKGピックアップデュオ」の竹田さんと
尾形さんにお願いした。
竹田さんのサックスと尾形さんのギターの音色がマッチした
ジャズ音楽に加え、馴染みのある歌謡曲も演奏してくれた。
最後はアンコールにも応えてくれて会場は大いに盛り上がった。
音楽会のアトは懇親会でBBQと焼きそばを堪能した。
BBQは岡田さん、焼きそばは由佐さんが担当してくれ
美味しく頂きました。
名誉会長の松本さん、副会長の北浜さん,猪熊さん
皆さま、ありがとうございました。
生ビールは猪熊副会長が準備してくれた。
こここの自治会は役者が揃っているなぁ~と感心。
連日のテレビと言えばウクライナ戦争のニュース。
ロシア軍によるウクライナ侵攻をおさらいすると、
ロシアが侵攻を始めたのは2022年2月24日です・
従いもうう3年5か月もやっていてもういい加減にしろ! です。
ウクライナは東をロシアに、西をEUの国々に挟まれた、人口4千万人
を超える国です。
面積は日本の1.6倍、耕地面積はフランスの1.8倍もあり、小麦などが
たくさんできることから「欧州のパンかご」とも呼ばれる。
国旗の空色・黄色の2色は、青空と小麦の黄色い畑を表しています。
歴史は、
今の首都キエフに生まれた「キエフ公国」(キエフ・ルーシ)が
10~12世紀に欧州の大国となり、同じ東スラブ民族からなる
ロシア、ウクライナ、ベラルーシの源流になりました。
13世紀のモンゴルによる侵攻などで、キエフ・ルーシは衰退。
その後に栄えたモスクワがロシアを名乗り、キエフ・ルーシを
継ぐ国となりました。
ウクライナは東スラブの本家筋ですが、分家筋のモスクワが台頭
して大きくなったと、とらえることもできます。
ウクライナの一帯はその後、さまざまな大国に支配され、1922年
にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)ができると、ソ連を構成
する共和国の一つとなりました。
1986年にはキエフの北約110キロにあるチェルノブイリ原発で
事故が起き、広い範囲の人たちに深刻な健康被害をもたらしました。
ソ連が崩壊した1991年に独立を宣言。
その後、国内では親ロシア派と親欧米派が対立を続けてきました。
ウクライナ語が国家語とされていますが、ロシア系の住民が2割ほど
いて、 ロシア語を話す人も多くいる。
人類の長い歴史の中で戦争がなかった時代はない。
動物の中で人類は最低の生き物と思っています、
他の動物は食べるため以外は殺生しないのに人間
だけが違います。全く情けない動物ですね。
108世帯の自治会長を拝命して今年で3年弱となりました。
拝命と言っても誰も手を上げないので情けないなぁ~と
思い変な男気(そんなもんないのに・・)を出して
「私がやります~」と言ったのが大間違いでした。
前の会長が17年もやってくれていたので
その恩にも報いたいとの思いもありました。
来年3月末が任期なのでそれまでの辛抱辛抱と思い今は頑張
ってます。会長の仕事はまぁ実に雑用ばかり・・、色々な事
を会員から言ってきます。道が暗いとか交差点に草木が茂って
見えにくいとか懇親会や音楽会の開催とか敬老会名簿の提出
とか葬儀の出欠とか・・・
葬儀はコロナのせいで家族葬が主流になり私として
は喜ばしい事ですが、中には昔風の大勢集まる葬儀もあり
そのたびに自治会長は出番があります。そんな雑用の多い
仕事を前の会長は17年もやっていたのかと思うと本当に頭
の下がる思いです。自治会の中で最も尊敬する人物です。
私がここの自治会に加入してもう32年もなるのに未だ私は
「よそ者」扱いです。昔からここに住んでいる人が大勢いて
幅を利かせています。
口ばかり達者でまさに「ヘンドのお粥」、それらの人を差し
置いて会長になったのだから反発は当然あります、
そんな事も知らず会長候補に名乗りを上げたことを
ひつこいようですが本当に後悔しています。
まぁ愚痴ばかり言っても仕方ないのでもうこの辺で・・・。
北海道の道を走ると下向きの矢印表示を見かける。
調べてみたらこの正式名称は「固定式視線誘導柱」
北海道では一般的に矢羽根と呼んでいるとか。
積雪する地域の中でも、雪が積もったら危険になる場所などに設置され
ています。北海道の設置量は特に多いですが、東北など他の豪雪地域にも
設置されています。
ちなみに矢印の規格に細かい統一はなく、そのため多くの種類があります。
基本の赤・白の他にも黄・黒など、2種類のストライプでカラーリング
されているものが多く、蛍光塗料を塗ったものや自ら発光する機能(LED)
を持つものなど、メーカーによってさまざまなタイプが存在する。
雪国ならではの標識、
言われてみればなるほど。
この字を書いたのは川重時代の友人・黒原氏。
書道をやった事はないと聞いているのに美しい字を書く。
もう一人川重の先輩にも字のうまい人がいた。
こちらも書道の経験はない。
持って生まれた才能の持ち主。
羨ましい限りだ。
絵もそうだ、本格的に学んだ事もないのに
素晴らしい絵を描く人がいる。
「人に会え 本を読め 旅に出よ」
昭和期の雑誌編集者, 文芸春秋社社長であった池島信平氏の言葉。
若い人が成長していく際に大切なことをこの言葉がまとめている。
若い人、特に中学生・高校生が、日常の生活だけでは成長に限界がある中、
「本」「人」「旅」の3つは、その人を飛躍的に成長させてくれる。
日ごろ体験できないことを「本」や「出会い」によって新しい世界が
開けるはず。
私は最近、人に会う事しかできなくなった。
本は読まない、旅はもうきつい!
