今88ヶ所回「やしま~る」とは高松市の屋島山頂に2022年8月オープンした市の
シンボル・交流拠点施設。
瀬戸内国際芸術祭2022の夏会期初日にオープンし、瀬戸芸の一作品ともなっている。
全長約220mの回廊のような建築で屋根に特徴がある。
3万枚の庵治石でつくられた屋根瓦。
世界一高級な墓石材として有名な庵治石(高松市産)を瓦として板状に加工したものが
使われているとか。石を瓦状に加工したのは初めてと言われる。
↓ 屋根
入場は無料だし近ければ毎日でも来たい施設である。
屋島は昔旅館やホテルがたくさんあって賑わっていたが、
つぶれた所も多く今では空き家が目立つ。
やしま~るの外には瀬戸内海の素晴らしい景色が広がっている。
毎日7,000歩のノルマを果たそうと歩く途中 ↓ の看板が見えたので久しぶりに登ってみた。
ここは、御大師池登山口。
結論から言うと、とんでもない目にあった。
まず、山頂までの道が分かりずらい。
それでも道らしきところを辿ると何とか山頂にでた。
山頂は猫のひたいほどのスペースしかない。
それでも座って休憩をとることはできた。
帰り道がとんでもないことになった。
下り始めると坂出駅方面と書いた看板があった。
元来た道を引き返すのも芸がないと思い、その道を辿ることに。
途中まではまぁ~ここが道らしいと区別がついたが、そこから全く道が消えた。
仕方なく下へ下へと行けば何とかなるだろう・・・と思った。
それが大きな間違い。
アト10m程の高さから下の広い舗装された道が見えた。
やれやれ・・・と思った。
ところがところが・・・である、そこから降りる道が全くない。
崖になっていた。
こりゃ~やばい! こんなところで遭難するわけにはいかない。
引き返して登ってきた道を帰るのが賢明だ。
それでまた道なき道を山頂まで登る。
落ち葉が道につもり滑ることすべる事。
慎重に!慎重に! 休み休み、時間をかけてやっと元の山頂まで帰ってきた。
もう涙が出るほどうれしかった。
そこからは元の道をたどり、やっと地上に降り立った。
どんな低い山でもひとりで行くのはもう絶対にやめようと思った。
山頂からの風景 ↓
山頂に小さなミカンよりまだ小さな柿の実がなっていた。
どこからかカラスが種を運んできたのかなぁ~
自然はすごい!
天狗山へ登った日はペンションで一泊。
連れの黒木さんが予約してくれた。
黒木さんにはいつも山行の計画や宿の予約など、お世話になっている。
ありがとうございます。
この日の宿は日生諸島のひとつ・鹿久居島 (かくいじま )にあるペンション・みかんの郷・中磯農園 。
そこの主人が日生駅まで迎えにきてくれるという。
↓ JR日生駅
鹿久居島は2015年に橋が架かって陸続きになった、人口はたったの11人だとか。
この島より小さな対岸の頭島には400人強の人が住んでいる。
鹿久居島から頭島へも橋があり、頭島を陸続きにするために中継地として鹿久居島に橋を架けた
と言っても過言ではなさそう。
↓ ペンション ロビー
この日の客は我ら二人。
マスターも会話に加わり夕食会は盛り上がった。
ここのマスターはすごい人。
若い時からこのペンションのお客で、先代の宿主から跡を継いでほしいと頼まれたという。
ユニークなのは「出張落語家」の肩書 ↓
名前が「酔狂亭雀庵」と言う。
ホームページからマスターの紹介記事を記載すると、
ペンションみかんの郷のマスターは、出張落語を主な活動とし、全国に笑いと感動を振りまいている酔狂亭雀庵という落語家でもあります。呼んでいただければ、全国どこでも参ります。
ポカリスウェット・マンダムギャツビーなどのCMや、NHK「ガッテン」、カンテレ「胸いっぱいサミット」、人気アニメ「はじめの一歩」実写版ビデオ(鴨川会長役)などTVでも活躍。
趣味は多彩で、70~80年代フォークをギターで弾かせたらプロ級、エアロフォン奏者、スキューバダイビングは国際ライセンス(PADI/OW)、ソフトボールチームの監督(選手兼任)、古寺で仏像と向き合うこと、JAZZ、歴史小説(特に幕末と戦国時代)など多趣味。人好きでお酒も大好きなので、気軽に声をかけていただきましたら盛り上がること間違いなし。
おひとりさまでいらっしゃっても退屈しませんよ。
すごい人とお会いできたものだ。
楽しいひと時を過ごし、山登りの疲れを落とした。
6月度シルバー山登り会は岡山県備前市にある天狗山へ。
坂出からマリンライナーで岡山へ、そこから赤穂線に乗り換え「寒河」駅で下車。
岡山から寒河まで田舎ののんびりした風景をボーっと見ながら列車の振動に身をゆだねるのは心が和む。
ほぼ満席に近い社内もひとり二人といなくなり、寒河駅に着く頃はお客さんはちらほら。
駅は無人駅で切符の回収もなにもない。
駅を降りると幸いにもローソンがあった。
そこで昼めしのおにぎりとお茶を買い、リュックに詰め込んだ。
山の登りの時はおにぎりをいつも事前に用意するのが、この日は何故か買えるだろう・・・と勝手に思い込んでいた。
実に浅はかな思い込みだったが、結果的にはラッキーだった。
ローソンの裏から登山道入口へ出る。
八幡宮が見えてきた。どうもこの神社の横から登るみたい。
境内社の荒神社の横に登り口の看板が見えた。
急な坂道が永遠に続く感じがする。
最近、歩きが1時間続くと背中が痛くなる。連れには悪いが休み休み登るしかない。
3時間以上はかかっただろうか? やっと頂上の柱にたどり着く。もうくたくた。
標高・391.1m、もうこの高さの山は無理!
