イルカンダの花


ここのオーナーは本土で修業を積んだベテラン料理人。
不思議!
大石林山から5分ほどの辺戸岬まで足をのばした。
辺戸岬を上空から見たらどんな風に見えるのか? と気になっていたら
ネットにあった。↓
↓ 岬に立つ祖国復帰闘争碑
この碑から復帰当時の人々の熱い盛り上がりを感じることができる。
直線距離にして22kmほどの所に与論島が見えるらしいが、どれがその島か分からなかった。
↓ こんな記念碑を見つけた「日本トレイル起終点」と書いてある。
何だこれ? 調べた、
2022年にスタートした、北海道から沖縄まで日本を縦断する全長約1万kmのトレイルを設定する壮大な構想だそう。
日本トレイルは、NPO法人日本ロングトレイル協会が進めている構想で、沖縄から北海道まで全国各地にあるロングトレイルや長距離自然歩道、登山道、既存の散策路などをつなぐというもの。
↓ 青い線が日本トレイル
何の意味があるのか?私には理解できない。
ちなみに「トレイル」とは、痕跡・手がかり・小道の意味。
大石林山は、沖縄北部のやんばるエリアの最北部に位置する。
沖縄本島の最北岬として有名な辺戸岬が車で5分の場所にある。
↓ 大石林山 入口
建物には「ASMUI」の文字、
国頭村辺土に位置する安須森御嶽(あすむぃうたき 別名 辺戸御嶽 )から由来しているらしい。
ちなみに御嶽とは、
先祖をお祀りしている場所、あるいは琉球の神が存在している霊的な場所を指す。
建物の中に入ると大石林山の生い立ちを示す展示場とチケット売り場がある。
チケットを買い、バスに乗ると入り口まで連れて行ってくれる。
コースは最短で20分、最長で 2 時間強
・奇岩・巨石コース 35分(1,000m)
・美ら海展望台コース 30分(900m)
・バリアフリーコース 20分(600m)
・ガジュマル、森林コース 30分(900m)
時間はたっぷりあるので 2Hコースを選択。
↓ 入り口
↓ 林石の中はこんな風景が続く。
特徴のある岩には名前が付けられていて、下 ↓は 「立神の大岩」
↓ 悟空岩
↑ 大石林山と言ったら ”ここ” と言われるほど一番象徴的な場所
↓ 海の見える絶景スポットからパチリ
奇岩を大いに堪能してここを後にした。
それにしても人間は何かにつけ名前を付けるのが好きな動物ですね。
岩にも当然・・・。
翌日、休暇村のバスに送ってもらって帝釈峡へ。
休暇村の送迎バス ↓
後で聞いた話だが休暇村の送迎バスは無料と聞いて驚いた、
そこまでサービスしてくれるのか・・・と感謝。
休暇村から下の現在地と書いた場所まで送ってくれた。
車で 約 20分とまぁまぁの距離があった。
着いた所は帝釈川のかなり上流で、そこから帝釈ダム(地図の左側)の方向へ歩く。
↑ 下の地図の「現在地」
16時頃迎えの車が来ると言うので、現在地から徒歩で
往復1時間16分かかる雄橋まで行く事にした。
つづらおりの道で曲がっては同じような道が現れる。
↓ 唐門(鬼の唐門)
帝釈川の支流にかかる天然橋で橋の下を通り抜けできる。
↓ 鬼の供養塔
10m にもおよぶ石柱は帝釈天に命じられて雄橋・雌橋を造った陰陽二鬼神の供養塔と言われている。
歩く事一時間、やっと雄橋(おんばし)に着いた。
↑ 橋というだけあってこの岩の上は昔、生活道だった。
↓ くぐり抜けて反対側から見た雄橋
↓ 神龍湖
神龍湖は帝釈川ダムの貯水池で下流は倉敷市に流れ出る高梁川水系のひとつ。
周囲24Km・全長8Kmのこの湖は上から見ると龍の姿に似ている事から名付けられた。
松江は小泉八雲で有名な町。
小泉八雲の町と言っても過言ではない。
小泉八雲について調べてみた。
曰く、
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1850年6月27日にギリシャ西部のレフカダ島で生まれた。
2歳の時にアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリックの教育を受け、それに疑念を抱きます。
16歳の時、遊戯中に左目を失明。
19歳の時、単身アメリカに移民。
赤貧の生活を体験した後、シンシナティでジャーナリストとして文筆が認められようになります。
その後、ルイジアナ州ニューオーリンズ、さらにカリブ海のマルティニーク島へ移り住み、文化の多様性に魅了されつつ、旺盛な取材、執筆活動を続けます。ニューオーリンズ時代に万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で来日を決意し、1890年4月に日本の土を踏みます。
