津嶋神社は、香川県三豊市三野町にあるこどもの守り神とされる神社。
↓ 250mの沖合にある島に祀られている。
橋が架かる前は船で参拝していたとか。
ところが橋が架かった今でもいつでもは参拝できない。欄干があるだけで歩くための橋板がない。
その橋板が敷かれるのは夏季大祭のある8月4日と5日の二日間だけ。
この橋は別名「しあわせ橋」といわれ、この橋をわたると子供・若いカップル・夫婦に幸せが訪れるとされている。
私も孫と一緒に渡って幸せを頂いた。
神社までの道すがら、壁に車をぶっつけて傷を入れたが・・・。
神社への渡り口には多くの屋台が並び大賑わい。
しかし残念ながらこの日は途中で降りだした大雨でずぶ濡れ。夏で良かった・・・。
↑ 雨の中、何とか神社にたどり着きお参りできた。
とにかくすごい人・人・人・・・ 身動きできないくらい。
20時から始まった花火奉納もじっくり楽しむこともできず早々に帰途についた。
昼間の津島神社(ネットより拝借)
普段の橋の状態 ↓ 欄干があるのみ
長年沖にある神社に行きたい行きたいと思っていた念願がかなった。
三豊市にある朝日山森林公園へ行って来た。
この公園は樹木などの提供と1,500人余の町民のボランティア活動にて完成。
手作りの高瀬町立公園として昭和63年5月に開園。
春には約1,000本の桜が満開となるそうで、もう一度その頃に来てみたいものだ。
↓ 駐車場から公園へのアクセス道
↓ 伊勢朝日山本宮の鳥居が見えて来た
鳥居をくぐると男坂、女坂 ↓ 何故こんな二つも階段を作ったのか???
↓ 階段の横に「天ノ八衢神社」がある。
↓ 階段の踊り場に厄除ノ大神
↓ 伊勢朝日山本宮
古来よりこの朝日山は「アセビ山」と称し、神遊ぶところの霊山として崇め奉られ山腹には龍王祠が奉られ、高くら神はじめ七柱の神々と大地自然の山々を守り給ひます大山衹神が祀られており多くの人々の信仰を集めてきた。
↓ 朱の鳥居と智の輪
朱の色は父神様の血の色を表し災厄を防ぎ穢れを祓い清め幸福を招くj色。
神仏和合のご神域と俗世界の境界として朱の鳥居を設け、罪穢れを祓い清める禊ぎの象徴として智の輪を配したとある。
輪の中に見える五重の塔の横には大師堂がある。
↓ 本宮から見渡せる讃岐平野
金山,常山へ登る道筋に立派な神社があった。
↓ 参拝して見上げると横潮神社と刻まれていた。
この神社には横潮大明神が祭られている。
坂出の昔話『悪魚伝説』の中で悪魚の毒気にやられ死にかけていた兵士たちを八十場の霊泉を飲ませて回復させてのがこの神様なんだそうな。
この神社にたどり着くまでが大変だった。
一日8,000歩のノルマを達成すべく軽い気持ちでコースを金山に取ったが、どこでどう道を間違えたのか道なき道を辿ることになった。
引き返そうか? 登ろうか? と迷いつつも 誰がつけたか木に結んだ赤いテープを道しるべに上へ上へと。
テープは目標を見失いそうになった時現れ、心細さを安堵に変えてくれた。
奮闘すること1時間弱、やっと送電鉄塔横の登山道に出た。
ほんとにほっとした。いくら低い山でもひとりで登る事は二度とすまいと再認識した。
近くに三角点を見つける。↓
登山道はもう長い間誰も通ってないらしく落ち葉が降り積もっていた。
下り坂とて落ち葉で滑らぬよう注意しながら無事下界着。
そこにこの神社があったと言う訳、この神様が私を助けてくれたのかも知れない。
桂浜にある海津見神社(龍王宮)は、ほこら形の神社。
参拝して中を覗くと御朱印は若宮八幡宮でお授けします旨のお知らせがあった。
そこで早速 若宮八幡宮へ御朱印をもらいに行った。
↓ 若宮八幡宮
↑ 若宮八幡宮の鳥居にはいわれがあるとかで、ご紹介すると、
長宗我部元親が豊臣秀吉の先鋒隊として九州に遠征する際、武運を祈りいざ出陣という時、軍旗が鳥居の笠木に引っ掛かり落ちた。
衆人はこれを不吉とし出陣を見合わせるよう進言したが、元親は「敵を笠にかけて討つ」と吉祥前兆と祝し出陣した。
しかし結果は惨敗、帰郷した元親はこの鳥居を不祥の鳥居とし海上遥かに流した。
爾来 280余年間 鳥居なき神社として有名だったが、慶応元年の地震の際 鳥居の根石が地面から浮き出た事から、これを神意とみなし明治3年3月に再建した。
面白い!