あまり人が登らないのかシダが生い茂る道がかなりある。
足元だけならいいが顔の高さまである。
道の凸凹も分からないし、すこぶる危険。
山頂には、かつて江戸時代から明治中期にかけて大阪の堂島の穀物相場の情報を、望遠鏡で兵庫県の室津からの旗振り信号を受けて、熊山へ送信していたと云われている岩頭がある。
この岩頭に上る気力もなかった。
ちなみに山の名の由来は、この山で山伏の格好をした修行僧を見た村人が、天狗が出たと思い込んだ事から。
頂上を過ぎ、元来た道を帰らず三峰越えして三ッ池に到着。
しばし池の青さに癒される。
この池からまたまた大変な下り坂が続いたが、なんとか元の寒河駅まで帰ってきた。
もうヘトヘトだった。
40品種・2万株のあじさいが今見ごろを迎えるまんのう公園。
6/3日から6/25日まで「あじさいまつり」をしているというので行ってきた。
アジサイは土壌が酸性だと青色、アルカリ性だと赤になると一般的には言われるが
品種によっては当てはまらないものもあるとか。
この日は五月晴れのいい天気。
平日なのに結構お客さんがいた。
この公園、国立とあって手入れがいつも行き届いている。
まんのう公園のこの場所にこんなにアジサイの木が植えられていたなんて驚き・おどろき!
桜と同じで花が咲いた時の自己主張がすごい!
サルビアの花も満開 ↓
この公園には秋にコキアが赤くなった時に来ている。
今コキアは??? と見に行ったら、小さな苗を植えている最中だった。
こんなに早くから準備しているんだぁ~。
この公園、何回来ても、いつ来てもいい。
1,000人もの人がいた志々島には数多くの神社や祠が残されている。
代表的な神社はこの神社も含め5社。
斜面をうまく利用して山頭神社が建てられていた。
ここは健康・大漁のご利益があるという。
この島は今でこそ樹木に覆われた普通の島だが、
昔は花畑で覆われていたと言う。
江戸~大正時代までは漁業が盛んで、鯛や鰆の宝庫として「黄金の島」と呼ばれた。
第二次大戦後は、安定的な収入を求めてキンセンカや除虫菊等の花卉栽培に主軸が置かれ、最盛期には100軒以上の花農家がいて「花の島」とも呼ばれた。
現在は、過疎化と高齢化が進んで花農家は一軒も無くなり、島から多くの花畑が消えて樹木の生い茂る島となった。
そんな中、孝子さんのお花畑は今でも健在、すごい!