同年8月には松江にある島根県尋常中学校に赴任し英語教師に。さらに熊本第五高等中学校、神戸クロニクル社の勤務を経て、1896年9月から帝国大学文科大学講師として英文学を講じます。1903年には帝大を解雇され、後任を夏目漱石に譲り、さらに早稲田大学で教鞭を執ります。
この間、1896年には松江の士族の娘、小泉セツと正式に結婚し、日本に帰化。
三男一女に恵まれます。
著作家としては、翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に生涯で約30の著作を遺しました。
1904年9月26日心臓発作で54歳の生涯を閉じた。
と、ある。
今まで耳なし芳一に代表される怪談話しを書いた人・・・くらいにしか思ってなかった
が、改めてすごい人だと思った。
松江を代表する有名人として選ばれたのは当然ちゃ当然だと思う。
毎月1回、丸亀走友会の黒木さんと1泊旅に出る。
今月の旅は松江に。
岡山駅から特急「やくも」で行く、「やくも」は全席指定席。
2024年4月にやくもは 約40年ぶりに新型車両になったそうな。
ちなみに前の車両は ↓
そう言えば岡山駅で見たような気がする。
3時間ほどで松江駅に到着、途中雪が積もっていた。
↓ 松江駅
天気予報とは裏腹に良く晴れていた、黒木氏曰く「私は晴れ男」だと。
松江と言えば松江城、そのお堀を船で回る遊覧船があって、着く草々
船乗り場へ直行した。「ぐるっと松江堀川めぐり」と称する遊覧船だが
船は小さな漁船のような船。
一日何回乗り降りしてOKのチケットを買った。
乗り場はあちこちにあって、我々は「カラコロ広場乗船場」から乗った。
↓ 写真の一番下の乗り場
出発時刻の表示はなく、お客が集まり次第船を出してくれるみたい。
我々ふたりだけなのに乗せてくれた。
何とこの船にはコタツがあって、足を突っ込んだ。
コタツは冬限定のサービス、暖かくて心が和む。
↓ 船から見る風景はこんな感じ
お堀には橋が多く水面からの高さもバラバラ。
低い橋もたくさんあって、通過する時は船の屋根を下げる構造。
その時は乗っているお客も船頭も、ほぼ横ばいの姿勢になる。
お堀を左回りに進み、その間何回も横ばいになりながら
武家屋敷や小泉八雲記念館がある船着き場(地図の上の方)で降りた。
続く。
丸亀走友会の黒木さんに連れられ帝釈峡へ行ってきた。
帝釈峡へは何時だったか家族旅行で来たことがある。
この時も休暇村に泊まった。
場所は地図の赤い点。
さて公共機関を使うと、坂出駅から岡山へ そこから伯備線で新見へ、
芸備線に乗り換え東城駅で降りる。約 3時間半の行程。
宿泊は「国民休暇村 帝釈峡」黒木さんが予約してくれた。
列車が着くともう休暇村の送迎車が待っていた。
これも黒木さんの手配で至れり尽くせりである、
感謝・感謝です。
10人ほど乗れるワゴン車に我ら二人だけかと思ったらもう1人いた。
休暇村はこの日、薄っすら雪が積もっていた。
↓ 雪のない休暇村の正面玄関(ネットより)
中は ↓
国民休暇村は、 国立公園 及び 国定公園 の中にある事が多く、
国費により 国 または 地方公共団体 が整備した基本的公共施設と
年金福祉事業団 の直接 融資 等により 一般財団法人 休暇村協会
が整備した有料施設があり、周りの自然も景観も抜群である。
私の住む近くにも休暇村 讃岐五色台がある。
さてこの日はどこへも散策せずお風呂に入りゆっくり過ごす事にした。
長男に、
「父が生きている間に東京見物をさせてよ」と無心したら望みを叶えてくれた。
神戸空港から飛行機で東京へ。
東京へ飛行機で行くのは人生で2度目か3度目くらい。確か現役の頃、ボストン
へ行くのに高松空港から羽田へ降りたように思う。飛行機もプロペラ機だった。
↓ 羽田空港内 とにかく広い。
羽田空港はかつて、1978(昭和53)年から2010(平成22)年までの
32年間、「ほぼ国内線専用空港」として運営されていた過去を持つ。
当時、国際線は成田空港だったが成田もキャパシティーオーバー気味に
なっていたところに羽田が2010年に4本目の滑走路が完成した事により
羽田に国際線がオープンしたと言う。
羽田は東京にも近く、成田より利便性が良いから利用客も多いと思う。
昨今のインバウンド需要にも大いに貢献している筈だ。
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