1.選食力とは
選食力とは、健康な心と体を維持するために、食品の情報を理解し、
自分にとって必要なもの、安全なものを選び取る力のことをいう。
具体的には、次の3つの要素が含まれる。
1)食品の表示の理解・・・
原材料や栄養成分、賞味期限、原産地などを把握する力。
2)栄養に関する知識・・・
食品に含まれる栄養成分について理解し、食事プランを作り上げ
る力。
3)食の安全に関する知識・・・
食品添加物や残留農薬など食の安全に関する知識を持ち、健康被
害を防ぐため知識である。
以上皆さんは、食べ物を買うとき、何を決め手にして選んでいますか?
価格、鮮度、旬、流行、など、ポイントは人それぞれでしょう。
しかし毎日の食べ物から、体の骨も、血液も、筋肉も出来上がってい
ることを考えると、おろそかにはできない筈である。
口から入れるインプットするものが悪ければ、アウトプットされる
もの、即ち血液も、骨も、筋肉も、良い筈がない。
2.重要な健康管理の3本柱とは
健康管理の3本柱とは、食育、知育、体育から成るが、この内どれが
欠けても健康維持が出来ない。上述の選食力は知育、食育の中から
養われるから、日頃研鑽を育むことが重要になる。
3.無知は死を招く
食品に関する知識がなければ、栄養価も判らないし、食品添加物の
安全性も判らない。良かれと思って食べていたものが、実は体に
有害だという事が良くある。また最近フレイル防止にタンパク質を
摂りなさいと、テレビでも推奨しているが、それを鵜吞みにして、
せっせとタンパク質を過剰に摂取すると、どうなるか、素の害も
知ってほしい。
4.過剰摂取の害
どんなに体に良い物でも、食べ過ぎてはいけない。
西式甲田療法の甲田光雄博士の著書「マイナス栄養のすすめ」
によれば、長年の大食の悪癖で、腸管が拡張、進展、屈曲、癒着
という構造変化によって、腸マヒ、宿便が停滞して、一見病気と
関係なさそうな、例えば関節リュウマチ、気管支喘息、アトピー
性皮膚炎、心筋梗塞、パーキンソン氏病、過換気症候群、悪性脱
毛症などの難病も大食が原因だという。
5.少食は世界の趨勢
日本に日常的に玄米食を食べている人の割合は約3%位と云われている。
何故玄米食が普及しないのだろうか。健康志向に関心がないのだろうか。
世界に目を向けると、アメリカの菜食主義者の割合は2017年には6%、
ドイツでは人口の10%がベジタリアン、イギリスでは2019年菜食者
が60万人、イタリアでは約10%の人が菜食者という。
スイスでは菜食人口は約14%も居る。因みにインドでは宗教的な面も
あり国民の30%がベジタリアンである。
また甲田光雄博士の著書「.少食が健康の原点」たま出版発行によれば
一日に300~400キロカロリー摂取で、毎日元気に働いている仙人
みたいな人が紹介されている。現代の栄養学の常識ではとうてい理解
することも説明することもできないが、事実は事実である。
6.何故今少食か叫ばれているのか
甲田光雄博士著「少食の実行で世界は救われる」という本によれば、
「甲田メソッド」の決定総集編という副題がついている。
この本の内容は現在置かれている日本の医療の現状と、病根の問題、
少食の切り札は、生野菜食・少食の理由、少食実行の秘訣、西式健康法
実行の手引き、少食の実行で世界話救われる理由が詳細に記載される。
人生に一度は読まれるとよい。
7.無知は死を招く
「無知ほど哀れなことはない」と言う文句が甲田博士の著書に随所に
出てくる。過去3万人の患者さんとの臨床体験から出ってきた言葉
だと思われる。例えば、東京行きの電車に乗った積りが大阪へ向か
っていたという事、無知の為、治る病気も逆に悪化してしまつた例
である。
回生眼科院長、日本総合医学会理事長の山口康三氏の著書
「医者が教える正しい少食術」によると、
その第6章に書かれている言葉は
「体に良いものを摂る前に、悪いものを止める事を優先すべきである」
と。その意味するところは、あれが良いこれが良いと、健康情報が
氾濫している昨今では、好きなものを摂りすぎる傾向にあり、自分が
好きなものが、病気の原因になっているという。一方その好きなもの
を止めるとなると中々止められないのが、臨床経験からわかっている
からだ。