5月のシルバー山登り会は志々島へ。
坂出から詫間駅までJRに乗り、駅からコミュニティバスに乗り換えて宮ノ下港で下車。
そこから船が出ている。
切符売り場も待合所もない! 桟橋があるだけ。
船に乗船券の自販機があり350円券を買って、船長と乗組員の二人で運航する船に乗る。
乗船客の定員は島民優先で70名、花が咲きほこる春は積み残しが出るようだ。
この日は我らふたりだけ。採算は取れんだろうと要らぬ心配する。
20分ほどで志々島港の浮桟橋に到着、客を降ろすとそそくさと次の島へ出航した。
ヴィの黒猫と "ようこそ志々島へ" の 看板が出迎えてくれた。
お墓の横を通らなければ山には登れない。
ここのお墓 ちょっと異様、後で調べると両墓制と言って遺体を埋める「埋め墓」と、
お参りをするための「参り墓」が対になっている墓地。
そう言えば沖縄にも同じ風習がある。
カラフルな家の格好をした小屋は「霊屋(たまや)」と呼ばれる。
今では火葬になり埋め墓は使われない、これも沖縄と同じ。
↓ 志々島の地図
周囲3.8km、今は20人ほどの小さな島だが 昔は農業・漁業が盛んで 1,000人もの人が住んでいたという。
大方の瀬戸内の島のように平地はなく住居は山の斜面に建つ。
そして大方の島と同じように空き家が目立つ。
まずは島の最高峰「横尾の辻」標高109mを目指す。
途中 ”孝子さんのお花畑 ” を通る。
春の花は見ごろを過ぎ、アジサイが咲き始めていた。
山頂までUP・DW はあったものの 比較的になだらかな道が続き、あっと言う間に到着。
瀬戸内海の景色を堪能した後、来た道を引き返し大楠を見に行く。
この大楠は見事だった、圧倒的な存在感、神々しい威厳、歴史を刻む枝ぶり。
県指定天然記念物、根本の周り 12m, 高さ 22.5m,
枝張り 東へ25m・西へ20m・南へ17.5m・北へ26m。
樹齢推定 1,000年以上
大楠をみて感動しながら元の港へと帰ってきた。
猫のひたいほどの平地を歩いていると「男はつらいよ ・寅次郎の縁談」第46作のロケ地の看板があった。
1993年11月1日~11月16日までのロケ。1993年12月25日封切りされた。
この作のマドンナは 松坂 慶子さん。今、朝ドラ「らんまん」のばあさん役で出ている役者。
エキストラ出演者に、”孝子さんのお花畑”を維持管理する高島孝子さんの名前もあった。
彼女とは畑で偶然出会った。来年で90歳になるという。
元気・元気、とてもその歳には見えない。現役で働く人はとにかく元気で若い!
志々島の場面とストーリはこちら ↓
東京の家で父 博(前田 吟)と大ゲンカした満男(吉岡 秀隆)は瀬戸内海の琴島(志々島)に移り住み島の住民の漁業や花畑の手伝いをして日を送っていた。島に通ってくる看護師の亜矢(城山 美佳子)とも仲良くなっていった。
寅さんは両親に頼まれ満男を連れ戻しに来るが島の葉子(松坂 慶子)と仲良くなりこんぴらさんや栗林公園で一緒に遊ぶ。
しかし満男が寅さんの気持ちを葉子に伝えたことから寅さんは困惑し満男と一緒に島を離れる。
↓ 撮影風景(志々島 ふれあい館にあるアルバムより)
これと似たようなストーリが奄美大島の加計呂麻島でもあった。
奄美への旅と志々島への旅、なんか不思議な縁を感じた旅だった。
3月度のシルバー山登りは宇野にある王子ヶ岳(235m)
坂出からマリンライナーに乗り茶屋町で宇野行に乗り換える。
宇野駅に到着。
宇野駅は様変わりしていた、そりゃそうだ キミマロじゃないが ” あれから40年 ” 近くは来ていない。
瀬戸大橋が開通して今年で35年、それ以前は高松に行き宇高連絡船で宇野駅、そこから岡山・神戸へ・・・
とよく行ったものだ。
駅は連絡船時代は港にあったが今は200mほど奥にお引越し。
引っ越し跡に2013年 瀬戸芸(瀬戸内国際芸術祭)のなごりがあった。↓
作品名:船底の記憶 旧日本帝国海軍で使われていた⚓に不要になった各種の鉄製品を組み合わせた作品。
海の記憶と人の記憶・世界の記憶・町の記憶を融合させる・・・と。
↓ 愛の女神像(ドルヴァ・ミストリー 作 インド)
愛・若さ・美を表現し、人々が海辺や自然の美を楽しむのを森の精が海門の入り口で待っているようなイメージで制作されたとある。
宇野駅からバスで登山口付近まで移動する。
NHKの朝ドラ 「舞い上がれ」の放映中ともあって バスの中に ↓
心配するな 舞い上がれ 世の中だいたい何とかなる! 祝・卒業 玉野高校
いいね~ これ。
↓ 登りはじめると遠くに大槌島が見える。
ニコニコ岩 ↓ ここは自然が織りなす瀬戸芸かも?
↓ 山頂到着
昔、ここに百済姫の子供といわれる八人の王子がいた事から王子ヶ岳と呼ばれるようになった・・・とか。
ここから瀬戸内海が見渡せる、香川県側から見る風景とちょっと違う気がする。
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