若宮八幡宮は創建が1185年と言うから相当古い神社。
吾妻鏡によると、鎌倉幕府の基礎を固めた源頼朝は祖父・為義公の慰霊と源家の長久を祈り、京都六条に左女牛若宮(サメウシノワカミヤ)を創建し、土佐国吾川郡一円を同社の新領地として寄進した。その神領鎮護の神として石清水八幡宮の御分霊を御勧請したのがこの神社。
↓ 若宮八幡宮の御朱印
↓ 海津見神社の御朱印
この御朱印 ↑ をもらう時にちょっとしたエピソードがあった。
海津見神社の御朱印を下さいと言うと巫女さんが「何故ここへ ?」の質問。
「参拝した時ほこらの中にここでもらえると書いてましたから」と言うと即書いてくれた。
質問した理由を聞くと、参拝もしてないのにお札だけもらう人がいるからだそうな。
えっ~そんな人いないだろう~。
祠の神社の御朱印をもらったのは確か初めて。
高知県桂浜にある神社、わたつみ神社と読む。
御祭神:大海津見神 鎮座地:高知市浦戸字城山 御神徳:海上安全・魚業豊登・祈雨祈腫・商売繁盛・良縁成就
ここの御朱印が欲しいと思って中を覗き込むと『御朱印はは若宮八幡宮でもらって下さい 』旨の掲示があった。
せっかくだからアトで行ってみることにした。
この神社から更に上への道があって階段から見降ろすと、太平洋を背に白壁に朱色の龍王宮が海と空のブルーに映えていた。
階段を登りきるとまた祠があった、早高神社 ↓
桂浜の由来
古くは嘉津浜,嘉津浦浜,勝浦浜などと記され色の浜とも言われた。
江戸時代には勝浦浜村が独立していたがその後浦戸村に含まれた。
いつの頃よりカツウラがカツラと転化し、月の名所であることから月に生えると言われる桂の字が当てられ桂浜となった。
土佐五代藩主・山内豊房公の命名とも言われている。
小学校の修学旅行は高知だった。その時桂浜にも行った。
その頃は浜辺に色とりどりの小石が一面にあって、拾って帰ったものだった。
今はもうない、取りつくしたのか? 前に来た時は売店で袋に入れて売っていたのに今はそれもない。
この神社は、本部町谷茶にある御嶽 (うたき)。
航海安全・大魚祈願・健康祈願・家内安全祈願の神社。
大正8年頃、渡久地赤崎御嶽より海神のご神体を辺名地神社の神人によって海神宮のご神体として安置された。
当時は部落から約200m離れていて干潮時は歩いて渡れるトンボロ現象の神社だった。
↓ 大正時代
↑ 左に見えるのは瀬底島
昭和4年7月に現在の社が建設され、谷茶区として年に4回の御願行事が行われた。
↓ 昭和14年頃埋め立てられ神社が陸続きになった
今の神宮の全体は ↓
昔は海神祭として旧暦の5月4日に海神に豊年を祈願し、海の彼方の幸を求める『世乞(ユークイ)』の儀式・爬龍船競争という勇壮な行事が行われていたとか。
この海神宮にて複数の神人が龍神様のお姿を確認されている崇高な拝所。
↓ おびただしい数のスポンサー旗が立つ、この神社の人気の高さを顕している。
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