例えば、たばこ、酒、甘いお菓子、それに油で揚げたもの、肉類、である。
若い女性からお年寄りまでもが、油の滴る焼き肉を食べれば、スタミナが
付く、元気が出ると、信じ込んでいるから、始末が悪い。国民全員が
いつの間にか洗脳されていて、どうにもならないのか。
世界で初めて腸の内視鏡を開発した新谷弘実著「超健康不老長寿で生き抜こう!」
の本の中で書いているのは「肉食の末路は心臓病とガン」であると。
これまで30万人の腸内を見てきた新谷博士ならではの言葉は説得力がある。
8.君子危うきに近寄らず
皆さんは選食力を無知や過信している。
事例を列挙すると、
① 牛乳、チーズなどの牛製品はIGF-1(インスリン様成長因子)
が含まれているから、前がん状態、またはガン発症の恐れがある時は、
食べてはいけない。和田洋己著「がんを生き抜く最強ごはん」より。
何故ならがん細胞を増殖促進するから。
②マーガリン、ショートニングなどのトランス脂肪酸はガン発症や増殖
の原因となる慢性炎症を引き起こす。動脈硬化になる。
③電子レンジでチンすると食品が変化し、人体に影響を与えるという
研究報告がある。毎日食べるお総菜をチンしている人は、ネット検索
でその害をチェック。
④活性酸素の発生因子の食品添加物、過労、大食、酒、たばこ、紫外線、
便秘、薬などで、体内で脂肪が過酸化脂質に変化して組織に浸透し機能
不全で万病の元。
⑤全国民が暴飲暴食、油漬け、砂糖漬けで腸内環境悪化し、生活習慣病が
蔓延。一億総半病人化。
9.健康哲学のすすめ
人の心を容易に変えられぬが、人は生きたものに支えられている。
生きた食べもの、即ち玄米、生野菜、生水、である。命を戴いて
生きていることに感謝する気持ちが有れば、大食できる筈がない。
何をどれ位、どんな形で料理して食すべきか、今一度再考する時期にある。
おわり
今日本にいるパンダは上野動物園の2頭のみ。
2021年に誕生した「シャオシャオ(暁暁)」と「レイレイ(蕾蕾)」
このパンダも2026年2月20日には中国に返還予定。
パンダは絶滅に瀕している動物であり、生きている化石と呼ばれている。
中国 第1種類の重点保護動物である。
主に四川省西北部、西部及び西南部に生息しているが、一部は甘肅省東南部から
陜西省南部にかけての高山地帯にもいる。
中国の野生パンダの生息数は2021年3月3日現在、1860頭になっている。
パンダはワシントン条約でその売買が禁止されている稀少動物で、
熊と似ているが、熊ではなく、頭が丸く、体が大きく、尾は短かく、
両手両足がしっかりしている。
大人の雄パンダの体長は150~180cm、尾は12~16cm、
手の長さは65~70cm、体重は64~125kg。
雌パンダは雄パンダよ10%~20%小さい。
パンダは竹しか食べないので草食動物と思っている人が多いが
消化器官の構造は肉食動物に近く、野生のパンダはネズミなどの小動物を
食べる事もある。
私も和歌山のアドベンチャーワールドで一度だけ見た事がある。
確かにかわいい。
ゴキブリを踏みつぶそうか止まる足
この句を詠んだ心は童謡「手のひらに太陽を」の歌詞が思い浮かんだから。
でも普段は、ゴキブリを見るとついつい叩き潰したくなる。
蛇を見た時の憎悪感と同じ。
しかしネットで調べたら ゴキブリを潰すのは大変危険な行為なんだとか・・・。
曰く、
ゴキブリを潰して駆除してしまうと、ゴキブリの身体に存在する病原菌や
ウイルスが飛散してしまう。
この時に飛散する病原菌やウイルスは危険なものが多く、
1・食中毒の原因になる「サルモネラ菌」・「赤痢菌」・「腸炎ビブリオ」
2・小さな子供に麻痺を引き起こす可能性がある「小児麻痺ウィルス」
3・ゴキブリのフンには「ピロリ菌(胃潰瘍の原因となる)」
が含まれている。
へぇ~知らなかった。
くわばらくわばら・・・。
散歩道みみず干からびみみず文字
3日目のホテルは圓山大飯店、この旅行で一番でかいホテル。
ホテルのフロント
ホテルの大ホール
ホテルの正門(ホテル側から見る)
8時ホテル出発、中正紀念堂へ行く。
中は ↓
中正紀念堂は日本統治後に台湾を統治し、1975年に亡くなった蒋介石総統を記念 し、1980年に建てられた建築物です。
中正というのは蒋介石の字(あざな)のこと。
亡くなった翌年、ちょうど蒋介石90歳の誕生日である1976年10月31日に着工し、5年目の1980年、命日である4月5日に一般開放された。
これで今回のツアー日程はすべて終了、空港にて解散した。
最初にも書いたが外国旅行は今回で最後となるだろう。
旅をするにも体力がいる。
「旅は行ける時に行っておかねば・・・」と常々思っていたのは大正解。
台湾のブログもこれで完結します。
追伸
台湾で気づいた事
① 軽自動車はない
② 右側通行
③ バイクが通勤手段
④ バイク通勤者は皆ヘルメット着用
⑤ クラクションは鳴らさない
⑥ バイク専用停止ラインがある
⑦ 米は刈り取っていた、二期作?
九份は、台北の東北約30kmに位置する山間の小さな町。
赤い提灯が連なる町並みは、宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」の舞台となったと
聞いたがそうではないらしい。
前に来た時はそう苦痛とは思わなかったが、ここの階段がこんなにきついとは・・・。
やっぱり歳のせいか。
↑ ネットから
こんな風景を見たかったがここまで階段がきつくて到達できなかった・
トホホ !
九份の歴史を調べた。
九份 は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに
伴い徐々に町が発展し、日本統治時代にその最盛期を迎えた。
九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたもの。
しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。
1989年2.28事件を題材とした映画のロケ地となった事から再び脚光を浴び、
映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に
多くの人々が訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった、
とある。
新幹線で台北到着後、「金品茶楼」と言う点心料理店へ。
毎日 毎日 知らない人ばかりが円卓を囲み中華料理を食べる。
食事は楽しい筈なのに、私には苦痛そのもの。
共通の話題がないからグループ間のみの会話となる。
世間話しをしても乗って来ない、我慢がまんの3日間。
昼食後、免税店経由「十分」へ。
ツアーには必ず付き物の免税店への強制連行、うんざりだ。
買うもなんか何もない。
↓ 十分 到着
今まで九份は行った事があるが十分と言う地名があることすら知らなかった。
十分は天燈上げで有名な場所らしい。
↓ 入り口
十分の街中は観光客がゾロゾロ
天燈上げ 飛ばしの会場へ行くのにこんな線路をまたぐ。
↑ ネットから借用、こんなタイミングで電車とは会えない。
会場に到着
天燈に願い事を書いて飛ばす
私は「早く死にたい」と書いた。
この天燈、後で回収されるとか。
ですよねぇ~、もったいないし環境にも良くない。
台南市での最後の観光地は「延平郡王祠」(えんぺいぐんおうし)
延平郡王祠 とは、開台聖王こと鄭成功を祀る祠のこと
「開山王廟(かいざんおうびょう)」とも呼ばれる。
1662年、志半ばながら台湾の解放、発展に大きく貢献した鄭成功が逝去すると、
彼を偲ぶ人々により、当時台湾の中心地であった台南に創建された。
台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、
彼が死去した1662年に慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。
1875年には清朝の大臣・沈葆楨によって福州式建築の新しい祠が建てられた。
日本統治下に入った後の1896年、開山王廟は鄭成功を祭神とする開山神社と改称され、
翌年(明治30年)に県社に列格した。
日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。
第二次世界大戦終了後、中華人民政府によって社殿が全て取り壊され、
中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。
建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。
中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」の位牌が安置されている。
↓ 神社なので鳥居がある

鳥居をくぐると
↓ 正殿の鄭成功 座像
2日目、嘉義から高尾まで移動し「高尾富驛商旅」に宿泊。
高尾は台湾の南の町。
3 日目、ホテルを後にし高尾市内の蓮池潭(レンチタン)へ。
↓ 蓮池潭にある龍虎塔
龍の口から入りトラの口から出てくる
北回帰線は昔々学校で教わったが、もう覚えてはいない。
調べてみた。
北回帰線は、北緯23度26分のところに、赤道と平行に引かれた線です。
地球は太陽に対して、常に一定の角度で軸を傾けた状態で公転しています。
そのため、地上からは同じ時間でも季節によって太陽の高さが違って見えます。
夏の正午には、見上げるほど高い位置にある太陽も、冬にはとても低くなります。
日本では太陽が北回帰線に到達することを「夏至」と言い、夏至の正午に太陽が真上に来る。
とあるが私には理解できない。
台湾は北回帰線によって、ほぼ南北に二分されているといってもよく、
島の北側と南側では気候がかなり違う。
つまり熱帯と亜熱帯の境界点に当たっているとか。
↓ 北回帰線太陽館
何故かこの公園にこんなものが置いてあった。
何だろう? 本物のロケット? イミテーション ?
宝覚寺を後にし日月澤へ。
場所はここ ↓
「文武廟」と書かれた大きな「山門」に到着 ↓
左は正面 View、右は門内からのView
山門をくぐるとすぐに大きな二匹の赤い「石獅」が居座る、高さ 6m。

この石獅は新光三越が寄付したものだそう。
獅子は尻尾を振る様子で、守護と同時に歓迎の意を表しているそうです。
「文武廟」の始まりは新しく1938年。
それ以前はこの日月潭湖畔には二つの違う廟がありましたが、日本統治時代にこの日月潭を利用しての発電計画に伴い、湖面が上昇。
二つの廟は元の場所から移動することになりました。
その際に2つの廟をひとつにして、この「文武廟」が新しく建てられたとの事です。
日本はいろいろな所に侵略したけれど私が偉いと思うのは、どこへ行ってもまずインフラ整備をしっかりやった点かなぁ~と。
次の観光地は嘉義へ。
1日目は台中にある「西悠飯店 台中店」で一泊。
翌2日目は朝8時にバスに集合、台中観光へ。
まず 案内されたのは「寶覺禅寺(宝覚寺)」
1927年(昭和2年)まだ台湾が日本統治時代であった時に建立されたお寺。
台湾にありながら、臨済宗の妙心寺派のお寺で同時に台湾仏教のお寺でもある。
なので、台湾のような日本のような不思議な雰囲気の境内。
このお寺、 ↓ こんな建物の中に納まっている。
宝覚寺の境内に日本人遺骨安置所があった。
お参りしてきた。
本堂の右手奥にすすむと、大仏様が迎えてくれます。
大仏と言うが、「七福神」の一人としておなじみの「布袋様」の姿。
「布袋様」は「弥勒仏」の化身だったというのが通説で、台湾では「弥勒仏像」と呼ばれている。
昔は黄金だったそうです。
↓ ネットから
この写真と実際私が見た仏様ではどうも違うような気がする、
まず色が金と灰色、台座の文字はないし・・・
でも金の仏さまは昭和2年建立というからその後改築されたに違いない。
さて、本堂と金色の大仏様を結ぶ道の脇には、小さな白い弥勒様が横たわる。
なでると金運や開運のご利益があるとも言われるその頭やお腹は、なでられてツルツルになっている。
その傍らの石に書いてあるのは
「その大きな度量のお腹で人間たちの色々な事を受け止め、今や昔の悩みも悲しみも笑って喜んでしまいましょう」というような事。
エアコンの効いたテレビで酷暑知る
涼求め高く高くと山登る
山頂の風が涼しさ運び来る
涼風に汗だくのみ(身体)が癒されて
紫陽花が色とりどりに花手水
温暖化無策のつけが酷暑かな
人類の罪が問われる酷暑です
セミが鳴く酷暑に負けずやかましく
木の上で酷暑コクショとかまびすし
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